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人の評価は十人十色。だから恐れることはない

よく「他人の評価、評判が気になる」ということを耳にしますよね。わたしも普段、極力「気にしない」ようにしているんですが、どんなに気にしないと思っていても、考えていても、どうしても気になります。


あの人はどう思っているのかな?あの人に好かれているのかな?それとも嫌われているのかな?って。その想いを胸に秘めて日々会話をしていたりします。もっと自由に発言できたら、こんなに楽なことはない。


そう思っているのに、それができず。あの人に「好かれる・好かれない」を判断基準に、言葉を発する、しないだったり、対応を色々変えてしまったりしています。


本当はそんなことしたくないのに。


わたしにはまだ「嫌われる勇気」が足りないのかもしれません。頭では、学習して、知識としては知っているけれども、実践するのは躊躇ったり、文字通り勇気が出なくて、踏み込めなかったりしています。


でもですね。


実際に嫌われる人、嫌っている人はたくさんいるかもしれませんけど、100人中100人全員が、その人を「嫌い」と思うことは、ほぼありません。


どんなに嫌われている人が多くても、中には「いや、そうじゃない。あの人は素晴らしい人だ!」と思う人は、世の中には何人もいます。


仮に「わたしのことを好き」という人もたくさんいるのは知っています。そしてそれ以上に「わたしのこと最低、大っ嫌い!」と罵るくらい、わたしのことを嫌いな人の存在も知っています。


つまり、「わたし」という存在に対して「好き」と思う人もいれば「嫌い」と思う人も当然いるわけです。


どうしてそう思うかは、ある種の「評価」を受けていて、その結果、その人にとってのわたしの評価が決まります。それが「好き」とか「嫌い」とか。


できれば、万人に好かれたいと思うのが人情ですが、世の中そううまくはいきません。お分かりだと思いますが、長く人間生活を営んでいると、わたしのことを好いてくれる人もたくさんいますけど、それと同時にわたしのことを、めちゃくちゃ嫌っている人もいます。


それが世の中の道理です。


これはどなたであっても避けられない。


もし万人全てが「わたしのことを好き」と考えるようになったら、「わたし」という存在が、今のわたしではなくて、多分別の何か神々しい存在になっているのかもしれません。


もちろん、そんな大それた存在になりたいと思いませんし、あくまで仮定の話ではあるんですけれども、誰からも好かれるというのは、すなわちそういうことを表すんではないでしょうか。


人の評価は十人十色。


あの人は、「いい」と評価してくれていても、別の人が「全然ダメダメ」というレッテルを貼ることもあるかと思います。


そんなときにその評価に一喜一憂するんではなくて、「ふーん、そうなんだ」と一呼吸おいて、わたしの評価を受け入れるというのが、Globalでの受け止め方になるんじゃなかろうか?って思います。


それでは、また。

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