もしも愛知が日本から独立するならば

僕がスペインを訪れた頃、バルセロナではカタルーニャ独立運動が熱を帯びており、赤と黄色のストライプが特徴的なカタルーニャの旗が至るところでなびいていた。バルセロナのような大都市とは言え、一つの自治体が国から独立するってどんな感じなんだろう。僕が暮らす愛知県が明日から日本国ではなくなると知ったら、僕はどんな感情になるのだろう。そんなことをぼんやりと考えながら、風に揺れる旗を見ていた。

旅をしていると、自国への愛国心や帰属意識を感じる機会が驚くほどに多い。グローバリズムが浸透してきた現代では以前ほどの出身国の違いは重視されなくなってきたことが背景に愛国心という概念も世界中で薄れていると勝手に思っていたが、敗戦の苦い経験から「愛国心」を持つことが苦手になった日本だけを見てきた勝手な偏見だったということを知った。

自分のアイデンティティを確立する上で出身国というものは非常に重要な問題である。僕は日本以外の人に自己紹介をする時には当たり前のように「日本出身」だと伝えるのだが、アメリカ人に出身地を尋ねると必ず州名で答える。僕は最初、日本人が出身地を聞かれた時に都道府県の名で答えるそれと同じ感覚だと思っていたのだが、州ごとに独自の法律、文化、政治が確立しているアメリカは文字通り合衆国であって、彼らがアメリカという一つの概念よりも州にアイデンティティを感じている現れだったことに気がつく。

ウイルスが大流行した2020年、外出する機会が減り読書の量が増えた。そんな中あるSF的な物語と出会った。SF作家の樋口恭介がWiredに寄稿した短編小説は「Revolution, and keep on danving -踊ってばかりの国-」という題名で、パンデミックにより政府に踊ることを禁じられた岐阜県郡上市を舞台にした物語である。

この物語で郡上市は彼らの魂でもある「郡上踊り」を禁じられたことをきっかけに独立を果たす物語であるのだがが、この物語は独立に何よりも面白いポイントが郡上踊りを中心に人が感情を抱き、行動を起こすことを現実問題と上手く噛み合わせながらストーリーが進行していく点である。自分の身に代えてでも守りたい何かを保有することこそが、アイデンティティだと気づかせてくれた。

その上で、僕は愛知が日本から独立するとなれば戸惑う。何故ならば郡上の踊りに変わるような、自分の何かを捧げてでも守り抜きたい“それ“をまだ僕は愛知県に見出せていないからだ。愛知県どころか、生まれ育った岡崎市も、今暮らしている名古屋市でもだ。

カタルーニャで独立の為に戦っていた人々と言うのは、スペイン人としてとよりもカタルーニャ人としての誇り、歴史、文化を守り抜きたいという強い願望が現れていたのだと思う。

愛知県が日本から独立することはメリットに思う人はいないだろうから、現実には起こることのない空想上の話だ。でも僕は、自分が日本人であると同じくらい愛知に誇りを持つことに憧れる。僕は、地球人であり、アジア人であり、日本人であり、愛知県民だ。この膨大なアイデンティティが存在するのであれば、せっかくなら出来るだけ多くのアイデンティティを構成する要素を持ちたい。それこそが違いを享受する力にもなり、違う視点を持つことができる人になる一つの方法だと思うから。

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