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井口理の涙と米津玄師の香り

開催にあたって賛否両論が渦巻いたフジロックが終わった。

 SNSには密になったオーディエンスの画像が流れ、顎マスク、路上飲みを報じるニュースは反対派の憤懣に油を注ぐ。どんなに厳格なルールを設けたところでそれを破る輩は必ず出てくる。

そんなことはわかってたはずだろう?それなのになぜ強行したんだ?

 そうやって主催者を、出演者を、観客を叩く気持ちは理解できる。他府県から押し寄せる人々に怒り怯える地元の不安も相当なものだったろう。

 だが、人混みはフェス会場だけではない。ラッシュ時の駅や電車内、繁華街の人混みと路上飲み、夕方のスーパーマーケット、週末の公園……どうしようもないほど都会は密だらけだ。

 場当たり的な緊急事態宣言は、薬剤耐性を持ってしまった病原体のごとく、肉体をメンタルを経済を医療を社会を蝕んでしまった。

「こうやってわかんないまま、、
 俺はこのステージに立ってしまって、、、」

 フジロック2日目のヘッドライナーを務めたKingGnu。全身全霊を振り絞るようなステージのMCで井口理が声をつまらせ、ため息を震わせながら語り始めたのは、あまりにも率直な言葉だった。

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「病院の方々にどうやって顔を向けたらいいのか。。。」

「何か自分の中に答えを見出そうと思ったんですけど、、、難しいもんで、、」

「みんなそれぞれの想いがあって、それは交わらないかもしれないけれど、今見てくれている人に向けて、少しでも明日を笑顔で生きれるような、、おこがましいんですけど、力になったらいいなと願って今ここに立ってます」

上記は略した抜粋です。全文はこちらをクリック

 井口は結論も解答も何も持っていなかった。ただ戸惑い、葛藤し、今自分がステージに立っている意味を必死に探っていた。

 その根底にあるのは「以前のようなライブで、オーディエンスと一緒に心置きなく楽しみたい」とう痛切な祈りだ。今は叶わぬその願いは、アーティストだけでなく観客の総意でもあるのだろう。

 彼らは奪われたものをなんとかして取り戻し、元通りになりたいと涙を流す。そして、いつかは戻れると信じ希望をつないでいるに違いない。

本当に以前の日常は戻ってくるのだろうか?

 歴史を振り返れば、それまで当たり前だったものがいくつも消え、新たなスタンダードに置き換えられていった。

 戦後や今回のパンデミックほど悲劇的でドラスティックではないが、テクノロジーも、人々や社会の価値観も凄まじいスピードで変化している。進化だと歓迎できるものもあれば、慣れ親しんだものを失うこと、時代に振り落とされそうな危機感に焦ることもある。

「あの頃は良かった・・・」と嘆いても容赦なく世界は変わっていくのだ。

 音源の楽しみ方もあっという間にストリーミングやサブスクに置き換わったように、ライブのあり方ももう2年前と同じには戻らないのかもしれない。だが、それはある種の「進化」と呼べるものになる可能性も秘めている。

今はまだ受け入れがたいかもしれないけれど。。。

ニューノーマルへの新しい軸

 そんなフジロック初日の金曜日、米津玄師がインテリアグッズを展開する「REISSUE FURNITURE」を立ち上げたと発表された。その第一弾として5種類のルームフレグランスを発売すると言う。

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 ライブグッズとは一線を画すインテリアグッズ事業への参入である。その理由と想いが綴られた米津玄師の文章がこれだ。

非日常が日常へと変化しそうになっているこの頃、自宅で過ごす時間の重要性を見直さなければならないと感じています。ライブツアーがおいそれと組めなくなって以来、何か新しい軸を一つ作りたいと思い、今回REISSUE FURNITUREを始めることにしました。

部屋は自分の精神とシンメトリーな部分があると思います。部屋がほんの少し豊かになることで、健やかに日々を生きる一助になることを願います。

Kenshi Yonezu

 ”したたかさ”と”誠実さ”が混在した、いかにも米津らしい文だと思った。「新しい軸」と言う言葉には3つの意味が込められている気がする。


まず第一は
「ファンとのロイヤルティ強化」

 米津のライブを楽しみにしているファンは多いことだろう。だが、昨年のフォートナイトのような新しい形でならやってみたいと言うものの、普通の配信ライブをやる気はなさそうだ。また、件のフジロック然り、ライブへの風当たりはまだまだ強い。

 そんな困難な時期にどうすればファンを喜ばせ、絆を強化できるのかを模索した結果が、”自宅にいながら楽しめるインテリアグッズの販売”だったのだろう。

 「REISSUE FURNITURE」は、単なる物販ではなく新しい日常を楽しむヒントを提示しているかのようだ。「もう元には戻れないかもしれないのだから」という諦観と覚悟があるからこそ、一過性のグッズ販売ではなく継続的な事業展開を選択したのだと思う。

2つ目は「収益の補完」

 主軸である音源販売、MVなどによる広告収入に加え、大きな軸であったライブで稼げなくなった分を何かで補わなければならない。

 アーティストグッズというのは一種のブランド物なので強気の価格設定でも一定数の売り上げが期待できる。嫌らしい言い方だが水物雑貨は利幅も大きい。ビジネスである以上、収益を確保するのは当然であり、したたかな商魂は必要不可欠だ。

 個人的には、もうひとつの軸は文筆、あるいはイラスト画集など”米津玄師の作品”であって欲しかったが、時間的制約や効率性を考えれば賢い選択なのだろう。グッズも本人デザインということで一つの作品とも言える。


3つ目は「変化への順応」

「時代や社会の変化に合わせて常に自分を作り変えていく」米津は変わっていくことを信条として生きているアーティストだ。そのフレキシビリティは軸がぶれているわけではない。それこそが米津の軸そのものなのだ。

 「死守せよ、だが軽やかに手放せ」という演出家ピーター・ブルックの言葉に共感するという米津。彼が持つ「それならそれで」という恬淡。

 もともとライブに重きを置いていないと公言していた米津とてツアーができないことに忸怩たる思いもあるだろう。だが、変わりゆく世の中に素早く的確にアジャストできる能力も米津の才能のひとつだ。

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命と心とお金と大切な人を守るために

 ファンと悲しみも苦しみも共有し、自らの迷いを吐露した井口の涙は温かく美しかった。ライブならではの爆音と魂が凝縮された声が、どれだけの人のエネルギーになったことだろう。

 そして、力強く新機軸を示した米津の冷静な誠実さもまた、多くのファンに喜びと希望を与えたに違いない。

 アーティストそれぞれが、厳しい現実と向き合いあがきながらも、それぞれの道を少しでも前へと歩み始めている。

 我慢して待てば収束するだろうと言う考えは甘かった。終焉もこの先の変容も見えない。私たちもまた社会の一員としてのルールを厳守しながら、絶対に取り戻したいもの、手放していくものを自ら取捨選択すべき時がきたのかもしれない。

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<おまけ>

以前、この記事↓で、死神の歌詞「おしまいのフレグランス」はPaleBlueシングル初回特典のフレグランスシートが先にありきだったのではないかと書いたが、まさかここまでの展開も示唆していたとは!

なかなかの策士だなw

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