就職氷河期でも続々と一流企業に入社していった学友のその後を思う

各種データを見るに、私が大学を出た2000年というのは最も就職率が悪かった時で、入学時には「不況でも就職率100%!」を売りにしていた母校の金沢工業大学も、私が4年次には「昨年はついに100%になりませんでした」ともらす始末。

(就職率100%については、1年次から必修科目満載で、1つでも必修を取りこぼすと進級させず、理由を問わず1回でも休むと単位をくれない講義もあり、2年連続で進級できないと即退学という強烈な仕組みにより、不真面目な奴はそもそも卒業できないので、就職率に換算されないというステキなロジックによる)

母校は決してレベルの高い大学ではないけれど、そんな最悪の就職難時代にあって、4年間の理不尽な講義をきっちりサバイバルしてきた人たちは、まあまあ社会に出ても支障ないくらいには鍛えられていたし(自分のことは棚に上げて言う)、大学と企業の長く太いコネもあって、学友の多くは誰もが知っている大手メーカーに次々と入社していった(自分のことは棚に上げて言う)。

あの時代にみんな立派な正社員だったのはすごい。今の時代でもあんなに見事に学生の就職を決められる大学はそうないと思う。

ただその後の友人たちの様子はというと、過労死ラインが甘く見える過酷な労働で心身を壊す人、それに耐えた先で人不足によりあらゆる仕事を兼務させられる人、意にそぐわぬ転勤を「今後の社内評価のため」と受け入れて単身赴任し、数年後に会社に戻ると席がなくなっていた人……と本当にいろいろ。理系ということもあってか、キツい開発環境に置かれた人が多かった。

もちろん順調に昇進したり、独立してうまくいった人もいるけれど、大卒で入った一流企業に今も在籍しているという人はほとんど見ない。理系なので転職した人も確かに多いものの、意に反して離職・転職した人が目立つ。

新卒時、一流企業に正社員として雇用されただけでも、能力的にも人格的にも優秀だった証拠だと思う。大企業に就職できたら勝ち組だと、多くの学生がそれを目標にがんばって、就職競争を勝ち抜いたのに、その内情がどのくらいブラックかによってその後の人生が変わる。

「そんなの時代を問わないよ」とも言えるし、「そこで生き残れなかった人は能力が劣るんだ」というのも正しいかもしれない。でも、雇用が少ない時代ということは、企業としても余裕がない時代でもある(企業が苦しいから雇用が少ないのだけど)。少数の新卒を即戦力として、ろくな社員教育もないまま猛烈に働かせるブラックな会社も多かった。今の時代にもあるけれど、割合として多かった。

例えば私は新卒たった1人の会社に入り、入社1日目に総務部長から「1か月間は社員教育として総務部付き」と言われて退社し、2日目に出社したら「君の席はそこね」と技術部にあるホコリまみれの席を指され、借りたティッシュでホコリを拭いてから倉庫に眠る古いPCを使えるようにセットアップし、その日のうちに客先のLAN環境を整えに行ったりした。それができなければ要らない、必要なことは自分で学習しろという空気だった。是非もなく、そういう時代だったのだ。

自分自身のことだけで言えば、それなりに打たれ強くて、環境適応能力が高かったのだと思う。でもそれをみんなに求めるのは酷だし、もっとハードな会社に就職していたら今の自分はなかったかもしれない。

心身を壊して正規雇用から離脱したら、本人も次の仕事は業務内容を選ばざるを得ないし、再雇用する側も労働条件・年齢・経験等から及び腰になるので、再び同じレベルの収入に戻るのは至難の業。この時代を生きてきて、今もそれなりに生きていけていることは、多分に運がよかったと言わざるを得ない。

……というのは我々世代の実感としてあると思うけれど、上の世代、下の世代はどうなのだろう。同じように思っているのか、全然違うのか。「運だよね」という答えが出るのかはとても気になる。

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