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2024年 正月 記録

カバー写真は約2年前、2021年の11月に富山・高岡駅から撮影した夕陽に染まる立山連峰です。

私の父は富山県高岡市の出身。今も祖母が高岡に、ほかにも遠い親戚が何人か高岡、氷見にいます。そんな我が家にとっては、ざわつく正月となりました。

けれど、テレビでドラマやバラエティや箱根駅伝を見て、ご飯を食べて、お昼寝をして、家族麻雀をして、お酒を飲んで……と、〝普通〟に正月を過ごしています。

〝普通〟と言っても、やはり北陸の地震のことは常に頭の片隅あります。あいまあいまで、いつ高岡に行くか、おそらく家の中で倒れているだろう棚や食器などの片付けをどうするか……結論を出すでもなく雑談のように話しています。

それでも、私がヤキモキしたところで、ことが進むわけではない。離れたところにいる私に今できることは少なく、現地に行ったとしても役立つどころか面倒ごとを増やす要因になりかねない。現段階でできることは、寄付、献血、怪しげな情報は拡散しないことぐらい。

むしろ私たち、特に父は、今後現地の混乱や余震がある程度落ち着いてからのほうが、体力も気力も使うことになるでしょう。自分たちの生活を支える、日常という名の仕事もやってきます。

だからこそ、情報は情報として処理して感情では接さず、今は当たり前に楽しんで当たり前に笑う。日常の疲れを癒す。そうして、しんどくなったときに自分を支えてくれる記憶と時間をつくる。

そういうつもりで、過ごしています。

「前向きな諦め」です。〝無力感〟というのは何かできると思っているから生まれてくる。「自分はここまで」を把握する。他人は他人と分けて認識する。できることを期待しなければ、少し〝無力感〟も薄まります。

人によっては、冷たく聞こえるかもしれません。でも、「今、この状況ではできることが限られている」というだけで、自分たちの役割やできることは、この先で時がきたら必ず生まれてきます。今はまだその時ではないだけ。

災害被害も、復興も、事故の再発防止も、一時のことではないはず。今後、長く長く続いていく。だから、急に燃え上がって急に冷めないように。あえて割り切り、線を引いて遠ざけ熱を落とすことも、関心を冷まさず長く接し復興を支えていくための一つの手段だと。心の平穏を保ち、長く歩いていくための一つの手段だと思っています。

・・・

……とここまで書いてみたものの、どこか落ち着かずモヤモヤするところはあります。高岡で老人ホームにお世話になっている祖母は不安だろうなとか。きっと、家に帰りたい、家の様子を見たいと言うだろうなとか。考え込んでしまいます。

今の私はもし会いに行って「一目でいいから家に帰りたい」と言われたら、タジタジしてしまいそうです。どう祖母と向き合えばいいのか。何を伝えて、何は伝えず、どう接せればいいのか。わかりません。

大丈夫と言ったら言ったで、大丈夫なら連れて行ってくれたらいいじゃないか、見せて安心させてくれと思うだろうし。反対に物が落ちている状況など伝えたら、自分で確認したいと思うだろうし……。

この3日間、ずっとぼーっと脳内シミュレーションしていたのですが、どうにもならない。今の私はまだ、祖母と会う準備ができていないように思います。

でも多分、それも時間が解決してくれる。しばらく考えすぎない時間をおけば、意外と割り切ってなんとかなる。これまでの経験からの自分に対する信頼と勘としか言えませんが、そうだろうと思います。

だから、これを書いたいまを区切りに、祖母との会話の脳内シミュレーションも停止します。

何事にも、〝その時〟がきっとあるでしょう。

※ 意見には個人差があります
※ 半分くらいは自分に「こう考えよう」と言い聞かせての言葉です
※ こう考えようと思える・書けるのは、祖母が施設でお世話になっているからで、もし一人暮らしだったら状況は違っていたと思います。また、大事なことは両親が決めて担ってくれるからであり、今回もますます「親ってすごいなぁ」と両親を見て感じています


本来、今日・1月3日は「#バトンズの学校同窓会」の企画に参加し、まったく別のnoteを書く気でした。そのつもりで、1日・2日とPCの前に座っていたんです。今朝も、なんとか書けないかと、とりあえずキーボードに触れました。

