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【映画感想】バーフバリ 王の凱旋は現代に神話の英雄を蘇らせた

大変ご無沙汰しております。人のプーさんです。

お前たちはもう絶賛公開中の「バーフバリ 王の凱旋」を見たか? 俺は昨日やっと見た。一部の通のあいだで絶賛されているらしいことは知っていたが、なんか上映館も少ないし、上映時間はやたら長いし、どうも以前ヒットしたインド映画の続編らしいし、「おもしろいって言ってもどうせ『インド映画としては』って但し書きがつくんでしょ?」とろくにインド映画を見たこともないくせに侮って後回しにしていたのだ。そして激しく後悔した!

これを後回しにするなんてとんでもない! バーフバリは俺の中で知らず知らずのうちにこり固まってしまっていた「アクション映画とは」「ヒーローとは」「物語とは」といった固定観念をすべて木っ端微塵にぶち壊した。そして俺の世界を広げてくれた……これまでにないほど鮮烈で刺激的で、それでいて安心するような新しい世界へ、バーフバリは連れて行ってくれた。

だからもしまだお前たちの中にバーフバリを見ていない者がいるならとにかくすぐに見ろ。都内だと丸の内TOEI、新宿ピカデリー、昭島MOVIXは少なくとも今週いっぱいやっているらしいが、その後はいつ終わるか知らないし油断しないほうがいい。

一応続き物だが気にする必要はなく、むしろおいしい

この映画は続編だと書いたが、その点は一切気にする必要がない。冒頭に3分でわかるガールズ&パンツァー的なダイジェストがあるし、その内容もここで言ってしまうと「拾われ子だったバーフバリが実は悪者に国を追われた王子だったことを知って悪者を懲らしめに行き、中ボスを倒す」というだけだ。今作では「民に愛される王の中の王だったパパ・バーフバリが悪者に国を追われるまで」の話がメインに描かれるので、時系列的にはむしろこっちの方が先である。そしてラストで視点が一作目の主人公だった子バーフバリに戻ってきて、子バーフバリが悪者を倒すクライマックスを迎えて終わる。ついあらすじを全部言ってしまったが、それでおもしろさが損なわれるような類の映画ではないのでネタバレがどうこうという苦情は受け付けない。

ちなみにパパ・バーフバリと子バーフバリは同じ役者が演じており、性格や能力もほとんど同じでヒゲの長さくらいしか違いがない(というか二人とも『完全なる善の英雄バーフバリ』なので実際同じ存在だといえる)。だから「アアーッ!王の中の王バーフバリ(父)が卑劣な策略で殺された!許せねェ!」と思った次の瞬間には傷一つないバーフバリ(子)が悪者を懲らしめに乗り込んでくるわけで、そのカタルシスはすごい。まさしく王の凱旋である。

すなわち一大叙事詩バーフバリ・サーガの盛り上がるおいしいところだけを集めたのがこの映画ともいえるわけで、前作を見ていないことを心配する必要は一切ないどころかむしろこっちだけ見ても問題ないのではとさえ思う。まあ俺もまだ前作みていないので適当なこと言うなと前作ファンに怒られるかもしれないが、とにかく王の凱旋は見るべきということには異論は出ないはずだ。

アクション、映像、キャラ造形、話運び……全てが神話レベル

さて、上であらすじをラストまで言ってしまったわけだが、ご覧の通り話自体はとても単純である。ではなぜバーフバリはそんなにすごいのか? 見た直後は言葉にできない感情の奔流が湧き出して「とにかくすごかった」としか言えなかったが、一晩経って考えてみると、たぶんあれは神話の文脈で映画を作っていたんだと思う。

神話や伝説、昔話の英雄は、明らかに物理法則を超越したことをさらっとやる。「身の丈よりも大きな岩を片手で投げ飛ばした」、「放った矢が夜明けから日没まで1000里飛んだ」、「3000頭の牛の30年分の糞を1日で掃除した」等々。それに神話の英雄は、特に説明なく英雄だ。うじうじと「力とは……責任とは……」と思い悩んだ末にようやく立ち上がったりせず、いきなり怪物や悪者を退治しに行く。なぜなら英雄だからだ。そうした神話的英雄像というのは、神や自然とともに生きた時代の人々の「とにかくスゲェ!」という畏敬の念の精髄だ。だが俺たちは情報化社会……スマホ……予測変換……そうしたものに囲まれて生きるうち、次第に感受性をすり減らし、神話や伝説をそのまま読んだり聞いたりしても「いや、冷静に考えてそれはありえねーだろ」とか「人物に深みがないんじゃないの?」とか言って冷笑するようになってしまった……神秘への畏敬を忘れ去ってしまっていた……。

「バーフバリ 王の凱旋」はそうしたプリミティブなパワーを秘めた神話的英雄譚の精髄を、みごとに現代の最新の映像技術にそのまま落とし込んだ。つまり最新のVFX技術、カメラワーク、ワイヤーアクション、これでもかというスゲー数のエキストラ(たぶん万単位で動員してるはず)などを使うことで、情報化社会ですり減った俺たちに心にも届くよう神話の英雄譚を翻訳したのだ。

