できることは山ほどあるよ。だからちょっと、充電しよう。

なんだかちょっと、疲れてしまった。

台風が過ぎた翌日の夜から、なんだか自分の調子がおかしい。そう感じ取ってはいたものの、気づかぬふりをしたまま、避難用にまとめておいたものを黙々と片付け、家中の家具を元の位置に戻した。


私の家には、守るべき家族が2人いる。20歳の弟と、20歳の従兄弟だ。

大学で教育を学び、週2で体操の先生のバイトをしている弟と、最近叶えたい夢を見つけ、ダンスに明け暮れる従兄弟。わたしはふたりの笑顔が大好きだし、たとえば危機的状況に陥ったら迷わず自分の命を差し出せるくらい、大切な存在だ。いくつもの日々をこの家で、この3人で、乗り越えてきた。

だからこそ今回の台風でわたしは、とても追いつめられていた。世界史上最大級と言われるほどの台風が通過するこの国に、「安全」といえる場所はなかっただろう。

借りている一軒家は木造だし、母親や父親、恋人、友人が住んでいる地域もかなり危ない。台風が来る数日前から不安でたまらず、テレビのニュースやTwitterはくまなくチェックして、「もしかしたらもしかするかもしれない」と思い、少し泣いた。

台風が直撃する前日、江東区に住む昔の友人(弟と同じ年の20歳)も泊まることになった。4人で生き延びるために必要なものをすべて揃えるべく奔走し、彼らに何度も声を掛けた。

なにがなんでも守らなければ、その一心で。


台風が過ぎ、翌日の東京はよく晴れた。セミの音が聞こえてきそうな部屋で、大きな被害もなく家族全員が生き延びられていることに胸を撫でおろした。

と共に8年前に被災した時の記憶がフラッシュバックし、言いようのない不安や恐怖、身体のなかが空になりそうなほどの吐き気に、今も襲われている。

何をしていても、何を見ても、何を食べても、涙が止まらない。自分の意思とは関係なく「どうして自分は生き残ってしまったのだろう」「何のために生きているのだろう」と思えて、身体が動かない。楽しかったはずの趣味も「自分がやることに何の意味があるんだろう」と考えてしまって、手を付けられない。頭のなかでずっと鈍い音が鳴っていて、水中にいる時のように音が聞こえない。

それでも、台風の被害を放送するテレビやTwitterを見ることを止められなかった。

見るのを止めるのは、無責任だ。ちゃんと現実を見なければ。今回は被災していないのに、わたしが具合悪くなるのはおかしい。そう思って、更新される情報を食い入るように読み続けた。


自分では気がついていなかったが、もしかすると8年前の震災でPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症しているのかもしれない。そんなことを考えてネットを徘徊していると、共感疲労についてくわしく書かれた記事をいくつか見つけた。

共感疲労とは、自分が当事者でないにもかかわらず、他人の悲しみや苦しみに感情移入しすぎてしまい、無気力状態に陥る症状を指す。この症状を和らげるには、とにかく情報を遮断し、心を休ませることが大事だそうだ。

ちなみに今回のような災害のあと、ニュースやSNSで情報を受け取りすぎて発症する人もかなり多いらしい。みんな、心がとてもやさしいんだね。

もちろん医者に診てもらったわけではないし、PTSDも共感疲労も「かもしれない」の範疇を超えない。だけれど、「そういう状態なんだろうな」と思うだけで心が和らぐ人もいると思う。わたしのように。


今回、このような状態でもnoteを書こうと思ったのは、今この状態でしか表せない思いがあると思ったからだ。

そして、もしかするとひとりで悲しんでいる誰かを癒せるかもしれないと思ったからだ。わたしの症状が和らいでからでは、遅すぎるかもしれないから。

だから、もし心が辛いと感じているのなら、できるかぎり安全な場所でゆっくりと過ごしてほしい。「ちゃんと現実を見なければ」という気持ちもすごくわかるけれど、あなたの心身が健康でなければ、誰かの力になることもできない。

人と生きていくうえで、「共感できる」ってとても素敵な力だと思う。痛みがわからなければ無意識のうちに誰かを傷つけてしまうだろうし、悲しみを知らなければ本当の意味では寄り添えないもの。

共感できる力を健全に、正しい強さ・向きで使うために、今はちょっと充電しよう。

「自分には何もできない」なんて思わなくてだいじょうぶ。

これからわたしにできることは山ほどあるし、あなたにできることも山ほどあるよ。

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