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麻雀で振り込む人間は、競馬でも勝てないのです

先日、会社のメンバーで集まって温泉に泊まりで飲み会をしようという話になった。そして、飲みの余興に麻雀大会が開催されることになった。

自分は点数計算も出来ない麻雀素人なのだが、どうせやるならちゃんと準備しようと、恐らく大学生ぶりになる麻雀の感覚を思い出すため、ここ数日麻雀ゲームに勤しんでいた。

そして迎えた、当日。

素人にしては頑張ったと思いたいが、何とも冴えない結果に終わった。自分が打っていないとき、上手い人の打ち方を見ていたが、上手い人というのは酒で酔った思考の素人目に見ても本当に上手い。

捨て牌から相手の手を読んで、自分の手牌を流れるように変えていく。

素人な自分は、自分の思い描いた役を揃えるのに精一杯だった訳だが、それじゃあやっぱり勝てないよなというのを思い知らされた。

また秋に同じような場が開催されそうなので、その時までにはもう少し強くなろうと思う。コンピューター相手に読みを鍛えるのは難しそうなので、良い感じにオンライン対戦出来る環境でも探してみようかな。


さて、競馬は自分にとって素人とは言えなくらいに長く続けている趣味だ。

でも、自分の競馬予想は相変わらず、麻雀同様に必死に自分の思い描いた役を揃えるような感じになりがちだと、最近つくづく感じている。

麻雀が相手の点棒を奪い合うゲームであるように、競馬も馬券購入者同士がお金を奪い合うゲームだ。

必死に自分の思い描いた役を揃えようとしたところで、周りも同じ役を狙っていたらトリガミでアガれないし、逆に周りの捨て牌によって自分の狙っている役が揃わない可能性に気付かされることもある。

無理やり例え話にするとそんな感じで、競馬もただ必死に自分の描いた役を揃えようと予想するのは、よろしくないなと思っている。


例えば先週の京都記念。

自分の本命はマテンロウレオだった。

京都記念は長距離向きの馬が強いという思考のもと、プラダリアとマテンロウレオのどちらかを本命にしようと考えていた。そして、横山父&昆貢厩舎の組合せが何かやってくれそうで好きなのと、直近の成績が悪くてオッズがオイシイのを理由にマテンロウレオを本命にした。

結果はプラダリアのほうが1着。

オッズの動きをみると、マテンロウレオの単勝は直前であまり売れていなかった。中穴かつ直前であまり売れない馬で勝負するのは、よろしくないと思っているのに、結局のところ本命をプラダリアに乗り換えることが出来なかった。

そんな感じで、周りの手牌を読めるオッズというものは、競馬予想においてめちゃくちゃ重要なんじゃないかと最近思っているのだけれども、最初に決めた手牌をギリギリで崩すのは、なんとも難しい。

麻雀同様、鍛錬が必要である。


ちなみに記事タイトルに合う良い画像が手持ちになかったので、生成AIに「競馬と麻雀が好きな30代のイラスト」というお題で描いてもらったものをトップ画像にしてみた。

競馬、麻雀、ギャンブル、ハート、そしてやたらと30に引っ張られる

必死に自分の描いた役を揃えようとするのも良くないが、周りにあふれる情報にばかり気を取られていると、今度は生成AIの描いてくれたイラストのような意味不明な手牌になってくる気もする。

麻雀でも振り込むのを恐れて自分のアガリを早々に放棄してしまうのは良くないらしいが、競馬においてもオッズに振り回されて自分の予想を変えるのが良くないことは痛く知っている。

京都記念も本当に悔いるべきは、プラダリアを本命に変えられなかったことより、逃げ馬好きなのにオッズにビビッてバビットを買えなかったほうなのかもしれないなとも思うのでした。

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