早稲田ラグビー大学選手権優勝。赤黒と荒ぶる

時間が経って気持ちも落ち着いたので、書き残したいと思う。

2020年1月11日。

早稲田ラグビー部が11年ぶりに大学選手権優勝。

「荒ぶる」を歌える代が誕生した。
後輩のみんな、おめでとう。と思う。

僕が早稲田ラグビーにいた5年前は、
「大学選手権優勝15回、最多優勝校の早稲田」
と言われていたので、今回で16回目の優勝だね。

この優勝は、会社の方々など、
早稲田ラグビー部以外の多くの方からもお言葉を頂いた。
「早稲田ラグビー優勝したね!おめでとう!」
「対抗戦の早明戦からの快進撃!」

僕は笑顔でみんなと会話したが、
自分の心情に気づいていたのでとても複雑な気持ちだった。

後輩が優勝して「自分ごととしての嬉しさ」とか「後輩への羨ましさ」という感情かと思ったがそうではなかった。

後輩の大学選手権優勝を見て、荒ぶるの歌を聞いて、最初出てきた感情は「自分に対する悔しさ」だった。

荒ぶるを獲れなかった事、そしてなにより赤黒を着れなかった事への悔しさが蘇り、思いだされてきたのだった。

母校の栄光、後輩が掴んでくれた優勝を祝えない先輩は極めてカッコ悪いが、
この悔しさの根源はやはり早稲田ラグビー独特の「荒ぶる」の存在かなと思った。

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【荒ぶる】

荒ぶるは、早稲田大学ラグビーの第ニ部歌で、大学選手権で優勝した時にのみ、歌うことが許される特別な歌である。

そして、優勝した年の最上級生のみが、
今後の人生で冠婚葬祭の時に歌うことが許される。

荒ぶるを歌う為に早稲田ラグビーは皆、4年間ラグビーにのめり込むのだ。

この歌は、大学1年生の時の夏合宿に、山奥で1度だけ練習する。(らしい)

というのも、僕は大学1年生の夏合宿で肩を脱臼して手術した為、その場に居れなかったからだ。

怪我で離脱したのはこの時だけだが、今でもとても気になる。
どんな風に練習したのだろうか。

インターネットで検索すれば何でもでてくるこの時代、過去の荒ぶるを獲った代の動画を何度も見て、厳しい練習/試合を積み重ねながら、優勝して、「荒ぶる」を歌う日を心待ちにしていた。

、、、そしてその日は訪れる事なく、僕たちは後輩に想いを託して卒業していった。

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【記憶】

僕の代は2014年12月27日が、最後の日となった。

ラグビー界は、高校も大学も、年末の予選を勝ち抜いて、「元旦越え」を経て準決勝、決勝に進む。

桐蔭高校3年間の全国大会、そして早稲田の一つ上の代は正月を越していた事もあり、

自分が大学4年の最終学年の時に、年内にチームとして引退した事実を僕は忘れて、社会人生活を送っていた。

これは本当に不思議な事だが、あまりにも強烈な記憶は忘れてしまうのだ。

感覚的には、記憶を箱にしまって、どこかの棚に置いておいた感じなのかもしれない。

僕が忘れていた「年内引退」は、社会人2年目の時、早稲田ラグビー部の同期飲み会で思い出して以来、覚えている。

「あの試合、勝てなくてごめん。」
トップリーグでも活躍している同期が泣き出し、皆で泣いた時に記憶に蘇ってきた。

そうだ、12月27日だ。と。

そしてその日は、フランカーとして試合に出ていた同期の誕生日で、試合後に泣き合いながらプレゼントを渡した事も思い出した。

それ以来、引退した日の事は、とても大切な記憶としてたまに思い出して、自分を奮い立たせている。

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【荒ぶるを歌わない人生】

在学中に荒ぶるを歌えなかった。
しかし、僕が社会に出て最初に荒ぶるに出会ったのは、荒ぶるを勝ち取った代の大先輩の結婚式だ。

その結婚式は、早稲田ラグビーの色が濃く、楽しく会が進んでいき、最後に「部歌」を歌う事となった。

早稲田ラグビー部メンバーが前にでていき、3列に並ぶ。

司会の女性の方が言った。
「優勝した代のみが歌える荒ぶるです!どうぞ!」

僕は思った。
「僕らは歌うのかな?歌わないのかな?」

そう思いながら両隣の”荒ぶるを獲ってない代”の先輩を見上げた。

2人は、凛々しい顔をしながら前を見据え、そして、しっかりと口を閉じていた。
歌わない選択をしたのだ。

周りが「荒ぶる」を歌っているその数秒はとても長く感じられ、
「そうか、やっぱり荒ぶるの意味は、ここにあるんだなぁ」と思った。

気づくとまた司会の方が話していた。
「続いて、第一部歌、北風です。」


第一部歌「北風」は優勝するしない関係なく歌うもの。
もう私も周りを見る必要は無くなった。
その北風は、皆が大きな声で歌い、とても迫力のあるものになった。

荒ぶるを歌えない代は、歌えない。
これを改めて実感したのは社会にでたこの時だった。

荒ぶるという歌自体は、本当は歌える。
これは事実だと思う。

自分1人で歌えばいいし、なんなら誰かと歌っても誰にも咎められないだろう。

法律に違反してないし、何より誰にも迷惑がかかっていない。

でもここが肝なんだと思う。

荒ぶるを歌わないと決めているのは、自分自身だ。

そこがとても美しい。

4年間、赤黒と荒ぶるを追い、その結果を背負いながら生きていくという事が、早稲田ラグビー部なのだと、僕は考えている。

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【北風】

北風は早稲田ラグビー部の第一部歌であり、試合前のロッカールームで歌われたり、卒業後は冠婚葬祭で歌われる。

「北風のただ中に、白雪踏んで」というキャプテンソロの歌いだしから始まる。

最初に覚えたのは、1年生の時の新人早明戦、新人早慶戦だろうか。

「戦争を跨いでも何十年も続いているこの伝統の試合。試合前にその意味を、考えてくれ。」

新人練習やあの試合を経て、早稲田ラグビーのDNAを継承していくのだと思う。

学生の時に歌っていた北風だからこそ、結婚式などで久々にみんなで歌うとあの時の気持ちを思い出せる。

これは、何年経っても変わらないのかなと思う。

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【赤黒】

早稲田ラグビー部と言えば、やはり赤黒だと思う。
1軍として試合にでる時に着る赤黒のジャージを我々は赤黒と呼ぶ。
そして早稲田ラグビーの美しさは「赤黒」に対する念。

赤黒を着なければ、荒ぶるを獲れなければ人生は終わる。

当時は本当にそう思っていた事を覚えている。
とても素晴らしい環境だった。

卒業してから、恩師であるコーチと話した。

「俺たち監督・コーチ陣は、君たちの視野を狭めていたりもする。

だからこそ、赤黒・荒ぶるのみを見つめるその4年間が、それはそれは辛く、厳しく、そしてかけがえのない濃い時間になる。

ただ、卒業した今、もう解き放たれていい。

赤黒、荒ぶるへの想いを背負いながらも、

人生を生きていってくれ。

赤黒を着る事よりも大事な事が、世の中にはある。」

僕はまだその時、気づけていなかったが、
4年間ずっと付いていったコーチからの言葉を受け止めた。

そうか、人生は続くのか。と。

荒ぶる、そして赤黒とは、

『早稲田ラグビー部の、

  とりわけ4年生の純粋で透明な

  焦がれである。』

とても好きだったこの言葉は今も残っている。

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