愛しき幻へ、涙と雨の祝福を

2010年の大晦日、今は無きZepp仙台にて行われたカウントダウンライブを最後に椿屋四重奏は解散した。気づけばもうあれから12年だ。12年。それだけの年月が経ってもなお、その最後のライブに参加できなかったわたしは今でも彼らの解散を実感として受け入れることが出来ないでいた。理解はしている。ただ、「そっか、椿屋、もう無いんだ」と言う事実にいつもぼんやりと疑問符がついているような現実味の無い感じ。きっと未だにわたしと同じ感覚を持ったままでいるファンも少なくはないと思う。ふわふわとした椿屋四重奏の亡霊がいつまでもまとわりついて離れない。解散したあの日から今日に至るまで、何ら変わらずに椿屋の音楽を聴き続けている。中田裕二のソロ活動も最初の1年は音源も買っていたしライブにも通っていたけれど、いつしか離れていってしまった。あくまでも椿屋四重奏で歌う中田裕二の姿が好きで好きで堪らなかったのだ。彼のソロの歌を聴けば聴くほどにそんなどうしょうもない気持ちに気付かされてしまって、罪悪感にも似た後ろめたさに耐え切れなかった。わたしは、薄情者だ。

そんな中発表された椿屋四重奏二十周年のニュース。この夏だけの幻。もちろんチケットは即完売。SNSにはチケット難民が溢れかえっていて、わたしも例にもれずチケットは取れなかったのでありがたく配信で参加することに。現地には行けずとも純粋に十数年ぶりに椿屋のライブが観られるのがとても嬉しかった。配信が開始されてから開演までの時間、ワクワクとドキドキと少しの緊張と不安を抱えながら小さなスマホの画面を食い入るように見つめていた。

やがて開演時間を迎え、暗転する満員の人見記念講堂。観客の大歓声に迎えられる椿屋四重奏二十周年メンバーの姿にはやや緊張が見られるものの表情は穏やかだ。わたしはと言えばひとりきりで冷えた缶ビールのプルトップを開けながら小さく彼らの二十周年を祝った。

そしてなんとなくそんなような気がしていた一曲目、聴こえてきたのはプロローグのあの爽やかなギターフレーズで、わたしのひとみには早くも涙が滲んだ。ステージに立つ見慣れないバンドメンバーに厚みのある演奏、ずいぶんと丸くなった伸びやかな中田裕二の歌声。それはこのバンドが椿屋のようで椿屋じゃないと言う事実を思い知るには充分だった。耳馴染みのある筈の音楽がまるで別物に聞こえる。何だこれは。「あの続きをまた始めるよ ポケットの鍵を探しながら」そう眩しそうに客席を見据えながら歌う中田裕二の姿にわたしは嬉しいのか寂しいのかよくわからない自分の感情を一旦無視することにして、椿屋四重奏二十周年の演奏に酔いしれることにした。間奏で響く割れんばかりの拍手の音に、どれだけここに集まった大観衆がこのバンドを待ち焦がれていたのか伝わってくる。続く幻惑のイントロでは思わず画面に向かって叫んでしまった。なんてかっこいい曲だろう。ゆうちゃんとドラムのりょうちん(あえてこう呼ばせて下さい)が同じタイミングで客席を煽る様子に思わず拳を握りしめた。カトウタロウのギターソロも攻撃的で実に素晴らしくめちゃめちゃにかっこいい。あの頃薄暗いライブハウスで何度この曲に惑わされて来ただろう。中田裕二のギラギラした目に何度撃ち抜かれて来ただろう。そんな一溜まりもない思いが止めどなく込み上げて来て、もう戻れない時を懐かしむ隙も無かった。
初めのMCで中田裕二が言い放った「20年間彷徨い続けた椿屋四重奏の幻に引導を渡しに来ました」と言う言葉が忘れられない。その後に続けた「と言うか、お礼ですね、皆さんに対する椿屋四重奏感謝祭です」これももちろん彼の本音だろう。だけど、椿屋四重奏の幻影に取り憑かれていたのは中田裕二本人も同じだったのかもしれない。そんな風に思わずにはいられなかった。

