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Epi;4 夏の夜空に月雫【死時計シリーズ】

~introduction4~

死時計しどけい管理委員会』は『空居くうきょ』という空間に存在している。
空居くうきょ』という空間は『天界ていかい』と『現界げんかい』の狭間にある。双方からは5次元の壁で隔てられているが、輪廻転生過程の魂を受け入れる関係で、重力に捕らわれ、有形の肉体を必要とする区域が多い。
「シロ様も手毬様も、肉の身体は重くはありませんか?」
『死時計管理委員会』は『玉人シロ』と『天人手毬』2人だけで運営しているので、手が足りないときは『回収課』からスタッフを借りることがある。よく手伝いに来てくれる紀綱きづなは『天界』転生条件を満たした『天人あまびと』でありながら『空居くうきょ』に残っている変わり者だ。
「私は『未完人みかんびと』の記憶が近いですし、『天界』でも地に足を下ろしていたい派なので、抵抗感はないですね。でもシロ様は」
手毬てまりがモニターと睨みあっている僕をちらりと見た。別にばらしても構わないよ、と目くばせする。
「シロ様は『空居ここ』では肉体をまとっていないですよ。『天界』におられるときも、周囲と混ざり合わないよう、内側から結界を張り、幽体の外観そのもので代用されています」
「まさか!以前、結界を張って降りられた『仙人やまびと』様をお見掛けしましたが、幽体そのものの外観でいらっしゃいましたよ?」
「それが普通だと思います。これはシロ様の特性でこそ成しえることです」
「ああ!なるほど!得心がいきました」
紀綱きづなは手際も良いし、頭もキレる。処理済みのファイルを保管部署ごとに分類し、未処理ファイルに目を通すと、入力フォーマットをファイル分立ち上げ、面倒な数的項目の打ち込みを次々とこなしていく。
「経過詳細の打ち込み、お願いします。処理済みは戻しておきますね」
処理済みのファイルを抱えて、爽やかな初夏の風のごとく去っていった。
「『回収課』への最大の借りは、紀綱きづなを借りていることのような気がしてくる」
「確かに」
社交的な割に神経質な面もある手毬てまりが平気、というところもポイントが高い。
「ところでシロ様、先ほどから何を真剣に覗かれているんです?」
やれやれ、手毬にはさぼっていることがバレていたか。
「先日手がけた『二度目案件』の魂の経過を追跡していたんだ」
「ああ、花火の」
「茶話会婦人の例もあったからね、きちんと転生できるか、少し気になっていたんだ」
「それだけ、では、ないですよね?」
だめだ、手毬には見透かされている。
「シロ様は魂に感情移入しすぎだと思います」
否定できない。苦笑いするしかない。
「でもまぁ、『空居くうきょ』で働く『天人あまびと』はみな、そうなのかもしれませんね」
「確かに」
「私にも、見せてください、その花火の方の…」
「では、ひと休憩、はさむとしようか」
そう提案すると、手毬は穏やかな笑みを浮かべ、飲み物の準備を始めた。


Mirror’s LoverS Presents
【死時計シリーズ】
Episode;4 「夏の夜空に月雫」


「次、小宮山」
「はいっ」
ああ、これは夢だ。世に言う走馬灯というやつか。
「将来の夢。3年3組、こみやまあつし。
僕は将来、絶対なりたい職業があります。それは花火師です。
花火は夏の夜、空に咲く花みたいな火のことで、とても大きいです。
爆弾みたいな玉に、いろいろな光の素を詰め込んで、空に打ち上げます。
花の命は短いです。
けれど、きれいで楽しい、としずくちゃんが言ってました。」
「ちょ、ちょっと、あつしくんっ」
「へへ、しずくちゃんが花火が好きだと言ってました。
お月様みたいな、黄色い花火が見たいと言っていました。
だから、僕がつくってあげることにしました。
でも、花火は作るのが大変です。体力もいります。
花火の素は、爆発する粉と科学の力です。いっぱい勉強して、お月様みたいな花火をつくるのが、夢です」
今年も、しずくの隣で花火の打ち上げを見届けた。五体満足ではないが、花火の仕事に関われている。
細やかな幸せに見えたとしても、それが俺にとっての幸せだ。
だから、どうか奪わないでくれ!
あつし!篤!」
急ブレーキ、からの激しい衝突音。
上から降ってくる雫の声だけが、その時の俺の救いだった。


