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樹木希林さんが教えてくれた「人の役目」

女優の樹木希林さんが15日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。

ツイッターでは、たくさんの彼女の名言が並びました。何個かご紹介します。

あのね、年をとるっていうのは本当におもしろいもの。年をとるっていうのは絶対におもしろい現象がいっぱいあるのよ。だから、若い時には当たり前にできていたものが、できなくなること、ひとつずつをおもしろがってほしいのよ
どれだけ人間が生まれて、合わない環境であっても、そこで出会うものがすべて必然なんだと思って、受け取り方を変えていく。そうすると成熟していくような気がするのよね。それで死に向かっていくのだろうと思う。でも人間ってだらしないから、あんまりいい奥さん、あんまりいい旦那さん、いい子供で楽だと、成熟する暇がないっていうか
日本は八百万(やおよろず)の国なので幸せです。無宗教さえも1つの平和な状況で幸せです。この神が絶対というのも幸せかもしれないですが、それによって争いという不幸が出てくる。日本はそういう意味で、争いはない。宗教に関してとても幸せでそれは非常にいいことだと思っています。
靴下でもシャツでも最後は掃除道具として、最後まで使い切る。人間も、十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きるということだと思う。自分の最後だけは、きちんとシンプルに始末することが最終目標
病を悪、健康を善とするだけなら、こんなつまらない人生はないわよ

晩年の樹木希林さんは、常に死と向き合いながら、自分の役割というものを最期の最期まで全うしようとされていたのだと思います。彼女の人となりを示すエピソードにはこんなのもあります。

樹木希林さんは、事務所にも所属せず、マネージャーも雇わず、すべて一人で対応していました。にも関わらず、多分ですが、ひとつひとつの依頼に対して全部お返事していたんじゃないかと思います。

時間がないのにちゃんとお断りの連絡をするって本当に素晴らしいことだと思う。世の中には、樹木希林さんより全然忙しくないくせに、可否の回答をよこさないまま平気でいられる失礼な人間は多い。

彼女がどれだけ人と向き合うことを大切にしていたかがわかります。



樹木希林さんが、2015年には、不登校のイベントに参加して、子どもたちに贈った以下の言葉が素敵でした。とてもいい言葉なので全文ご紹介します。

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新学期が始まる日、まわりのみんなが「おはよう、今日から学校だね」って笑顔で言葉を交わすとき、「私は学校に行きたくない」ということを考える気持ち、何となくわかります。

 だから思うの、そう思うこと、それはそれでいいじゃないって。

 私は小さいとき、自閉傾向の強い子どもでね、じっと人のことを観察してた。学校に行かない日もあったけど、父は決まって「行かなくてもいいよ、それよりこっちにおいで、こっちにおいで」って言ってくれたの。だから、私の子どもがそういうことになったら、父と同じことを言うと思う。

 それにね、学校に行かないからって、何もしないわけじゃないでしょう。人間にはどんなにつまらないことでも「役目」というのがあるの。

 「お役目ご苦労様」と言ってもらえると、大人だってうれしいでしょう。子どもだったら、とくにやる気が出るんじゃないかな。

 ただね「ずっと不登校でいる」というのは子ども自身、すごく辛抱がいることだと思う。うちの夫がある日、こう言ったの。「お前な、グレるってのはたいへんなんだぞ。すごいエネルギーがいるんだ。そして、グレ続けるっていうのも苦しいんだぞ」って。

 ある意味で、不登校もそうなんじゃないかと思うの。学校には行かないかもしれないけど、自分が存在することで、他人や世の中をちょっとウキウキさせることができるものと出会える。そういう機会って絶対訪れます。

 私が劇団に入ったのは18歳のとき。全然必要とされない役者だった。美人でもないし、配役だって「通行人A」とかそんなのばっかり。でも、その役者という仕事を50年以上、続けてこられたの。

 だから、9月1日がイヤだなって思ったら、自殺するより、もうちょっとだけ待っていてほしいの。そして、世の中をこう、じっと見ててほしいのね。あなたを必要としてくれる人や物が見つかるから。だって、世の中に必要のない人間なんていないんだから。

 私も全身にガンを患ったけれど、大丈夫。私みたいに歳をとれば、ガンとか脳卒中とか、死ぬ理由はいっぱいあるから。

 無理して、いま死ななくていいじゃない。

 だからさ、それまでずっと居てよ、フラフラとさ。

出典:2015年8月22日・登校拒否・不登校を考える全国合宿in山口/基調講演「私の中の当り前」から

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晩年の樹木希林さんの行動や言葉というものは、すべての老いゆく大人たちが踏襲していくべきことじゃないかと思います。死に行く者だからこそ、若く生きゆく者を生かす責任がある。

そう思います。


そして、僕がもっとも印象に残った彼女の言葉はこれです。

人も物も、置き場所を変えると生き返るものよ


まさにその通りで、ある場所で活躍できなかったからといって自責する必要はないのです。場所が悪いだけ、周りの人が合わないだけ、ということが多い。あのイチローでさえ、入団当初の土井監督の下では全く不遇でした。

逆に言えば、人は人とのつながりでどうにでも変わることができるということです。



2年前に、「徹子の部屋」に樹木希林さんと内田裕也さんが夫婦そろって出演された時に書いた記事がこちらです。

二人の愛の形というか、結婚というものの形について書いています。


内田裕也さんのコメントです。

「最期は穏やかで綺麗な顔でした。啓子 今までありがとう。人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので 天国に召されると思う。おつかれ様。安らかに眠ってください。見事な女性でした」

本当に見事な方でした。

長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。