この映画を見たとき俺の中に荒れ狂った感情は、おそらく原初の時代、洞穴の中で暮らしていた俺たちの先祖が長老から英雄譚を聞かされて瞳を輝かせ胸を躍らせたときのそれと、きっと同じだ。

映像と音楽の暴力で徹底的にわからされろ

まあいくらすごいすごいと言ったところで具体的な話をしなければ伝わらないと思うので、いくつか紹介しよう。たとえばこの映画は冒頭いきなり、国母シヴァガミ様(バーフバリの叔母?育ての母?まあなんか王国の偉い女性だ)が儀式のために歩いているところに暴れ象が乱入してくるシーンで始まる。あわや大惨事!

そこにバーフバリが割って入る。4階建てビルくらいのドでかい山車を一人で引っ張ってだ。暴れ象は山車によって堰き止められ、シヴァガミ様は山車の下の隙間を悠々と通り抜けて儀式を続行することができる。なぜ都合よくそんな場所に山車があったのか? なぜそんなものをバーフバリは一人で引っ張ってきたのか? そんな問いは無意味だ。なぜならこれは神話の英雄譚だからだ。

そしてバーフバリは山車の上にひらりと飛び上がり、道端においてあったカレー粉を暴れ象にふりかける……すると象はたちまちおとなしくなってバーフバリにひれ伏す。象はたまたま近くに置いてあった象サイズの巨大弓を鼻で持ち上げ掲げる。バーフバリがたまたま近くに置いてあった巨大火矢をその弓につがえて放つと、その矢は巨大なシヴァ神像へと過たず飛び、聖火が灯される。そして儀式はクライマックスを迎え、踊りに合わせて歌が流れ出す……。

どうだ? ここまでで10分経ったか経ってないかくらいだ。お前たちはもうこの時点で完全に、これが神話の英雄譚であることをわからされる。いや、神話だ英雄だと理屈で理解しなくても(俺も最初はただ映像と音楽に圧倒されるだけで理屈は追いつかなかった)、とにかく「なぜカレー粉?」とか「なぜ象サイズ弓矢?」とかいちいち考えなくていい映画だということは100%完全に理解できるはずだ。そうなればもう、あとは100%ストレスフリーの胸躍る神話的冒険への旅だけが待っている。

あと俺が個人的に好きなのは、ヘタレで武芸はからっきしだがプライドだけは高いという典型的無能な小国の王子が、凶悪な盗賊(といっても鎧で完全武装していてちょっとした国くらい滅ぼせそうな数千人単位の武装集団)に襲われるというピンチに際してバーフバリに「命を授けるのは神。命を救うのは医師。命を守るのは王族だろう!」と一喝され、急に強くなるシーンだ。俺はFGOというスマホゲームをやっているのだが、そのゲームではカリスマという味方全員の攻撃力を20%くらい上げるスキルがある。正直今までなんでカリスマで攻撃力が上がるのかあんまり納得していなかったが、このシーンを見て完全に飲み込めた。「攻撃力を上げる英雄のカリスマ」という概念が、この映画によってすさまじい説得力を持って完全に映像化された。

一周して万人向けになっているからとにかく見ろ

今まで俺がnoteで感想記事を書いてきた映画は、たとえ記事中で絶賛しているものでも「俺には思い切り深く刺さったけどそうでない人もいると思うし、俺と似たような好みの人が興味を持ったり共感してくれたらいい」くらいの気持ちで書いたものだった。

しかし「バーフバリ 王の凱旋」、これはかなり万人向けだと思う。なぜなら既に書いたようにこれは人類共通の起源に訴えかけてくる神話的英雄譚だし、それを彩るインド映画特有の歌とダンスも、プリミティブな感情に直接働きかけるものだからだ。いきなり象にカレー粉をかけておとなしくさせる映画なのに、全くイロモノではない。これはすごいことだと思う。

俺はこの映画を見て、自分の中にある「映画とはかくあるべし」「ヒーローとはかくあるべし」「物語とはかくあるべし」といった固定観念が、ただの偏狭な思い込みにすぎなかったことを思い知らされた。象にカレー粉をかける映画でも、映像に夢中にさせることも、人を感動させることも、カッコいいと思わせることもできるのだ。ただ2時間楽しいだけではなく、思い込みをぶち壊し、世界を広げてくれる。新しい可能性を見せてくれる。「バーフバリ 王の凱旋」はそんな映画だ。

円盤や配信を待つのでもいいが、ぜひまだ間に合ううちに映画館に行って大画面で見て、そして打ちのめされて欲しい。俺が言いたいのは、結局それに尽きる。

「今までnoteで感想記事を書いてきた映画」とか言ったがよく見たら全然書いてなかった。あれ? マッドマックスとか貞子VS伽椰子とかドラゴンマッハとかコクソンとか新感染とかHigh & LOWとか書いてなかったっけ? ないですね。まあ「Twitterで絶賛してた映画」とか適当に読み替えて欲しい。いじょうです

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