目の前には、横転したトラックの底が見えていた。底、でいいのか?車の下の面って、何ていうんだ?
「そうですね、下回り、なんて言っているのを聞いたことがありますが」
俺の素朴で無駄な質問に、まじまじと答える奴がいる。走ってる車の助手席に居て、カーブを下っていたら、目の前に横転して道を塞ぐトラックが現れた、そんなところだ。
あと20メートルもない、運転していたしずくが急ブレーキを踏んだが、到底間に合わない。
って、あれ?
なんで俺、こんなに冷静に分析してるんだろう。
衝突の直前、世界がスローモーションになったって、事故った奴が言ってたな。
「ええほんと、冷静ですね」
ってかさ、さっきから何だよお前。俺の頭ん中覗いてチャチャ入れてさ。
「チャチャを入れるつもりはないんですが、覗いているのは確かですね」
夜9時を過ぎているはずなのに、辺りは薄明るい。よくよく見ると、モノトーンで、動きがない。まるで時間が止まったような。
「ご名答。あなたにある提案をするために、時間を止めたんです」
冷静なつもりでいたが、逆にパニックっているような気もする。
落ち着こう。落ち着いて、さっきから俺に話しかける奴が誰なのか、はっきりさせようと思った。凝視していた正面から視線を外すとすぐ、フロントガラスの左側に立つ、黒い人影に気づいた。
「はじめまして」
貼り付けたような営業スマイルの、眼鏡の男。
「といいたいところなのですが、実はお逢いするのは二度目です」
「は?」
「まさか、同じ魂に、ひとつの生で2度、ご案内することになろうとは、ね」
黒いショートカット、黒のロングコート、黒いシャツに銀色のネクタイ、白い手袋、インテリ眼鏡の奥には怪しげな紫の瞳。ポーズだけはうやうやしく会釈している。
誰?死神?
「よく言われます、それ。まぁともかく、ちょっと外に出ませんか?」
云うが早いか、男に手を引かれ、俺の身体は宙に浮いた。浮いてる?
「ええ、浮いてますね。霊体れいたい、という状態で」
「霊体?幽体離脱みたいなやつか?」
「まぁ、似たようなものかと」
「あんた、一体」
「ああ、申し遅れました。わたくし、死時計管理委員会・突然死救済係の銀山しろやま魅羅緒みらおと申します」
男は再度、うやうやしく会釈した。
「し、ど…?突然死?って、ああ、確かに死にそうだけど。で…」
「はい」
「ああ、その、銀山しろやま、さん?だっけ?この状況って何なんだ?」
「勿論、規約に則ってご案内しますが、恐らく聞いたことがある内容ですよ?」
さっぱり意味がわからん。
「まず、状況を整理しましょう。今日は何月何日で、何をしていたか判りますか?」
「ああ。今日は8月12日で、夏祭りの花火大会を見た帰りだ。
打ち上げ担当の連中が撤収してくる前に、工房に戻って、倉庫のシャッターを開けて、片付けの手伝いをする、…予定だ」
「ありがとうございます。現時点の状況についても、ご理解されておりますね?」
理解?…時間が止まっている、というのが本当なら…
「事故りそうってところで時間が止まってる?」
「はい」
中空に浮いて全景を眺めると、本当に厳しい状況だとわかる。
俺は左手が少し不自由だから、運転はしない。今夜は一緒に花火を見ていた雫、幼馴染で、工房の親方の娘である、一条しずくが運転する車に同乗していた。
俺はいわゆる、花火師という仕事をしている。
花火師は、花火を作る、花火大会を運営する、打ち上げる、片付ける、仕事の内容は大まかにそういった感じだ。
中でも花火の製造作業は、火薬類取締法の「製造作業に関する技術基準」及び「保安管理技術」に基づいて行う必要があり、火薬類取締法に定める保安管理技術を習得する必要がある。
そもそも花火を取り扱うのは、世襲制の小規模企業が多く、俺の場合も、雫の同級生という理由で、繁忙期の打ち上げ作業の手伝いから始まって、工業大学の理工学部で応用化学、機械科に学び、火薬類取扱保安責任者免状を取得して、作り手としての修業を重ねた。
親方に、大会の企画ひとつ任されるようになるまで、11年、かかったんだよ。本当にやりたいことも、まだ果たしていない。
「まだ、生きたいと?」
「当たり前だ」
「では、手助けできるかもしれません」
「はあ?」
死神、じゃないのか?今まさにこの世の終わりですと言わんばかりの出立ちで登場したのに。
小宮山こみやまさん、あなたは輪廻転生という概念はわかりますか?」
こいつ、俺の名前…。
「わかりますか?」
「生まれ変わりとか、そういうやつ、だろう?」
「ええ、概ねそのご理解で間違いありません。それをふまえてお聞きください」
銀山、とやらは、口元に三日月みたいな笑みを浮かべた。
「これからさせていただくのは、あなたがどこからやって来て、どこへ逝くのか、というお話です。キーワードは『輪廻転生』そして、『せい時計どけい』と『時計どけい』。
あなたご自身は、魂という存在です。本来、天界という美しい世界に生まれるはずだったのですが、魂には幾ばくかのけがれがあり、穢れを払うまでは、天界に生まれることが出来ません。穢れを払うため、肉体をまとい、ここ、現界で何度か生まれ変わる、それが輪廻転生と呼ばれる、魂の浄化システムです。
生まれ変わるたび、記憶はリセットされますが、体験や経験、功績は「徳」として上書きされていきます。
天界に転生するにはある一定の徳を積む必要があり、一度の生涯では積み切れず、何度か生まれ変わるのがセオリーです。この繰り返す転生の運営を円滑に行うため、現界に誕生するとき、魂はその中に『生時計』と『死時計』という、ふたつの時計を持って生まれてきます。
生まれた瞬間は、夢と期待を抱いて、『生時計』すなわち生きる時計、を廻し始めますが、人生のある時期、例えば病気になったり、身近な誰かの死に直面したり、何らかのきっかけで、自分がいつか死ぬ事を悟ります。死をより具体的に想定したとき、それまで廻してきた『生時計』から、自分が死ぬまでに何を残そうかと逆算する『死時計』に切り替わります。
順当な人生ですと、『生時計』から『死時計』に切り替わり、徐々に死を受け入れ、死亡した後は次の誕生の準備をする『輪廻転生の輪』に正しく組み込まれていくのですが、稀に『生時計』を回している最中に死に直面する魂が存在します。死に対する心の準備がないまま、死に直面した魂は、死出の準備がままならず、輪廻転生の輪に戻れない、転生の迷子になってしまうケースが多いんです。
それを防ぐため救済案を提案する、それがわたくしども、死時計管理委員会・突然死救済係でございます」


