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体験量が人生を変えてくれます😊

盛夫の朝の備忘録#890

おはようございます😊

昨日は、4月の資金調達のリターンのお仕事で、美里町の渡辺さんのお宅の庭木の剪定と草刈りをやってきました。

渡辺さん前金予約ありがとうございました😊
心より感謝しております😊

これで、資金調達のリターンのお仕事もあと2件で終わりです😊

本当に感謝しかありません😊

さて、生きてりゃ人生色々とあるもんですが、やっぱり生きてるだけで丸儲けとしか思えないもんです😊

世の中には、色々な思想や學問があり、人々は色々と探求してきましたが、まだまだ私が知らない事は多くて、学びきれません。

人類全体での學問知識は、とてつもない量であり、私には想像も出来ません。

學問分野から覗く人類全体は、凄い事になっていますが、幸せに生きている人達は、案外少なく感じてしまいます。

何故こんな事になっているのか?

1つ言えるのは、學問との接し方が、どうも違うように感じます。

そもそも學問を学ぶのは、とても樂しい事なんですが、学校教育の時期は、私はとても苦痛でした。

どうやら、何かが間違っているようですが、今の私には教育問題に関しては、興味関心はありますが、どうする事も出来ません。

今の私は、学校の教育問題よりも「もりお屋」の仕事の方が優先順位が上なので、この学校教育問題には、今のところ関わる頻度は少ないです。

人生は、関わる事が時期によって限られています。

生きてりゃ、時間が限られているし、関与出来る事もやっぱり限られてきます。

そうなると必然的に、人生で関わる優先順位が、人生の時期によって変わってきます。

それに、目には見えないご縁の糸と運が作用して、それぞれの人生の御役目を果たす為に、関与出来る分野に人生が振り分けられてきます。

産まれた時代、産まれた国、産まれた地域、産まれた環境、などなど様々な条件を背負って、私達は生命を宿し産まれてきます。

ですが、自分の人生の御役目に氣付くのは、人それぞれに時期が違います。

人生の通過儀礼を経て、御役目に氣付き、御役目を果たして、最後は死んで旅立ちます。

どうやら、人は死ぬ時に最後に何かに氣付くようですが、私が何に氣付いて死ぬかは、今の私にはわかりません😅

それは、私が死ぬ時の樂しみに取っておきます😊

さて、人々は様々な生き様を示して、生きています。

私も私の生き様を示して生きています。

そして、生き様を示す事は、自分の選択の積み重ねであり、暮らしの中に表れ、人柄となって浸透していきます。

日頃の行いの積み重ねの重要性に氣付くと、生き方は明らかに変わります。

今の暮らしに苦しんでいる人は、習慣を見直せば、氣付く事が増えて、生き方は変わり、人柄も変わっていきますが、多くの人は行動変容を継続出来ずに挫折します。

挫折や失敗もまた愛なのですが、習慣を変える行動変容が継続出来るようになるには、やはり氣付きが必要となってきます。

氣付きの価値に氣付くと、学びが樂しくなり、学びの習慣が生まれ、行動変容が樂しくなり、人生がいつの間にか変わっています。

それが學問の樂しさであり、自己啓発の喜びになります。

苦しさから抜け出そうとして、要点だけを押さえて、最短で人生を変えようとしても、苦しいだけで、継続はほぼ不可能です。

また確かに、氣付きの価値に氣付く事で道は拓けますが、氣付きの価値に氣付くには、道筋などないので、人それぞれの人生の通過儀礼を体験するしかありません。

だから、学びを軽んじて、学びを誤解して、要点だけを押さえて要領よくやろうとする近道や抜け道や最適解などに走るのは、机上の空論であり、幻想というわけです。

家族との毎日の暮らしと、外の世界との関わりの仕事の中に、学びはあり、沢山の感謝の種に氣付く事で、悟りは存在し、目の前の人が生き方を示しているだけの存在だと氣付く事で、自分と他人の関わりの距離感が見えてきます。

他人に感謝し、自分に感謝出来るようになると、御自愛の想いが溢れて、愛を感じるようになってきますが、私が言葉でどんなに書いても、皆さんには真意は残念ながら伝わりません。

実際に行動に移して、体験をしなければ、何も氣付くことはありません。

氣付きとは、行動体験から得られるギフトです。
なので、行動を怠ると体験できなので、氣付きは得られません。

だから人生には、体験が大切なのです😊

体験量が人生を変えてくれます😊

最後まで読んで頂きありがとうございました😊

ご縁に感謝しています😊
御自愛ください😊
良き1日を😊

日日是好日😊
2024年5月9日(木)
皐月、立夏、蛙始鳴 (かわずはじめてなく)

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