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「葉隠」に思う。死ぬことを禁じられた武士の生きる道。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」

あまりにも有名なこの一節で、「葉隠」そのものを読んだことがなくても読んだ気になっている人が多いのではないか。僕もその一人だった。

これは、死ぬことを美徳として推奨する本である、とそう思っていた。


ところが違う。全然違う。

もちろん、明治から始まる帝国主義時代には、その一文が軍人の心得のように曲解して使われたし、この「葉隠」を座右の一冊として愛読した三島由紀夫は、自衛隊の市ヶ谷駐屯所で衝撃の割腹自殺をした。

そのことから、この本は狂信的な新興宗教の経典にも似た、死の洗脳本だと誤解されている。

三島由紀夫による解説本である「葉隠入門」を読んでみて、それがわかった。

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佐賀藩武士山本常朝が記した(実際には書いたものではなく口述記だが)「葉隠」とは、「死ぬ」ことを教えるものではなく、むしろ「生きる」ことを教えたものであり、「生きる」上でのマナーや心がけを説いた、今で言う自己啓発本やビジネス書に近い。それも概念論というより実践書だ。

「私(わたくし)に基づいて考えている限り、知の働きは邪なものになってしまい、本当の知恵は湧いてこない、

「公(世のため人のため・主君・国家のため)に思いを馳せ、知恵を絞ったときこそ人間の知性は大いなる力を発揮する」

「固定観念を持つな」

「困難にぶつかったら大いに喜べ」

「損得だけで物事を判断するな」

「部下をよく褒めよ」

「人には寛容であるべし。見逃し、聞き逃しをしろ」

その他にも、「アポなし訪問はやめろ」とか「会議の前には根回ししろ」とか生々しい話もあるし、「あくびの止め方」などという 些末な話もある。

現代語訳で読むと、今のサラリーマンに通じるところが多い。当時、「男が女化している」「若者があまりに合理的・利己的になってきている」「芸能人がちやほやされすぎている」と常朝も指摘している。今と何ら変わらない。また、三島がこれを書いた昭和40年代も同様に「男の女性化」が叫ばれていたとか共通していて、面白い。

日頃から死を意識し、覚悟を決めて生きることこそ、「生」を輝かしいものにするのだ、という部分には共感する。ただ生きるためだけにだらしなく生き続けるのではなく、打算を捨てて死ぬ気で頑張る生き方である。

人は自由であると、自由を実感しない。服従や制限があるからこそ、自由の喜びを実感するのだ。それは、「死」の意識があればこそ「生」の意味を知ることと同じ。

そもそも常朝自身が、死ぬべき時に死なせてもらえなかった武士である。常朝の生きた時代は、元禄期。もはや合戦もない時代だ。彼は、主君である佐賀藩鍋島光茂の死に伴い追腹するつもりだったが、殉死禁止を言い渡され、その後61歳ので生き、畳の上で死んだ。大いなる矛盾である。

戦国時代には、武士と死とは隣り合わせの日常だったはず。だからこそ、その時期、武士は「生き残る」ことが至上命題だった。足利尊氏など何度戦に負けても自害せず逃げ延びた。織田信長も浅井長政に裏切られた朽木越えでは、恥も外聞もなく単騎で逃げ帰った。山崎の合戦で農民の竹やりに討たれた明智光秀も然り。関ヶ原で切腹しなかった石田三成とて同じで、決して死ぬ勇気がなかったからではない。武士とは元来そういうものだった。死の意識がいつもあるから生きるために行動できた。むしろ簡単に「自死」する方が恥なのだ。

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ところが、合戦がなくなれば、戦う武士はもはや用なし。死ぬということも縁遠くなり、切腹さえも禁じられる。武士の日常である「死」が非日常となったからこそ、「死」について意識することの大切さを説かないと、武士が武士である意味を失うのだろう。

武士=男と言い換えてもよい。

そして、死=男らしさを貫く、と置き換えてみたらどうだろう?

「男といふは、男らしさを貫く事と見つけたり」

現代に生きる男性にとって、男らしさとは、ある種「武士にとっての死」と同じものなんではないか。

男らしくあることで自己のプライドを満足させようとし、男らしくあろうとして自殺を選んだりしてしまう。男らしさを過度に意識する人に限って、実は「男らしさ」に依存している。


「葉隠」に書かれた心得の中には、今もなお通用する「男らしさ」の原点が書かれている。つまり「弱音を吐くな」「健康であるより、健康的に見えるように心がけよ」というやせ我慢の精神だ。このあたりの意識というのは、何も「葉隠」に始まったことではないが、いつの世も男たちを追い込むものであることに違いはない。

男らしさとは生き様であるはずなのに、男らしくあろうすると死への誘惑に駆られてしまうという矛盾。男らしさを守ろうとすると、死ぬしかなくなるというパラドックス。それは死を選んだとかという話ではない。その道しかないという状態なのだ。

そもそも日本人=武士という考え方が大いに間違っている。日本の9割以上は武士以外の百姓であり、今生きてる人間の大部分も先祖は武士以外だ。

百姓の「男らしさ」の概念があったかというと甚だ疑問。百姓としての矜持はあったことが史料からはわかるが、決して無駄死になどしない。一向宗のようにカルト宗教に洗脳された輩は別にすれば、百姓は粛々と生きた。死は時折やってくる地震や火事や水害や飢饉のような自然災害と同様、「自ずからやってくるもの」という意識があった。それが「しょうがない」という思想である。

この「しょうがない」は決して後ろ向きな言葉ではない。死なんて全員に必ず訪れるものなのだから。早死にしようが、大往生しようが、それは「しょうがない」のである。

当然だが、我々は、生まれてくることを選択してはいない。同様に、死も選択できない。死とは選択するものではない。死とは自ずからやってくるものでしかない。

この「しょうがない」の対極にあるのが「〇〇すべき」という規範原理だ。「男とはこうあるべき」「武士とはこうあるべき」という規範は、ある一定の共同体の秩序を保つには奏功したろう。しかし、それはその規範を守れる自己の役割があった時までの話。

戦いを禁止された時点で本当は武士は死んだのだ。にも関わらず、武士として存在し続けるために、死というものを概念化する必要があった。でなければ自己の存在理由を失うからだ。

つまり、こう考えると腑に落ちる。「葉隠」における「死」とは、概念上の尊厳死なのだ。殉死を禁じられた武士、本来の日常を取り上げられ、ただ気概もなく生き続けなければいけない状態に追い込まれた武士にとって、実践としての死ではなく、せめて死を意識することでしか自らの生の意味を実感できなくなっていたのではないか。

いつくるかわからない不確実な未来の死なんて考えたって「しょうがない」のである。そんなものを考えている人間は、逆に言えば暇なんである。一生懸命生きていれば、そんな余裕はない。言い換えれば、死なんかを考えている人間は、もう今を生きていないということだ。


三島はこう最後に論じている。

「(正しい死などない。)いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである」

その通りだが、この「葉隠入門」を書いた三年後、三島は自決する。あの死は犬死に時そのものだったのではないか?とも思うのである。

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