燃えている。
地獄の業火、というものが地上で起こったら、こんな景色なんだろうと思った。
あつし!おい、わかるか?篤!」
仰向けに倒れ込んだ俺を抱き起すのは、兄弟子の剛。一条つよし。工房の親方の息子で、しずくの兄。俺を本当の弟のように可愛がってくれた。
それは今から8年前のこと。
仕掛け花火の点火のために、湖を船で移動している最中、船同士が近づきすぎて、水面が予想外にうねってしまった。その揺れで、固定が甘かったのか、予備で積み込んでいた花火玉の打ちげ筒が誤って倒れたらしい。筒が倒れた衝撃と摩擦で、近くにあった花火玉が発火、花火玉が船上で次々と爆発した。爆発の起こった場所が、湖上スレスレの高さで連続点火する仕掛け花火に近く、火はそれらにも引火し、花火師たちはほぼゼロ距離で熱風にさらされるという、最悪の事態になった。
俺もまた、ゼロ距離の船に乗り合わせたうちのひとり。
その現場で、俺は銀山しろやまに逢っていた。
「小宮山さん、あなたは今、花火の爆発事故の爆風で、船から湖に落ちるところです」
確かに俺は、その瞬間、船のへりに立っていて、爆風の影響で身体半分、既に船外に飛び出している。え、どうなってる?
「今、一時的に時間が止まっていますが、再び時間が動き出すと、あなたは5秒後に死亡します」
何をいってるんだ、この男は。
5秒後に死亡?湖に落ちて死ぬのか?
「落ちただけでは死にませんが、爆風で転覆した船に頭部と全身を打たれて、水面下で呼吸を断たれるのが主な原因です」
ひとごとだと思って!淡々と説明するその男がとてつもなく憎らしかった。
じゃあなんで5秒前で時間が止まってんの?
何かに俺、試されてる?金の斧、銀の斧、みたいな?
「いいえ。ここから先が、わたくしども死時計管理委員会・突然死救済係の仕事です。『生時計』を廻しながら死の危機に瀕した魂に、とある提案をさせていただいています」
提案?
「あなたは、輪廻転生という概念はわかりますか?」
そう、8年前のあの時も『生時計』と『死時計』の話を聞いた。
「生き残るには、どうしたらいい?」
そう尋ねると、銀山は満足げな笑みを浮かべて、提案とやらを始めた。
「これは例えばの話になりますが」
「例えば?」
「ええ、例えばの話です。今あなたが置かれている現状はお判りと思います。ここに、何か手を加えたら、助かる可能性があると思いますか?」
今まさに船から落ちそうな俺に、何ができる?脳をフル回転させる。
すぐそばに、同じ規模の船が2隻。どちらも、揺れる水面と爆風にあおられて揺れていた。
その少し先、爆心地と俺の乗る船の延長線上に、剛の船が見える。見えている3隻の中では最も影響をうけにくそうだ。資材は積まれているが、花火は打ち上げ済みだから、引火の危険性も低い。
「万にひとつ、かもしれないけど、爆風に後押しされて飛んで、剛の船のへりにでも引っかかれば、ギリギリ、助かる?」
「なるほど。では、それを実行するのに時間はどれくらい必要ですか?」
「え、時間?」
「ええ、時間です」
賭けのようなものだから、時間なんて考えてなかった。
「例えば、2秒で足りますか?」
カッチッカッチッ…
「2秒って、いつから?」
「あなたがこの提案を受け入れられた瞬間、止まっていた時間が動き出します。そこから2秒、です」
待て待て待て。改めて考えてみる。
上半身が船外に飛び出してはいるが、足はまだ浮いていない。飛ぶ方向を意識して、下半身で出来得る限りのバネを発揮して…。やはり賭けになるが、何もしないよりはマシなはずだ。
俺の思惑を見透かしたように、銀山が頷いた。
「今回ご紹介するシステムなんですが、『生時計』を廻している最中に、突発的な死に直面された方に均しくご案内している提案です。この事故を見事に回避された場合に全うされる寿命のうち、一律10年を、この瞬間の2秒に換算してお出しすることができるんですが、いかがですか?」
「え、言っている意味がよく…わからない」
「もし生き残った場合に全うする寿命のうちの10年を、この瞬間の2秒に差し替えられる、という提案です」
「10年を2秒⁉随分な代償じゃないか!」
「換算比率に関しましては決定事項なので。それに、この瞬間を逃すと、あと5秒ですし」
「寿命と引き換えって。死神か何かなのか?」
「いえ、その寿命は我々が搾取さくしゅするのではなく、あなたがあなた自身の判断で、寿命の預金を引き出すようなものです。我々はそのお手伝いをするだけ」
選択の余地があるようでない提案だったが、これが最後のチャンス、なんだろう。
生き残る可能性。
こいつを信じていいのか?あるいは甘い言葉で油断させておいて実はバッサリ…。って、そんなことをしなくても、今の状況は最低最悪か。
「あと、このお取引が成立してもしなくても、事が済んだ暁には、わたくしとのやりとりは記憶の方から抹消させていただきますので、ご了承ください」
固唾を飲み込む。
生き残りたいなら、選択の余地はない。
炎に照らされた赤い顔の死神に、俺はイエスと答えた。