複雑ななんとも言えない気持ちを抱えたままではあるが、三曲目からもLOVER、手つかずの世界、成れの果てと惜しげもなく繰り出されるキラーチューンの数々に圧倒される。2回目のMCで「人見記念講堂は中田裕二ソロで一回やってて、7年前くらい、まさか椿屋でまた立つことになるとは周りからのプレッシャーでね…()今日は椿屋四重奏ベストオブベストなセトリでお送りします」と中田裕二も語る通り、やる曲やる曲名曲揃いでイントロが鳴る度に歓声と拍手が湧き上がり、時には「長いよ()」と突っ込みが入るほどだった。

ここからはギターを置いてハンドマイクに持ち替える中田裕二。妖しく熱っぽい歌声に思わずため息も漏れる導火線、自然とハンドクラップが沸き起こった共犯では「そう君と飽きるまで」と客席を指差し興奮を煽っていた。キーボードのアレンジが光った紫陽花、アンブレラ、シンデレラの名バラードが続くブロックではスタンドマイクで歌うこれぞ中田裕二な艶声に耳の奥まで潤わされるよう。紫陽花を叩きながら口ずさむりょうちんの口元がずっと笑みの形だったのが印象的だ。本当に楽しそうで、この時わたしはわたしの中で少しずつ椿屋四重奏の幻が薄らいでいくのを感じていた。小春日和のサビではおなじみの手振りが起こる客席に、りょうちんも中田裕二も口元を綻ばせる。アウトロのアレンジもまた多幸感でいっぱいでこちらも思わず笑顔になれた。

MCでは「客席からの怨念みたいな物を感じながらみんな楽しんでますか?(長い歓声と拍手)この歓声の割には曲中盛り上がらないよね、でも椿屋ってこうだったな、乗りづらいもんね、乗ってたと思ったら急にテンポ変わったり」なんて茶化してはいたけれどやっぱりとても嬉しそうだ。「良い曲多いね、良い曲しか書いてないなおれ、りょうちん楽しい?」と訊ねるゆうちゃんと「おれが1番楽しいかもしんない」と答えるりょうちんのやり取りがまた微笑ましい。ここでベースの隅倉弘至が元メロディオンズのメンバーであることが明かされ感慨深い気持ちになった。色々な縁があってこの奇跡の夜が実現したのだと。改めて画面越しとは言え、こうしてリアルタイムで椿屋四重奏を目撃出来ていることに感謝したくなった。

「失いそうで過去にすがって それでも何故か現在を探してる 地図を無くした当てのない僕らは ここがどこであろうと僕はかまわない」とまるで今夜のことを暗示していたかのような歌詞が胸を打つ不時着を経て、踊り子、フィナーレと性急なスピード感が何ともスリリングな2曲で再び客席に火をつける。中田裕二が叫んだ「踊れ踊れ踊り子!」と言うお約束の口上には否応なしにテンションがぶち上げられた。そうそう、椿屋のライブってこうだったよな。フィナーレのイントロでひときわ大きな歓声が上がっていたことからも分かるように、椿屋を愛するわたし達はこのヒリついた攻撃的で陰鬱なロックでこころの底から燃え上がるのだ。世間から見たら実にマイノリティだと思う。だけど、でもここではそれが正義。何も間違ってなどいない。思う存分狂うことが出来るのだ。解散前、最後のシングルとなったマテリアルを歌う中田裕二の声はだんだんと掠れ気味になってきてはいたがそれがまた切なさを増長させていた。

そんな少しばかりしんみりとした空気に包まれた会場。本編最後のMCで中田裕二はこんなことを語っていた。「椿屋時代、一番人気があった頃、2010年ぐらいのね、タイアップとかついて椿屋パワーMAXだった頃が中野サンプラザで、もう無くなっちゃったんだけど、その時のツアーのチケット即完とかじゃなくてめっちゃ頑張ってやっと売り切れたの、それがどうだい」と。マテリアルのメロディーに乘せて「そんな好きなら言ってくれよ、もっと世の中に言ってくれよ」とおちゃらけた様子で歌ってはいたけれど、現役時代には成し得なかったホール公演即完と言う事実がよっぽど悔しかったのだろうと中田裕二らしさを感じて不謹慎ながらわたしは少し安心してしまった。あの頃、こんな風にこれだけのひとが椿屋を欲しがっていたらもしかしてと思わずにはいられない。戻ることのない時にどうしようもない気持ちになりながらも「今日そんなことになると思ってなかった、そんなに待っててくれてたなんて」と優しげな笑みを浮かべる中田裕二の言葉をじっと聞いていた。「ほんっとにフィナーレきつかったです、誰だよあんな曲作ったやつ!」「君だよ!」「おれだよ!でも楽しいよね、しかし周りのひと達は残酷です、こっからまた曲をたくさんやらせようとしている!」と言うゆうちゃんりょうちんのコミカルなやり取りを経て、ライブはいよいよクライマックスに突入する。