でも、何かを書こうとPCに向かうと、考えてしまう。何を書いても言葉が滑って感じる。一度頭の中を整理して書き出さないと、他のものが書き進まない。

だから、「#バトンズの学校同窓会」への同日参加はいったんやめて、このnoteを書きました。

何かを書こうとしなければ、もう少し〝平常〟でいられたようにも思います。どっちがいいのかは、別として。「書く」って、「向き合う・考える」ってことなんだなぁと、改めて感じました。

だけど逆に、今日書き切ったから、明日から切り替えて進めそうです。

「#バトンズの学校同窓会」で「みんなで同じテーマで書こう」と掲げられた「チキン」のnoteは、遅れてにはなりますが、1月上旬のどこかで公開できればと思います。


ここから先は、自分のメモを兼ねたこの3日間の記録です。文章というよりもメモ書きで、公開するものでもないのですが、のちのち自分が見返すように記しておこうかなと思いました。そういうものは自分用だけにして公開しなければいいのですが、でもそうすると見返さなくなるんですよね。一応、公開にするということで整理もしながら書き記すだろう、という自分へのおまじないでもあります。

ちなみに、家族麻雀は母の大勝ちでした。私は点数計算はできず父が計算係ですが。国士無双、はじめて見た。

1月1日(月)

■京セラドームでライブ開演待ちの間に地震

夕方、16時過ぎ。私は母と共にライブ参戦のため、京セラドーム大阪にいました。アリーナ席の中央、パイプ椅子に座っていたら、ぐわんと目眩のようなゆっくりした長い揺れが発生。ステージ裏から「ドーン」と機材がぶつかるような音がかすかに響いて聞こえてきました。

■ネットニュース・Twitterで震災を知る

隣の母と「あれ、揺れてるよね、目眩じゃないよね」「あのステージセット揺れてるの、空調じゃないよね。やっぱり揺れたね」「震度3ぐらいかな」と、スマホでニュースを検索。

「あれ、石川で震度7だって」「 能登って、2年くらい前にも大きな地震があったところだったよね、確か」「津波の危険ありだって」

淡々と話しながら、ある程度ニュース・地震速報に目を通したら、Twitterで「高岡」「新高岡」を検索。現地で地震にあった人の投稿がすでにありました。そこから読み取るに、揺れは大きくものが落ちたりはあったようだけど、家屋の倒壊などの被害は少ない様子。祖母も心配ないだろうと推測しました。

揺れから10分ほど経ち、ステージセット等を確認し問題なかったのでライブは予定通り行うとのアナウンス。「よかった!」と喜びながら、開演までの約2時間、Twitterやニュースで状況を追います。

私たちをドームに届けて、買い物&お留守番に戻った父と妹から「地震、大丈夫?」とLINE。「アリーナ席だったよ! ライブは問題なくやってくれるって」と返す母。「よかったね」と妹からの返信。特にここで父から高岡や氷見についてのコメントがなかったので、今のところ問題ないのだろうと考え、まずはライブを遠慮なく楽しむことに。

また、テレビ番組の制作の仕事をしている妹は、地震を受けて急遽取材や実況に出ることにはならないか確認。たまたま現地にスタッフがいたこともあり、元の予定通りで問題ないとのことでした。

開演までの間に、海外旅行中だった母方の叔父や、東京にいる母方の祖母からも連絡が。「大阪は震度3、別に問題ない。高岡も揺れは大きかったようだけど、津波のおそれがある地域からは離れている」とまずは伝えました。

■道路状況などの被害の大きさが見えてくる

Twitterで少しずつ現地の被害の様子が写真・動画とともに上がってくるように。道路が割れている様子などを見て、思っていたよりも被害が大きく驚きました。

以下、状況把握を続けながら母と話していた内容です。

  • おばあちゃんが、一人暮らしじゃなくてよかった。一人暮らしだったら、パニックになっていたと思う。安心してお願いできる施設でよかった

  • 石川の被害状況を見ていると、高岡の家も、家自体は大丈夫だと思うけど、窓とか軒とか、塀とかお庭の灯籠とか、倒れているかも

  • 今は大丈夫でも、この後に大雪が来ると危ない。近々、様子を見にいく必要はありそう

  • ただ、今回のが本震なのか余震なのかもわからないし、道路状況などもわからない。行けたとしてもある程度落ち着いてから。早くて1月末か?