「思い出されましたか?」
2度目の銀山が、目の前でほくそ笑む。
「ああ、思い出した。10年を2秒、だったか?」
冷や汗が出る。いや、霊体らしいから、実際は出てないんだろうな。
「あの時のこと、どれだけ覚えていますか?」
忘れる訳がない。いや、確かに、こいつとのやり取りのことは忘れていたが。
吹き飛ばされたとき、がむしゃらに手に触れたロープのようなものに捕まった。後から聞いた話だと、俺は湖面を数分漂っていて、気づいた剛ぃが俺を船に引き上げたらしい。多少水を飲んでいて、爆風でかすり傷はあったが、大きな外傷はなかった。
しかし、その後、近くのもう一隻の花火にも引火したそうだ。
船上で寝かされていた俺以外の花火師たちが、近距離の爆風で大やけどを負い、剛兄ぃはそのやけどがもとで亡くなった。
思い返すだけで、背中がガクガクする。
「思い出させてしまって、申し訳ありません」
ふと視線を上げると、銀山しろやまが目を伏せて会釈していた。
「お辛い記憶、とは思ったのですが、過去に一度、わたくしの提案を受け入れていたことを、思い出していただく必要があったので」
「お前…」
「正直、驚いています。大概の魂は、わたくしの提案を受け入れ、生還したとしても、事故や事件の後、体内時計が『死時計』に切り替わりました。
死に瀕した経験が、死を意識するきっかけになり、人生観が変わる。
それが魂の、自然の成り行きだと思っていました」
銀山の紫の瞳に、真摯な尊敬の念が宿っている、…ように見えた。
「あの状況下でも、亡き花火師たちの遺志を継ぐべく奮起したあなたは、『生時計』を貫かれてこられました」
ああ、そうかもしれない。生かされた意味を、生き残った意味を、工房の未来を。
工房の復帰も、たやすい事じゃなかった。でも、俺にはやりたいことがあったから。叶えたい夢があったから。
一瞬、銀山が柔らかい笑みをこぼしたように見えた。本当に一瞬のことで、すぐさま顔を引き締めて、姿勢を正した。
「そして、ここからがわたくしの仕事です。『生時計』を廻しながら死に直面されている魂への救済措置をご提案するのが、死時計管理委員会・突然死救済係。再び死の危機に瀕したあなたに、とある提案をさせていただきます」
「え?」
「あなたは既に、寿命のうちの10年を、8年前の2秒に差し替えておられます。それも考慮された上でお考え下さい。
あくまで、可能性のお話です。この現状に何か手を加えたら、助かる可能性があると思いますか?」
銀山の瞳は、吸い込まれそうなほど怪しい輝きをたたえている。俺はまた、試されているのか。
「聞きたいことがある」
「どうぞ」
「その、この現場であんたと話している奴は、他にもいるのか?」
「良い質問ですね」
現場には雫がいる。ハンドルを握って、般若の形相の雫が見える。横転したトラックの運転手は、何かできるような状況ではなさそうだ。
「その質問にはお答えしがたいですね」
「あくまで個人交渉だからか?」
「ですが、そうですね。あなたの判断にその情報が必要だとおっしゃるのでしたら、全員は無理ですが、わたくしの裁量で、その魂が『生時計』なのか『死時計』なのか、おひとりについてお答えしましょう」
ああ、まただ。口元を三日月みたいに結んでいる。銀山しろやまさん、俺にはやっぱり、あんたが死神に見える。
「じゃあ、雫…」
「『死時計』ですね。8年前から」
銀山のやつ、余計な事まで言いやがって。死神なんて言ったから。
そうか、雫はあの事故の後『死時計』になったんだな。つまり、雫には救済措置は働かない。車を余分に動かせるのは、俺だけ。
現場を見渡す。横転したトラックは、交互2車線の下りカーブを目いっぱい塞いでいたが、転がった勢いと下り坂の加速度も加わって、秒単位で位置を変えるだろう。
トラックと俺たちの車がぶつからない軌道は描けるのか?脳がフル回転する。
雫は、カーブに合わせて左に切っていたハンドルを、正面の障害物を見て動揺したのか、右に差し戻しかけている。
感覚的な記憶だが、俺たちの車は坂を下る減速はしているものの、それなりの速度があった。反射的に踏み込まれている急ブレーキ。下り坂と遠心力とブレーキの負荷。
「………」
ふと、失笑が漏れた。
「どうしました?」
「いや、まるで花火の弾道を考えているみたいだと思って」
単発、単発、連発花火。
曲線、曲線、放物線。
加速度、減速、同時に起こる軌道と速度をデザインする。
いろいろ計算を繰り返したが、衝突はどうも避けられない気がしてきた。
あきらめたくはない。でも、どうしようもないこともある。
もし、衝突が避けられないなら?
どうしても避けられないなら、…せめて、雫は守りたい。
自分が助かるより、彼女を助けたいと思った。
8年間、支えてくれた。事故が原因で、俺は左手が不自由になった。肩口と、薬指、小指の神経がやられている。握力はほとんどない。
それでも、工房のために何かしたい、といった俺を、一番近くで応援してくれたのが雫。
傾きかけた工房を立て直すのだってそうだ。俺だけじゃない、皆にとって、雫の存在が大きかったと思う。
俺に残された右手と、この身体と、2秒で出来ること。
「答えを決めたよ、死神」
「かしこまりました。では最後にひとつ。このお取引の…」
「わかってるって。記憶の方から抹消させていただきます、ってあれだろ?」
「左様で」
「了解した。じゃあ、合図をくれよ。2秒、確かにもらった」
俺は、人生で二度目の賭けに出た。