「カモーン!」とサビ前に中田裕二が客席を煽り間奏ではカトウタロウと向き合いギター対決を披露したランブル、ハンドマイクに持ち替え満を持して繰り出された結無二最強の代表曲である螺旋階段、曲間無しでドラムで繋いだいばらのみち、そしてこれぞ椿屋四重奏の真骨頂、恋わずらいの流れは圧巻だった。わたしはハンドマイクで舞うようにステージを行き来しながら高らかに歌い上げる中田裕二の姿が本当に大好きだ。この3曲ではまるで長年の呪縛から解き放たれたように自由に煽りまくっていた。その挑発的な手つきやギラギラした眼差しは紛れもなく今の椿屋四重奏の中田裕二でニヤニヤが止まらない。ああかっこいい。配信を見ながら書き殴ったメモにも狂ったように「ゆうちゃんかっこいい!」と言う文字が踊っていた。本編を締めくくったのは中田裕二が「今日はどうもありがとう、楽しい夏の幻でした」と短い挨拶をした後、あの頃と変わらず声高に叫んだ「空中分解!」。わたしはこれ以上にかっこいい「空中分解」の言い方を知らない。それはきっとこれからもそうだろう。もはやビックバンドとも言える編成で愚直なほどにど直球なロックを最後に叩きつけて椿屋四重奏二十周年のメンバーはステージを後にした。

壇上に誰もいなくなり暗転した会場にはもちろんアンコールを求める手拍子が鳴り響く。余韻に浸りながらしばらくその様子を眺めているとやがて照明がつき、続いて聴こえてきたのは結成初期に使われていたと言うあのSE。これは、もしや、いやでも、まさか。そんな戸惑いと期待が入り混じったどよめき。この椿屋四重奏の一夏の幻影に欠けていたピース。誰もがそのひとの帰りを待っていた。じんわりと滲んでいく視界の中、作務衣姿の三人がステージに上がり、カメラが幾分まるくなった永田貴樹の輪郭を映し出したその瞬間、わたしは今度こそ溢れ出る涙を止めることが出来なかった。はにかむような笑みを携えて、優しいひとみで隣に立つ中田裕二を見つめながらベースを弾くその姿。何度夢に見たことか。どれだけ待ち望んだことか。広いステージには三人の椿屋四重奏。彼らがアンコールに選んだのは初期の代表曲であり、ライブの定番でもあった群青。印象的なギターフレーズのイントロから始まる重く不穏な空気の漂う必殺の艶ロック。今更ながらおおよそ20周年のお祝いには似つかわしくない楽曲に思わずにやけてしまう。固唾を飲んだような会場の雰囲気の中、そんな一曲の演奏が終わるとおもむろにあのメンバー紹介が始まった。

「熊本からやって参りました、低音部、永田貴樹!」、「太鼓侍、小寺良太!」それを受けたりょうちんが「そして歌唱部、我らが中田裕二!」と紹介すれば最後に「椿屋四重奏、見参!」と中田裕二が叫ぶ。いつだったか当時はこれを本気でかっこいいと思ってやっていたと後に苦笑混じりに語っていたけれど、少なくともこの日の口上は間違いなく紛れもなくかっこいいものでしかなかった。

