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バブルの武勇伝やエピソードは大抵ウソですから。

「バブル時代は良かった」とか「バブル期はこんなだった」と自らの武勇伝を語るジジイがいるじゃないですか。


大体、大ウソです。

盛っているとかのレベルを超えて、もはや虚構の作り話だと思った方がいいです。テレビも雑誌も新聞でさえも、そうしたおもしろいエピソードを真偽確かめずに取り上げるから、いつのまにかそれが伝承真実になってしまっているんです。このあたりは、最近の若者が草食男子という説と同じようなもんです。


ホイチョイの映画「バブルへGO」っていう映画で、深夜タクシーをとめるのにみんなが一万円札をふりあげて止めていたというシーンがあります。

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これ、本気で信じている人いるんですよね~

ないから!

つーか、「俺はやってた」と反論する人もいるかもしれないけど、それあなた、自分がバカだと手を挙げているようなもんですよ。大体そもそも乗車希望者に対して圧倒的にタクシー台数が足りていないので、そんなことくらいで止められるわけがないでしょう。賢い人はみんな配車していました。

よく考えてほしいんだけど、バブル期ってみんなが金持ちだった時代じゃないからね。景気がよかったことで、会社の経費が今よりも潤沢に使えた時代だというだけ。経費である以上領収書が必要なわけですよ。じゃなければ自腹になってしまうんだから。 万札で止めたところで、単なる見せ金ならタクシー側にメリットないし、たとえ万札を運転手に払ってもその分走っていないなら領収書がもらえないから意味ない。

夜遊びしてタクシーチケットで帰っていたとか、女の子にタク券渡していた、とかいうおっさんもいるんだが、タクシーチケットを私用で使ったら懲戒ですよ。当時の会社だって、そんなこと許すほどバカじゃないんで。そして、大体そういう輩はバブル期後に本当に懲戒免職されていたりする。

銀座のクラブで豪遊?そりゃあ自分で不動産やっていた社長とかは羽振りがよかったでしょう。あと不動産ゴロというかヤクザね。だけど、サラリーマンが銀座のクラブなんか行って、領収書切れるわけがない。まだ出来たばかりのキャバクラが関の山でしたよ。

飛行機はビジネス、新幹線はグリーン?役員クラスは別にして、普通のリーマンじゃありえないから。



バブル崩壊というと、一瞬で不景気に転じたかのような誤解もありますが、それも違う。株価で言えば、1989年の大納会(12月29日)に終値の最高値38,915円87銭がMAXで、あけて1990年から暴落につぐ暴落をしたので、1990年から始まったという説もある。

ただ、世の中の人たちの肌感覚では、この時期バブルが崩壊したとも感じていないし、そもそもその当時がバブルだったという感覚もなかったろうと思う。むしろ一般人にとっては、株価が暴落してからの1990~1994年が一番熱狂していた時代だったろうと思う。

世の中がやばくなっていたとは感じていたものの、いよいよ不景気と実感したのは、1997年の拓銀、長銀の破綻、山一証券の破綻だったろうと思います。


ちなみに、バブル期=ジュリアナだと思っている人いるんだけど、ディスコ史的にはそう簡単な話じゃありません。「ジュリアナ」ができたのは1991年、実はその前に、麻布十番の「マハラジャ」が1984年にできています。青山の「キング&クイーン」が翌年の1986年。サラリーマンとOLだらけで繁盛した日比谷の「ラジオシティ」も同じ年にできています。

当時、ディスコには「チークタイム」というのがありまして、暗闇で男女が抱き合って踊ることが許されていました。公認のナンパタイムです。チークタイムのためだけにダンスタイムは女性を物色する男たちの目がぎらぎらしていたもんです。