ぼんやりと、虫の聲を感じる。
「篤、篤っ!」
だんだん、虫がうるさくなる。空気がきな臭い。
あれ、左の耳鳴りすごいな。
「篤!あーつーしーっ!」
「し、ず、…く?」
「!!篤!」
「ぶじ…か?」
「もう、私なんかかばって!」
雫が俺の頭を膝枕して、大声で泣いていた。とっさの割には、いい判断だったと思う。
花火大会の帰り道、雫の運転する車で坂道を下っていたら、目の前に横転したトラックが現れた。雫は、急ブレーキを踏んだが、到底間に合う距離じゃなかった。まあ左右どちらにハンドルを切っても、衝突していただろうな。
俺はとっさに、雫の腰に右手を廻して彼女を助手席に引き寄せた。力のない左手でも、3本指で車のドアくらい開けられる。ロックをどうやって開けたのかは…記憶にない。
急ブレーキでスピンする車から、ここしかないというタイミングで車外に飛び退いた。
どこに飛ばされるかは賭けだったが、うまい具合に土手に着地、…できたのかな?
「救急車、くるから」
泣いてぐちゃぐちゃの顔で、雫が俺をのぞき込んでいる。その向こうに、黄色くて大きな満月が見える。
「頑張ってよ、篤ぃ。篤までいなくなったら、私…っ!」
泣かないでくれ、雫。
ああ、死ねない。まだ、お前との約束を果たしていないんだ。
「篤?」
「どうりょく、かと…するも、くれない、ばりき」
「何?炎症反応のこと?」
ああ、そうだ。化学の授業で習った、炎症反応の覚え文句。
リアカー無きK村で動力勝とうとするもくれない馬力。
「黄いろ、はナト、リウム、影、はオレ、ンジ色、カルシウ…」
咳き込む、上手く声が出ない、
「!!お月様色の花火ね?そうよ、篤。約束、したでしょ?でっかいお月様、上げてくれるんでしょ?」
遠くに救急車の音がする。
雲一つない夜空に、満月。雫の瞳からとめどなく流れる涙が、後ろの満月と重なって、まるで月が泣いているように見えた。

