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思い出のロックオブジブラルタル

新年、ずっとボーっと過ごしているのもなということで、「#私だけかもしれないレア体験」について書いてみようと思った。

とは言っても自分は、就活で必ずと言っていいほど聞かれる「学生時代にがんばったこと」という質問に対して、ありきたりな回答しか準備出来ないような人間である。

なので、大したレア体験なんてものは無いのであしからず。


さて、そんな自分が生まれた家は、夕食時のテレビで流れているのは大体グリーンチャンネルという感じの競馬好き一家だった。

そのグリーンチャンネルの海外競馬情報を紹介する番組の中で、昔欧州の3歳路線の勝ち馬を予想するというPOG的な企画をやっていた。

ある日の朝起きてみると、父親がその企画に応募しようとハガキと候補馬のリストを印刷して準備していた。

自分も学校に登校するまでの少しの時間、印刷されたリストを眺めながら、良くわからないので取り敢えず気に入った名前の馬を選び、学校カバンの中から取り出した鉛筆でハガキに名前を記入していった。

そんな鉛筆で記入した馬名の中にあった、ロックオブジブラルタルの名前。

企画の応募段階ではそれほど注目されていなかったロックオブジブラルタルだが、英2000ギニーと愛2000ギニーを勝利し、気付けばこの世代のマイル路線のトップホースとなっていた。

そんなロックオブジブラルタルを指名し、鉛筆書きのハガキで応募していた10代前半の自分。珍しい存在だったこともあり、なんと、番組の中で鈴木淑子さんと合田直弘さんの話題にしていただいたのである。

そう、朝起きて適当に書いたハガキを日本における海外競馬解説の第一線で今なお活躍されているお二人の話題にしていただいた、これが自分の「#私だけかもしれないレア体験」である。


しかし、この話を思い出して感じたことは、自分からは一切なんのアクションも起こしていないということである。

応募しようとハガキを用意したのも自分でなければ、ロックオブジブラルタルを活躍に導いたのも当然ながらに自分ではない。

でも、「#私だけかもしれないレア体験」なんてものは、外的要因という運要素が必要になってくる話なのである。「レア体験をしよう!」と思ってアクションを起こしたところで体験出来るものでは無い気がする訳で、何であれ、こんな感じなのかもしれない。


思えば、就活で必ずと言っていいほど聞かれる「学生時代にがんばったこと」という質問。この質問に対する自分の持ちネタの1つはサークルの部長をやっていたという話だった。しかし、これも自分から何かアクションを起こして部長をやっていたという話ではなかった。自分はバイトでサークルにそれほど顔を出していなかった側の人間だった。でも、部長になるだろうと思っていた友人がサークル内恋愛のいざこざの渦中の人になったため、部長の座が回ってきたというだけであった。

ということで、あまりにも発展性が薄かったので就活の途中から、このサークルで部長をやっていた話もそれ程しなくなり、結局「学生時代にがんばったこと」の中心はバイトの話になった。

こういうひとつのトピックについて語らないとダメな就活の質問は、散漫な性格の自分にはなんともツラいのである。


しかし、そんな散漫な性格も悪いものでは無いと思っている。

貴重な体験というものは、ロックオブジブラルタルの話にしろ、サークルの部長話にしろ、結局は外的要因という、偶然の影響が強い話でしかないのだと思う。

そう思うと、散漫な性格というのは外的要因の恩恵を得やすい気がしている。「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」だったり、「あれがダメでも、これがある」的な話である。

昨日テレビで「フッ軽」という言葉を初めて知ったが、「フットワークが軽い」といった感じのポジティブな要素が散漫な性格には備わっている気がする。


が、ネットで調べると「フッ軽 死語」と出てきた。

もしかすると、中年に差し掛かっている男性の「フッ軽」は、若者の鈍足レベルなのかもしれないなとも思った。


自分と妻の実家に帰りつつ、テレビを観ながらボーっと過ごしていた年始だったが、初詣は久しぶりに年明けすぐの神社に参拝してきた。

「フッ軽」に神頼みした今年が、良い年になりますように。

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