  • 1月末はもともと父は富山に行くつもりだったから、その予定通りで行くのではないか

  • 祖母はこれまでも「一目でいいから家の様子を見たい、家に帰りたい」とよく言っていた。今回の地震で不安になって、今まで以上に「家に帰らせてくれ」というのではないか

  • 地震があったことを少ししたら忘れたとしても、感情の記憶は継続されやすい。「揺れて怖かった」などは忘れるかもしれないけれど、「なんか不安や。家に帰りたい」は続く可能性がある

  • でもそこで家に帰ったとして、家の中はぐちゃぐちゃだろう。それはそれで落ち込むだろう

  • 仮に落ち込まなかったとしても、家に一度でも返してしまうと、「家がいい、家にいたい」と施設に戻りたがらない可能性がある

  • 氷見のほうが大変かもしれない

いずれも淡々と「そだねー」「ねー、そうかもねー」という感じでの会話。

ライブ開始前の17時半ごろにはTwitterがかなり重くなり、画像や動画がグレーで表示されなくなってきました。ユーザー離れなど言われているけれど、こういうときはみんなTwitterにリアルタイムで流れてくる情報を求めてくるんだなと感じました。

■ライブは最高でした

やってくれて、よかったー!!
3歩の距離をオープンカーに乗った堂本光一と堂本剛が通って行くのを見て「キャーーー!!!!」とはしゃぐ母。さっきまでの淡々さはどこに行った?! と驚くほど。普段見ないこんな母を見たくて一緒に来たのもあり、微笑ましく、うれしくなりました。
それにしてもKinKi Kidsのライブは舞台演出全体がすごく豪華。吉田健さん率いるバックバンドの生演奏も、いい。しかもトークが緩くて面白い。よかった。

■帰宅。ニュースを見ながら父に状況を確認

終演後、規制退場待ちで会場を出たのが21時半ごろ。帰宅後は父と日本酒を飲みながらニュースを見て、会話。

その段階で、父は高岡とも氷見とも連絡はとっていないとのことでした。高岡は特に施設から連絡は来ておらず、反対に問題があったら連絡があるだろうから、祖母の安否は問題ないと安心していること。今は向こうがバタバタして大変だろうから、連絡は入れないこと。

氷見はニュースの死傷者などから見るに親戚は問題ないであろうこと。家などの状況はわからないけれど、こちらもバタバタしているだろうから少し落ち着いてから連絡してみるとの話でした。

1月2日(火)

■高岡の親戚が家の様子を見てきてくれる

高岡の親戚から「用事で外に出るついでに家の近くを通るから、灯籠など倒れていないか見てくる」とのありがたい連絡をいただきました。その後、「外側は倒れたり崩れたりはなかった」との報告。ただ、その親戚の体験も含めて「家の中までは見ていないけれど、多分食器は落ちて割れたりしていると思う」とのお話でした。

■家の中のものをどうやって片付けようか

「見にいくのが怖いなぁ、割れまくってるんだろうなぁ……」
「トラック借りてガサッと全部捨てるか、今回は状況だけ見て全体的に落ち着いた頃に業者を頼んで一気に捨ててもらうか」
といくつかの選択肢を考え、保留。

■ガソリンスタンドの休業連絡

お昼頃、父が会員登録をしている高岡のガソリンスタンドから、地震の状況を受けて「いつ燃料が補給できるかわからず、しばらく休業」の連絡。

■今度はいつ高岡に行くかの、どうやって行くのか相談

今週末は現地の迷惑になるからなし。中旬はまだ読めない。今の所、もともとの予定通り月末に行くつもりと父。ただ、今後の交通状況と雪、余震の様子を見て決定はもう少し後にしたらどうかとの相談。