「おい、シロ」
それは俺が病院に担ぎ込まれた数日後だったかな。
「迎えに来たぞ。何やってんだよ、お前」
「ああ、宮古みやこ
「ああ、じゃねぇよっ。案件、とっくに片付いてんだろ?」
寝ている俺の上で、何かの声がしていた。
「それが、また切り替わらなかったんですよ」
「何の話だ?」
「2度も窮地を体験して、それでも『死時計』を廻さない魂。もしかしたら『ぎょく持ち』になるかもしれませんね」
ミヤコ、と呼ばれた男が、ため息をついている。
「『ぎょく』のこととなると、本当見境なくなるよな、お前」
「迎えって?非番のはずですけど?」
「そう、とがんなよ。『監査課』がお前の手を借りたがってる。開けない案件があるらしい」
「開けない?」
「俺と大和にも打診が来てた。『刀持ち』2人付きとは、こりゃ相当な案件だろうな」
「非番と決めると、いつもこれですね」
「ま、やむを得んだろう。『開く』と『結ぶ』はお前の専売特許だしな。
それにこないだ、『ぎょく』で大きな借り、作ってんだろ?返すにはいい機会だ」
「仕方ありませんね」
誰だったっけ、こいつ。知っているような気もする。そいつは口元に三日月みたいな笑みを浮かべて、俺の上から姿を消した。
あつし?」
眠っている俺の横、気付けばしずくが付き添っている。
「やだ、寝ながら笑ってるの?何かいい夢でもみているのかな?」
そう、かな。夢、かもな。
なんだか、花火も鳴ってる?
「あら、今日はどこだったかしらね」
俺の夢はね、雫。一人前の花火師になることだ。
花火は夏の夜空にひとときの大輪の花を咲かせる。みんなの夢なんだ。
花火玉に、いろいろな色を詰め込んで、空に打ち上げる。
花火は一瞬の美。けれど綺麗で楽しい、とお前が云うから。
花火が好きだと云うから。
だから、俺が作ってやる。この身がある限り、お前の空に花火を飾り続ける。
そう、お月様みたいな花火を打ち上げるのが、夢なんだ。


【Next Episode;10月の雨は終わらない】


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