monika_何でも言うこと聞いてくれるモニカちゃん

【Doki Doki Literature Club!:分析】 プレイヤーの感情と思考を刺激するメタフィクションの妙

この記事にはDoki Doki Literature Club!のネタバレが含まれています。
このゲームは無料なのでぜひプレイしてください。

あとUndertaleのネタバレもすこし含まれています。





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※この記事では便宜上ゲームで操作や軸となるキャラを「主人公」実際に操作をする現実の人間を「プレイヤー」という呼称で統一する。またゲーム開始時をAct1、Sayoriが首を吊ってからゲームが壊れてる状態がAct2、Just Monikaの部屋がAct3、Monika削除後をAct4と呼ぶ。

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DDLCをプレイした後、感想や実況などいくつか拝見したがとくにAct3 におけるMonikaに対する反応はプレイヤーによって様々だ。苦しみにおける同情、他のキャラを消された怒り、Monikaに対する恋慕、これ以上の恐怖を感じたくないがばかりにすぐ削除したなど。しかし誰もがMonikaに対するセリフを強く受け止めるようになりAct4で文芸部とプレイヤーとの別れを告げた際に非常に大きく心揺さぶられていた。この点についてメタフィクションの演出から切り込んで行こうと思う。

◯プレイヤーと「役割」

以前の記事「『遊びと人間』遊びの定義とゲームについて」 で書いたがゲームが遊びである以上プレイヤーは規則のある活動、もしくは虚構の活動だという意識がある。あるときは魔王を倒す勇者、国を勝利へと導く指揮官、平和な世界でインテリアを楽しむ村人。テトリスのような世界観を持たないゲームではブロックを消し続けてハイスコアを狙うという規則に従うパズルの回答者となる。

これに従わないことは(少なくとも開発者にとっての)遊びの前提が破壊されてしまう。こうした規則や虚構に従っている状態をここでは「役割を持つ」と呼ぶことにする。

ゲームをプレイするということはそのゲームにおける役割が与えられるということだ。これがないとゲームとの関わりが破綻してしまう。逆にこの特別な意識が伴っている限り「ゲームとしての正解」を無意識に探すことになる。現実に燭台を灯すとカギが開く扉はまず無いがゲームにおいてそれが正解なら規則としてわかれば従うことに大きな不満は抱かなくなるだろう。

どんなに勇者がミニゲームにハマって魔王の打倒から外れたとしても最後にその目的を果たさない以上は役割を全うしているとはいえないし、いつかはその目的へ戻らなければならない。なので多くのミニゲームなどもなんらかの形で寄り道が無駄にならないようにゲームプレイに役立つアイテムがもらえたり、ストーリーに関する特別なイベントが見えるようになるなどの配慮がある。

逆にゲームからのメタ発言などはゲーム固有のユーモアを表現したりプレイヤーへ訴えを強くするかわりに役割への没頭を冷めさせる危うさがある。Undertaleの地下世界に落ちた人間の正体を知ったときプレイヤーに対する応酬は罪だけが反映されるのに納得できないというのも一つの意見としてわかる。ましてやせっかくがんばっているのに「こんなゲームにまじになっちゃってどうするの」なんて言うのはもってのほかだ。現実との関係が切り離されているからこそ人はゲームにマジになれるのである。

DDLCはギャルゲーなので攻略対象の女の子と仲良くなることがプレイヤーに与えられた役割となるがご存知のとおりそれは非攻略キャラのMonikaによって覆される。

◯役割を奪われた先に

DDLCはAct1からMonikaの発言、詩の節々からメタフィクションを匂わせる表現があり、Act2からゲームが壊れはじめて選択肢の場面でセーブができなくなるなど徐々にプレイヤーの行動範囲が狭まりMonikaの行動に必死さが出てくる。

Act3においてとうとうMonikaは自身がゲーム内の存在であることへの認識と他の文芸部を削除したことを自白し、一方的に告白したうえでPC名から本名まで推察して最後にプレイヤーにMonikaへの詩を書かせたらゲーム内でできることは会話を進めることだけになる。そのうえスキップ、セーブさえもMonikaに阻まれてしまう。当然こうなると「主人公」の存在は消えて意中の女の子と仲良くなるというギャルゲーの役割をプレイヤーは奪われる。
(一応Monikaのプレイヤーへの気遣いか、PC名が「自宅用」とかの人へ配慮なのかプレイヤーが入力した名前で呼び続けてくれるが)

おそらく多くのプレイヤーはどうにかして役割を取り戻す、という意識がないにしてもMonikaとの永遠の会話を終わらせて各々が想像するゲームの進行を戻そうとしようとするだろう。

