「春」を詠う

 高校生という多感な時期に考えたことは尊い。

 高校時代のお世話になった尊敬する先生の座右の銘が「If Winter comes, can Spring be far behind ?」であった。学校の会報誌かなんかで、先生ごとに一言ずつテーマについて答える形式の記事にさらっとこの言葉が書いてあった。
 最初はWinterとSpringが大文字になっているし、なんだかつかみどころがない詩だと思った。この意味についてちゃんと考えたのは、受験が終わって高校時代を振り返った時期だったと思う。
 先生の座右の銘は英語のことわざだろうと思っていたが、これはPercy Bysshe Shelleyという有名なイギリスの詩人の詩のなかに登場する一節だった。意味は日本語では「冬来たらば春遠からじ」と訳されている。ごく単純な解釈では、冬がくれば春はすぐに訪れるという意味だ。
 卒業生のあいだでは非常に有名な話であるが、この先生は英語科の核である先生で、大学の専門は英文学で院まで進んでいるが、そのあとはミュージシャンとしてCMにも何曲か利用されたくらいまで活躍した異質な経歴をもつ先生で、一般的な教員とは明らかに異なる。そういう意味でも僕は彼を「先生」と呼ぶ。
 その英文学に精通した先生がわざわざこの一節を引用しているのは深い意味があり、そこには彼なりのロマンがあるはずだと直感的に思った。このシェリーの詩を読むと、やや古い英語で訳が必要だが、最初に疑問に思ったWinterとSpringが大文字である意味がわかった。いわゆる擬人化であり、季節を人に置き換えている。詩全体として、季節が移り変わる様子が力強く、明るく描写されていて非常に美しい。悩み事があってもそんなことはどうでもよいと感じることさえある。
 原題は「ODE TO THE WEST WIND」、西風に寄せる詩と訳されることが多い。

   
     ここでシェリーの詩を是非読んでみてほしい。


どうだろうか。大人たちの応援ソングといってよいのではないだろうか。思うに、先生がこの詩を載せた背景としては、受験生への応援メッセージという部分もあったのではないかと思う。受験は実際の季節的にも冬で、合格発表は春。そして辛い時期を超えれば、志望先での新しい大学生活、春がやってくるという意味にも重なる。この時点で、この先生の粋な答え方に感動した。記事に載っていた箇所だけ見ても、冬来たらば春遠からじ、というメッセージを伝えられるし、さらにこのシェリーの原作全体に辿りついた生徒にはさらなる知的好奇心、深まる解釈、そして強い応援メッセージが届くような仕組みになっていたのだ。
 ただ、先生の面白いところはここでは終わらない。序盤にかいたように、先生はミュージシャンという経歴を持つ。僕は個人的に「崇拝」レベルで尊敬し、興味をもっていたので、彼の現役時代の曲は20曲くらいは知っている。そしてその曲のなかに「シェリー」が曲名に入っている曲がある。それを初めて聞いた時は、シェリーの詩も知らなかったし、座右の銘としての一節も知らなかったから、よくわからないけど季節感がきれいな曲だと思っていた。その歌を、シェリーの原作の存在、先生が最後の一節を学生に見られる記事の一か所で載せたこと、先生が英文学専攻であることなど、背景知識が増えてからきくと、全く違う歌に聞こえた。その歌はシェリーの詩に対する先生自身のアンサーソングといってよいかもしれない。どのくらい感動したかは実際に試してもらうしかないと思う。ただ一つ言えるのは、本当にしんどいときに寄り添ってくれる特別な歌であることだ。おそらくそこには、個人的に先生の授業を受けたときの思い出、高校で一緒に苦しみもがいた仲間たちとの記憶、みんなと第一希望に行けなかった大学受験への悔しさ、結果としての大学での素敵な出会いとかといった、高校から大学にかけての喜怒哀楽が反映され、それも作品の一部として僕のなかでは認識されているのかもしれない。
 
 さて、実は今回の記事のテーマは厳密にいうとこの詩についてではない。この詩にある概念そのものを共有したいと思って書いている。
 このシェリーの詩の一節、いわゆる冬来たらば春遠からじは、意味的に捉えるとこれまでに他にも遭遇したことがある。
 「古今和歌集」のなかに清原深養父というひとの和歌が収録されている。その人が同じようなメッセージを詠っていたのである。

「冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ」
こっちのほうがシェリーの詩より冬らしさをイメージする印象があるが、どちらもほとんど同じ解釈ができる。おそらく恋文なのではないかとは思うが、時代と地域をはるかに超えて似た感覚が人類に共通するのは面白い。



これから多くの友人たちとともに、ゼミ試験であったり、就活の開始、インターン、留学の選考、体育会、サークルの主戦力としての新シーズンなど、学生時代として振り返るとおそらく「ビッグイベント」となると思われることが増えていく。高みを目指す挑戦者ほど壁に当たり、自分の限界に直面し、悔しくて苦しい時間を耐えていくことになるだろう。春を迎えるには冬を乗り越える必要があるのなら、冬が訪れたとき、それは春へのチャンスなのかもしれない。


冬が来る。それでも春を諦めたくない。
遠くへ    遠くへ   もっと遠くへ

文責:WTNB


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