また、母と私は「電車で行って、現地でレンタカー」を推奨。道路は開通したとしても一部区間は規制などある可能性が高いし、立ち往生になる可能性もゼロではない。1月末はまだまだ震度3〜4があるだろうから、できればその時に高速道路を車で走っていないほうが安心だし、もしそこに雪が重なってきたら嫌だというのが理由です。

でも、父は自家用車で行くつもりのようで。若干険悪になるも、まだ「たら・れば」の話なので意見だけ伝えて流しました。

この親にしてこの娘ありという頑固者同士。よっぽどのことがないと、大阪から車で行くんだろうなぁ……。少しは娘の心配にも耳を傾けてくれたって、いいのにねぇ。仕方ないね。

■箱根駅伝を見ながら家族麻雀

家族麻雀は母の希望。下手の集まりだからすぐに親が流れて、お昼から始めて夜ご飯を食べる前までに北場まで終了。母の圧勝でした。国士無双を叩き出した母、うらやましい!

■羽田空港の火災がニュースに

夜、スマホに届いたニュース。即座に入浴中だった妹にお風呂の扉の前からニュースを伝えました。すぐに妹は会社に連絡するも、今からでは足がなく、東京には他のスタッフもいるので、やはり元の予定通りで良いとのこと。

その後も妹は状況収集。私は私で、航空状況とそれに伴う新幹線への影響をリサーチしていました。

1月3日(水)

■特に進展はなく、のぺ〜っとした一日

進展することは特になし。朝から雑煮の残りを食べてゴロゴロし、適当な時間に新大阪に出てお昼ご飯にお好み焼きを食べ、妹が新幹線に乗るのを見送りました。帰宅後はお昼寝からの、「はじめてのおつかい」。夜は、行きつけのバーに年始の挨拶に伺いました。

寄付について

■Yahoo!基金

真っ先にオープンしたYahoo!基金。さらに現在Yahoo!ネット募金では、NPOなど複数のプロジェクトが募金を募っています。今後は日本財団なども募金を開始すると思われ、Yahoo!ネット募金もその窓口のひとつになると思います。

なお、Yahoo!基金への寄付は寄付控除の対象にはならないそう。Yahoo!ネット募金上で他に募られているプロジェクトは、各団体の規定により控除の有無が変わります。

■GMO基金・マッチング寄付

支援の同額を GMOインターネットグループから寄付(上限 1,000 万円)、2倍の寄付金額にし「GMO基金」として被災地支援活動に全額使用 するそう。また、こちらは特定寄付金に該当し、寄付金控除の対象となるそうです。


今のところ、うちでは父も母も落ち着いています。一番これからさまざまな確認や手続きなどで動くことになり大変になるのは父だと思うのですが。

妹は妹で、報道にも関わっているからか落ち着いていて、自分の仕事上でもできること・できないことを切り分けたモードになっていました。仕事柄というのか、情報を情報として捉えて扱っている感じもあります。

平気な顔して一番ピリピリしているのは、私かなぁ。Twitterをよく見ていることから、家族4人の中で一番情報に触れてしまっているような感じです。情報に触れるのも、考えものです。

昨晩していたこのツイートも、自分に対してですね。

「言ってはいけない」ではなくて、「言おうとしなくてもいい」だから。「言うな!」って書いているわけではないのですが。

何か言わなきゃいけないとか、勢いや周りの空気に書かされているようにはならないように。その発した言葉が自分の思考も気持ちも縛ってしまうから、誰かに対してよりも自分のために。「それって書く必要ある?」「自分が言わんでもええこと、なんか言ったろうとしてない?」「それって、自分が読みたいと思うこと? 後から自分で読んで『なんやこいつ』って思わん?」って、一呼吸置くだけで、だいぶ書くことも言うことも、自分の気持ちの荒波も変わってくるのかなと思っています。

・・・

富山はもちろん、金沢は旅行でも取材でも行ったし、和倉温泉も高校の友達と7年前に訪れた思い出の場所。温泉宿から海が見えて綺麗で、気持ちよかった。あと、自分で温泉たまごを作れるところがあるんですよ。楽しかったなぁ。

落ち着いて温泉宿が再開したら、またその時と同じコースで旅行して、行きか帰りに祖母にも会いたいなと思いながら。一日でも早い復興と、長く継続的な世間の関心・支援を祈ります。

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