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「親ガチャ」ほんとにあるよねって話

なんでこれ1本目かって、私(25歳)=「親ガチャありき」だと思ってるから。
なんか言葉並び的に軽っぽく聞こえるけど、正直そんなことない。
共感できる人も多いんじゃないかな?
これは「親ガチャ」ない・あるって考えるどっちの人にも見てほしいな。

私が親ガチャありきだなと思ったエピ

「親ガチャ」って言葉は某Youtubeチャンネルで聞いたんだけど、
「親ガチャ的に、医学部に行きたくてもお金がなくて行けない人がいる。」
的なことを聞いた時。
       あーわかりやすい
って思った。
と同時に
     なーんて軽い言葉並び(笑)
とも思ったけど。
でも今までに習い事も、進学も躓かなかったのって、そのチャンスをそもそも掴める土台にいたからだなって思う。
勉強するのって自分だけど、じゃあ送り迎え誰するの?教材費だれが払うの?てなったら、それなきゃできなかったことってたくさんある。
小4から高校までずっと送迎してくれて続いたバレーも、地方から上京しては入れた大学も、その選択肢あったこと自体幸せな話。
そーゆーステータス的なことだけじゃなくて、友達とか大人に恵まれてたのも、この人間性を形成できる「親」の教育土台があったからだよね。

「親ガチャありき」に気づいてみて

  そーいえば私親ガチャありきだ、
って気づいてみて、どれだけ恵まれていたかを認識したよね。
めっちゃ裕福でもないのにそう思えるこの幸福度?
これを既にこの歳で獲得できてることってすごい幸せな話。
あとは、色んな人に会う中で、その人を否定することがなくなった。
やっぱ私が知らない今までの人生過程がその人にもあるなって思って、どんな悪く見える人でも、一概に「嫌な人」って思えないんだよね。

「親ガチャ」をどう今後に活かすか

仕事とかし始めて、
「未来像」とか「人生設計」とか、先の事をたくさん考える機会がめっちゃ増えた。
そーゆーときって今の自分のスキルとか、今の価値観とか、今したいことから考え出して、過去の事ってあんまり考慮してなかった。(私だけかな?笑)
先を考えるあまり、そもそもここまで幸せに生きてこれた過程を振り返る機会が少なくなって悲しい。

親から上手く愛情をもらえていない人もいるこの世界で、この自分がもらえた環境に感謝できる時間をもっと増やしたいし、ちゃんとそれをその分家族だけじゃなくて他の人にも還元できる人になりたいよね。

何はともあれパパママ本当にありがとう。
って思いながら日本酒「不動」を片手にタイピングするwindyでした。



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