ことばの理解に潜む、無自覚の偏見 〜クライストチャーチ銃乱射事件と「テロ」の意味から

ニュージーランドのクライストチャーチで3月15日、銃乱射事件が発生した。標的となったのは現地のモスク(イスラム教の教会)。死者50名、負傷者50名にのぼる大規模な被害となった。

治安の良さから英語留学に選ばれることも多いニュージーランド。私も、高校1年の時に希望者参加の海外英語研修で北島のヘイスティングスに約4週間ホームステイをした経験がある。

クライストチャーチは訪れたことのない都市だが、それでもお世話になったニュージーランドで大きな事件と聞くと、ドキッとし、気になった。

アーダーン首相は同国警戒レベルの引き上げを発表。警戒レベルは6段階中2番目の高さとなった。事件について首相は「テロ行為としか呼べないことは明白だ」と述べた。

この「テロ行為」という言葉に、私は多少混乱した。テロで、モスクを狙うのか? なぜ、モスクなのか? しばらく、事件の流れや文章の意味がつかめなかった。

<3月27日追記>
報道によると、犯人は自身を「オーストラリア人」と名乗る白人系男性。犯行当時の様子をFacebookなどのSNSで生中継し、人種差別的動機によるテロ行為であることを示唆する発言を投稿していた。

そして、ふと気が付いた。無意識のうちに「テロ=イスラム過激派による事件」と決めつけていたことに。だから、ムスリムなのにモスクを狙い礼拝中のイスラム教徒へ銃撃したということか、しかしこれまで見ていたニュースでは容疑者は白人男性でムスリムではないと報道されているが……と混乱していたのだと。

「テロ/テロリズム」という言葉を辞書でひくと、以下のような内容が出てくる。

特定の政治的目的を達成するため,広く市民に恐怖をいだかせることを企図した組織的な暴力の行使。右翼,左翼の政治的団体や,愛国的・宗教的集団,革命勢力などのほか,軍隊や情報機関,警察などの国家組織によっても行なわれる。(コトバンクより)

国際的に明確な定義はないが、いずれも以下の要素が共通と考えられる。

・政治的な目的達成のため
・組織的な暴力行為

どこにも、イスラム教なんて言葉は、ない。日本にだってテロはあって、振り返ってみると政治学の授業などでは「オウム真理教の地下鉄サリン事件は、おそらく世界で最初の化学品による大規模テロ」という話をしていたこともある。

にも関わらず、なぜ私は知らぬ間にテロとイスラム教を結びつけてしまっていたのだろう……。「イスラム教→テロ」とはなっていなかったけれど、「テロ→イスラム教」になってしまっていたのだと、初めて今回の事件で気が付いた。

不思議に思い、同時に不安に思い調べていく中で、こんな記事に出会った。

2001年9月11日に発生した、同時多発テロ。この時に「テロとの戦い」という言葉が強く発され、プロパガンダのように広まった。そのアメリカが攻め込んだのはいずれもイスラム教国家。その後のイスラム国の立ち上がりや、ジャーナリストが人質になるといった報道を日々見てきた私は、「テロ」という言葉で同時多発テロから始まった世界の対立構造を連想するようになってしまったようだ。

無意識・無自覚の偏見が、恐ろしい。

2017年に書かれた上記の記事は、以下のように締めくくられている。

最近もマンチェスター・アリーナで起きた爆発など各地でISと関連した人物による事件が起きているが、彼らの起こした行為を“テロ”と呼び、彼らを“テロリスト”と呼ぶことで、対立する彼らを“悪”、自国を完全なる“正義”だとみなすことは敵対関係を悪化させ、問題の解決への道を閉ざしてしまっていないだろうか。また、“テロ”という行為にそれと何ら関係のないイスラム教徒を結びつけてしまう傾向は偏見でしかない。“テロ”という言葉を安易に使う前に、その定義を問い直す必要があるのでなないか。

色眼鏡を外し、まっすぐに人や物事と向き合いたい。けれど、色眼鏡は知らぬ間につけてしまっていることも往往にしてある。ちょっとの違和感や疑問から色眼鏡に気付く機会を増やし、色眼鏡を外してくれる情報を積極的に取り込みたい。

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