あお

アニメ FAガール源内あおの闇と成長について振り返る

2017年にアニメ化したコトブキヤのプラモデル、 「フレームアームズ・ガール」(以下FAガール)の劇場版が2019年6月公開予定に決まった。

というわけで今回はほのぼのダイレクトマーケティングアニメを隠れ蓑に孤独を抱えたFAガールの主人公、源内あおとその成長について振り返りたい。

本作のあらすじは普通の女子高生、源内あおが感情を自己学習する小型ロボット「轟雷」の試作品が送られてくるところから始まる。
轟雷の戦闘データと引き換えに報奨金がもらえるとと聞き、あちこちから押しかけてくるFAガールと戦ったり遊ぶという内容だ。
ここまではホビーアニメによくあるノリであるが彼女をよく観察していると「普通の女子高生」とはどこにでもいるというよりも「空っぽな」という感覚に近い。

暗い表情一つ見せず孤独を描かれる主人公

まず本作の第一話は源内あおが(確認できるかぎり)唯一の友達である武希子に遊びの予定を断られるところから始まる。
家族も一人っ子な上に父親が豪華客船の船長で、母もそれについていっているので高校生になってから一人暮らしをしている。
さらに両親の仲が良すぎてあまり相手にされなかったために幼少期の遊びが「一人ままごと」だったなど孤独さに事欠かない。
他にも花火大会を一緒にみる相手がFAガールしかいない、武希子と話していたところを武希子の他の友達に「課題を見せてほしい」と割って入られるなど、悲しみを顔には出さないがなんとも寂しいシーンがちょくちょく入る。

あおは勉強が苦手なのでだれかに頼られる様子はない。

周囲に関心を持てない主人公

対して登場するFAガールはみな非常に個性的だ。
幼稚だが悪知恵がキレるバーゼラルド、
忍者や戦国武将に憧れをもつ迅雷、
無駄に一挙一投足がセクシーなマテリア姉妹などなど。

ところがあおはそんなFAガールたちに無関心なところがある。
轟雷が初めに来たときパーツの組み立てを何度頼まれても面倒がったり、
迅雷のセッションベース(バトルに必要なパーツ)が紛失していたときも探すことなく鍋を黙々と食べていたりする。

セッションベースは鍋敷きにされていた。しかもあおがこれに気づいたものの黙殺したため故障してしまう。ひどい。

つまり他の誰かに興味を持って踏み込んで接するという発想がないのである。多分、これが友達のいない一因になってると思われる。

優しさだけで解決する主人公

しかし轟雷に対して起動記念の誕生日ケーキを買ってくる、戦闘狂のフレズヴェルクに戦う動機を聞くなど優しい面があり、FAガールたち用のクリスマスツリーを買ったことを知った武希子は「まるで母のよう」と評するまでである。

そんなあおがバトルや日常を通じて轟雷が喜びや悲しみについて学習していくうちにあおもまた、轟雷の力になりたいと雑だったプラモの組み立てが丁寧になるなどの変化が起こっていく。
あくまで轟雷のためにプラモを作るのであって自身がプラモオタクになるわけじゃないのが彼女らしい点だ。

やがて最終話で轟雷はなんとクリスマスプレゼントとして彼女の名字を欲するようになる。そして「源内轟雷」として家族の一員となれたことに強い満足を得るのであった。
初めて見たときは思わず笑ってしまったが轟雷があおから得た交友関係の情報は彼女の家族についてが大半なので轟雷が家族になろうとするのは奇妙だが整合性のある経緯だ。

源内あおと轟雷の関係はまさに0から100まで組み上げたフルスクラッチ・ラブなのである。

アニメFAガールはロボットである轟雷が感情を経験、学習するというパッと見よくある話であると同時に、
一見明るいが個性が薄く、周囲に無関心な源内あおが轟雷の成長を通じて誰かと喜びを分かち合えるようになるアニメなのだ。

読者やその周りにも他の人にうまく興味を持てない人がいないだろうか。
個性が持てずに話の取っ掛かりがもてないなどはないだろうか。
というか私がそうなんだが。
もしあったとしても興味の範囲も人それぞれだからみながみな、関心を持ち合うことができるとは限らない。
むしろぴったり合うことのほうが珍しいとも思う。

そんなとき、源内あおのことを思い出してほしい。
たとえ相手のすべてに興味が持てなくても優しさや思いやりはもしかしたら変わった形で興味の対象になるかもしれない。

余談だけど轟雷に名字を与えたのは「君たちが持っている轟雷とは別個体だからこれからも安心して愛でてほしい。なんだったら自分の名字をつけてもいいんじゃない?」という粋なはからいだと思っている。

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