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この表には載っていませんが、六本木と言えばスクエアビルというディスコビルがあって、そこがまあメッカだったことは確かです。「ネペンタ」「ギゼ」「玉椿」、伝説的な存在となった「キサナドゥ」がありました。ちなみに、この「キサナ」のオーナーはあのお菓子の不二家グループの一族だってことはあまり知られていない。さらに言うと、「水M」として有名だった銀座の「Mカルロ」は毛利ビルにあり、あの毛利一族の末裔です。

やば。ディスコの話を書きだすととまらなくなる。

マハラジャができる前まで、大体ディスコはフリードリンク・フリーフードだった。これが、貧乏大学生にはとっても助かった。当時、男性はもちろん女性からも入場料を取っていましたが、店長とかと顔なじみになると、女性だけではなく男性もタダで入れてもらえる。六本木界隈でいうと、「ナバーナ」というディスコがありまして、ここにはよくフリーで入って、ビュッフェのメシをさんざん食って、さんざん飲んで帰るなんてことをしたもんです。え?踊らないです。メシを食いに行ってただけです。


世代論(個人的に世代論が大嫌いですが)でいうと、僕自身は、実はバブル世代と呼ばれます。1986~1991年のいわゆる就職の売り手市場時代に新社会人になった人たちのことを指します。僕は1987年入社なので、新人類世代とも呼ばれます。

こういうと、「いいですね~。バブルの恩恵にあずかって」と言われますが、はっきり言いますが、

まったく恩恵にあずかってなどいません!


よ~く考えてください。入りたての新入社員が、給料も低ければ、経費も使えない。裁量権もないのに、なまじ景気がいいから仕事量は膨大。

バブル世代にとってバブル時代なんて仕事だらけの毎日ですよ。

バブルでいい思いをしたのは、今65~70歳以上の人たちなんじゃないかな。いいですよね。会社員時代は経費使いまくりで、今は悠々と年金もらって。


バブル世代とレッテル貼られた我々は、そういう先輩たちが遊び飲み歩いている時間も働いてました…というより、残業して残業手当を稼がないとやっていけなかったという事情もある。当時の残業とかはかなりゆるゆるで、青天井で残業代が払われる会社が結構あった。月160時間の残業なんてザラにあったし、するとほとんど給料2倍ですよ。会社に泊まり込むなんて普通だし、今から考えると超ブラックな働き方でした。

それでもみんな生き生きとしていたことは事実。それは、バブル崩壊まで強固だった終身雇用制・年功序列と右肩上がりの年収増が約束された社会だったから。これって、いまにつながるソロ社会化の分岐点にもなった時期で重要なんです。生涯未婚率が急上昇したのはまさにバブル崩壊の90年代からなので。この話は拙著「超ソロ社会」にも書いてありますので。


なので、バブル時代の武勇伝はほとんどウソだと思ってください。


実は嘘?バブル伝説の真偽TOP10と言う記事にまとめられていた。

〈ウソだと思う「バブル伝説」TOP10〉
1位 新入社員のボーナスが入った給料袋が立った 51.5%
1位 企業の内定者(学生)が風俗店に招待された 51.5%
3位 出張の際は会社からゴールドカードを渡された 50.0%
4位 タクシーは1万円札を振って止めた 48.5%
5位 接待などではロマネコンティをドンペリで割って飲んだ 39.5%
6位 会社にタクシー通勤する人が珍しくなかった 32.5%
6位 新幹線で出張する際は「グリーン車」が普通だった 32. 5%
8位 就職活動では説明会に行くだけで内定がもらえた 27.5%
8位 ボーナスを年に3回支給する会社が多かった 27.5%
10位 社員旅行で海外旅行に行く会社が多かった 12.5%

ただし、8位のボーナス3回支給は大企業なら結構本当にあったと思う。というのも、企業の売上がよかったことは事実で、決算ボーナスという形で還元しないとただ単に法人税とられてしまうから。また、10位の社員旅行が海外旅行もあった。それ以外は大体都市伝説です。

この話、いろいろネタがあるので継続して書いていきたいと思います。


長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。