メンバー紹介を終えた三人は少しだけ照れ臭そうに、だけどとても嬉しそうに話し出す。中田裕二が「解散のキッカケになったたかしげです」といじれば「ごめんなさい」と素直に謝る永田貴樹。だからと言って離れていた間交流が無かった訳ではもちろんなく、たかしげは折に触れては中田裕二のライブに足を運び酒を酌み交わしていたそう。「こないだもたかしげうちに泊まってったもんね」、「いつでも駆けつけます」と言う仲睦まじいやり取りにもあるように、たかしげはずっとこの12年間変わらずに中田裕二の音楽活動を支え続けてきたのだ。薄情者のわたしとは大違い。何だかとても眩しいものを見せられているような気分で思わず目を細めた。最近のたかしげはと言えば、熊本で福祉に携わり保育関係の仕事をしているそう。なるほど、たかしげらしい。堅実な職種で納得していると中田裕二も同じく「りょうちんなんて地に足ついてないもんね、浮いてる」なんて笑いを誘っていた。その後もまるで残り僅かな時を惜しむように喋り続ける三人。現役時代あんなに寡黙であった筈のたかしげが、泥酔してベロベロになった時のりょうちんの話に「酔っ払い過ぎて何言ってんのか分からない」と茶化せばりょうちんに「お前言うようになったな」と突っ込まれていたのも感慨深い。良い意味でプレッシャーから開放されたたかしげの柔和な笑顔に、寂しさを感じない訳ではないがそんな楽しそうな顔を見せられたらあの時の彼の選択は正しかったのだと思わざるを得なかった。わたしのこころの奥に長らく居座っていた靄がゆっくりと晴れていく。アンコール二曲目のかたはらにを歌う中田裕二の切実な声を聴いていたら、何だかそんなモヤモヤごと浄化されていくような気分になった。この曲はたかしげ自身のリクエストだったらしい。何とも泣かせる選曲である。「いつ何時も其方の熱を傍らに 見放しぐことなど出来ようものか」最後の一節を噛みしめるように歌い終えた中田裕二の儚げな語尾が鼓膜に張り付いてしばらく離れそうもない。きっとあの場にいた全員がそうだったように、わたしにとってとても特別で幸福で、そして胸が締め付けられる切ない十数分だった。作務衣姿の三人の椿屋四重奏が去った後、二度目のアンコールを呼ぶ手拍子が起こる画面を、まるで白昼夢が覚めたような心持ちでぼんやりと見ていると再び現れる二十周年メンバー、そしてたかしげ。それぞれとても充実した表情を浮かべていて、わたしも改めて感謝を込めて拍手をした。

Wアンコールでは全員のメンバー紹介をする中田裕二。「こんなややこしい曲をいっしょに演奏してくれたメンバーを紹介します」と語っていたように本当に改めて名曲揃いで難曲揃いのセットリストだったと思う。こんなバンド、きっと後にも先にも椿屋四重奏だけなんだろう。唯一無二、孤高のロックバンド椿屋四重奏。思えば恋わずらいで彼らに出会ってしまったわたしはリアルタイムで追えて来た時間よりもいなくなってしまってからの方が遥かに長かった。だけどそれでも、この音楽と生きた時間は余りにも濃くかけがえのないものでしかない。忘れない。忘れられない。きっとこれからもずっと、わたしは椿屋四重奏の幻影を追い求めてしまうのだろう。消えてしまったその事実を胸に刻みながら。

最後の曲は「ほんとに皆さんの応援が必要だなぁ、これからも好きだって言って下さい、中田裕二も、椿屋四重奏も」と語った中田裕二の「君無しじゃー?」と言う振りに「いられなーい!」と満員の客席が答えた君無しじゃいられない。まさにその通り。大団円とも言える雰囲気の中、ステージも客席も笑顔で溢れている様子にまた涙が溢れてくる。やっぱり大好きだ。中田裕二も椿屋四重奏も。

最後の一音を鳴らし終えたバンドメンバーがステージの前方で挨拶をし終えた後、本当に名残惜しそうに何度も記念撮影をするとようやく全24曲の長丁場のライブは終焉した。待ち続けて来た空白の12年に比べたらほんの一瞬の出来事ではあった。でもだからこそこの一夏の夢を目撃出来たことをこころの底から幸福に思う。椿屋四重奏、二十周年本当におめでとう。わたしは今までと変わらずにあなた達の音楽と生きていきます。ありがとう幻。だから、またいつか必ず。

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