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マスクと変身とわたし(『スパイダーマン:スパイダーバース』を観た感想)

なぜ、ヒーローはマスクをかぶるのだろう。

もっといえば、なぜ、アメコミヒーローは活躍する前に「着替える」のだろう。「変身!」をやらないのに、着替えるだけで、なぜ強くなれるんだろう。小学生のころから、漠然とそんなことを考えていた。

※冷静に考えれば、アメコミにだって変身するヒーローもいるのだと思う(映画館の予告で『シャザム』が変身していたのだから)。ただ、私は、『Dr.スランプ』に出てきた「梅干し食べてスッパマン」経由で「スーパーマンは電話ボックスで着替えている」という偏った知識ひとつを覚えたきりで、そのままアメコミに触れずに大人になってしまった。

そして、三十代半ばにさしかかって『スパイダーマン:スパイダーバース』を観た。
ちゃんと「アメコミ」の概念に触れたのは、人生で初めてだった。



感想はまず第一に、楽しかった。映像が楽しくて、バラエティ豊かなスパイダーマンたちがわちゃわちゃ頑張るやりとりが楽しくて、観終わったあとに元気になれる映画だった。好き!
あとペニー・パーカーがかわいい。チョコパイとかあげたい。

そして、私なりに少しだけ、「変身」でなく「着替え」をする意味を理解できた気がした。
『スパイダーバース』を観ながら強く感じたメッセージはこうだ。

突然変異の蜘蛛に噛まれなくても。

特別なアイテムなんてなくても。

選んでほしかった運命に、自分が選ばれなくても。

自分の名前が、苗字が、今いる場所の全部全部が大嫌いでも。

みじめで悔しくて、消えてしまいたい自分があっても。

着替えればいいんだ。マスクをかぶればいいんだ。そうして、僕は別の人間だ、ヒーローだ、なりたかった誰かなんだ! って叫んで、まとった衣装に似合う自分になろうとすればいいんだ。

君だってできる、なれる、君は「ひとりじゃない」!

ラストシーンからはそんな、作り手の想いが伝わってきた。
スパイダーマンの…「彼ら」が住むN.Y.の摩天楼から発せられたメッセージには、魔法少女や変身ヒーローとは違う地平での「祈り」が込められていたと思う。

勇気の源泉に続く道はひとつじゃない。
そういうことなのだ。


さいごに。

この感想記事を書くにあたってちょっと調べてみたところ、スーパーマンのクラーク・ケントは宇宙人だったことを知った。今、知った。

……あー、そうかあ。スーパーサイヤ人みたいなものだったのかあ。

ヒーローになるために「着替えている」わけじゃなかったのだ。宇宙人だけれど、人間とともに暮らしたいから「冴えない人間の服を着て」いて、その服を脱いだだけだったのだ。勘違いもいいところだ。

なんだ
なーんだ。

でも、本質は同じなのかもしれない。
私たちは、なりたい姿になるために服をまとう。

スーパーマンですら、そうなのだ。

勇気のあるメッセージが嬉しい。観てよかった。

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