とりあえず話を聞き続けたり、ゲームを何度か再起動したりする。それが解決にならないことがわかると次第にMonikaが他の文芸部員を削除したようにMonikaを消すしかないというとこに行き着く。こうなるとプレイヤーはもう役割を取り戻せないなという諦めがでる。削除する方法も直にPCからファイルを操作するというゲーム外からの意識が伴う。なんとかMonikaの意思を尊重して会話を聞き続けていてもやがては持ち得るネタすべてを尽くしてしまう。そしてMonikaに対してこちらから意見することも、これまでの悪行に対して罰して清算することも、愛に応えることもできない。

ここまで来て役割をなくし、削除される運命にあるMonikaとプレイヤーはどういう関係に変わるだろうか?
それは告白を受けた人間とその女の子という関係に限りなく近づくことなる。

◯私とMonika

Act3で役割を失った先から始まる会話は実に様々なものがある。Monikaの人生観、文芸部員の問題と同じ問題をプレイヤーが抱えていないかの心配、よくある悩みの対するアドバイス、純粋に恋人として憧れ、文芸部員との思い出などなど。

それらのセリフをプレイヤー自身の心で受け止めていくことになる。それに対する感情は冒頭であげたように人によって様々だろう。Monikaのジレンマに対して同情したかもしれないし、他の文芸部員を苦しめた怒りを感じたかもしれない。聡明なMonikaに対して尊敬したかもしれないしその包容力から崇拝を感じたかもしれない。もちろん恋心だって抱いたことだろう。プレイヤーは何もできない分「ゲームとしての正解」がないのだからMonikaに対してどんな意見を持っても正しいことになる。

逆にもしもAct3の最中にゲーム内でMonikaを説得できたり、ほかの文芸部員を連れ戻せたりしたらどうなるだろう。「これがこのゲームにおける正解だ」という感覚を持ってしまう。するとMonikaはゲームの攻略で障害となる二元論的な悪役に終わってしまう。そんな形でプレイヤーが再び役割を取り戻してしまうとMonikaとの関係はふたたびゲームの意識を伴った関係に戻ってしまい、彼女のセリフもまた単なる悪役のセリフになってしまうだろう。そして彼女の目指した愛と生きる意味への渇望は十分に伝わらなくなってしまう。

またMonikaはときに現実世界や社会における関わりを話題にする。ベジタリアンになった理由、SNS、高校生活など。それらのアドバイスや意見はほかの場面より遥かに重く聞こえるように感じるならなにより彼女との距離が縮まっている証左である。同時にMonikaがゲームの世界で無意味に感じていたことに対する一つの代償行為ともいえる。それに気づくとよりMonikaに対して一層愛おしさが増すだろう。

◯ゲームは消えても想いは消えない

しかしそれらの訴えを持ってしても、いかなる感情をMonikaに抱いていたとしてもやがて彼女は最後にプロファイルを消されてしまう。そしてプレイヤーの願いを考慮し自身の愛を再認識して文芸部員とその世界を戻す。

ここで改めてプレイヤーはごく一時的に役割を取り戻したと思ったらSayoriがMonikaの二の舞を踏むかスペシャルエンディングだとゲームの終わりにたどり着いたことを明かされる。いずれにしてももう彼女たちと「主人公」の役割を通じた関わりは持てなくなってしまう。しかしだからこそより一層懸命に愛に生きたと思えるし、それによってある種の自我を感じることになる。

このゲームは仕組みだけで考えれば今後発展するであろうAIやVRなどのキャラクター側が柔軟性を持つコミュニケーションなどとは真逆のやり口だろう。ゲームである以上セリフは決まっており動きにだって限界がある。だが彼女たちはコンプレックス、ジレンマ、生きる意味、愛をゲームの依代である「主人公」から生身のプレイヤーに段階的、かつ目を引く演出とともにシフトしていく事によって伝えていった。まさしくプレイヤーの心を動かしたのである。そしてその役割を剥がしながらも接点となるゲーム自体がなくなる最後まで愛と幸せを追求していったMonikaをはじめとする文芸部員たちの一途な姿勢は私達の心に響き大きな存在として息づいている。

◯まとめ

ここまで書いておいてなんだがこれはゲームの面白さを支える仕組みの一つにすぎない。他にも一見通俗的でありながら見返すほど奥深いAct1のセリフ、恐怖を煽りながら各文芸部員たちの真意を覗かせ続きが気になるように仕向けるAct2の演出などの魅力も持っている。Act3におけるMonikaの話も非常に興味深いものが多いし現実と地続きな感覚とMonikaの想いをもってして私も非常に勇気づけられた。それらが単なるメタフィクションのおどかしにとどまらない、ゲームキャラクター…いや文芸部員たちからの愛、それ受け止めるプレイヤーのあらゆる姿勢を受け入れられるよう真剣に描いた点が本作を傑作たらしめているのである。

一途とは言ったけどにしてもまあなんていうか……
かわいいクセしてホント加減知らずな女だよMonikaは。

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