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今あるものでしか未来を予測できないなら

未来はどんな世界になっているだろう。
想像してみる。
テレパシーだけで語り合っているだろうか。
ほんの一口の固形物で一日に必要な栄養を摂取できるようになっているだろうか。
フリーエナジーを享受し、快適に暮らしているだろうか。
仕事をしてお金を稼ぐという概念も過去のものとなっているだろうか。

SFの世界のようだけれど、不可能でもなさそうだ。
あと50年もあれば、こんな地球人の姿を見ることもできるかもしれない。

こういう想像は難しくないけれど、もっと難しい作業がある。
それは何か。
「その世界に到達するまでの中間の時代はどうなっているか」を想像することだ。

私たちは、少なくとも私自身は、今あることや今までに見聞きしてきた情報を基にすることでしか、近い将来を想像することができない。現在やこれまでの歴史をセロハン画のようにして、数年先までなんとか投影してみる世界。私の想像の限界だ。

ところで、近年、SDGという略語を多く見聞きする。SはSustainable(持続可能な、という意味)。素晴らしい考え方。

曲者はSの後のD。Development(開発)。この単語が追いかけてくる限り、SDGには矛盾がつきまとう。SDGの名を借りた不可逆的な開発もあちこちで行われているらしい。記事やニュースを探してみると、未来のために無残に姿を変えた自然や苦しそうな人々の顔が飛び込んでくることも多い。開発とは、今後もずっと役立つものなのか。それとも一部の企業や権力者たちの「今」を潤すためのものなのか。それらの写真は無言で訴えているようにも見える。

そして、将来、天災や戦争まで起こる可能性もある。

未来が分からない以上、未来のためにできることも分からない。過去の人たちが未来を分かっていたなら、なんで今のような世界にしないための方法を編み出さなかったのだろう。

結論として提案できることは、結局は誰もが自分の生き方を振り返り、自分の存在を一つの愛へと還元させていくことだと思う。難しいそのプロセスを経たとき、隣にいる人も、周囲の草花も木も、美しい動物たちも、すべて感謝の目で見られるようになるだろう。どこまでがSustainableかという線引きを考えるまでもなく、自他への愛を持って、周囲の存在たちと世界を分かち合えるようになれますように。その純度が増したとき、冒頭の世界の入り口が見えてくるのかもしれない。

#未来のためにできること


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SDGsへの向き合い方

元保護犬であった愛犬がシニアとなりお空組となりました。まだまださびしい毎日ですが、これからも保護犬たちが幸せをつかめるように何らかの行動は続けたいと思います。愛ある作品も素人ながら作ってまいりたいと思っています。 お茶一杯分ほどでもサポートをいただけたら心から嬉しいです!