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リファー/転院相談において援助を「バトンタッチ」することについて考える

前回のエントリで、


『「転院」はさまざまな事実の絡み合う過程で生まれたひとつの結果』であり、そのプロセスにも焦点を当てられるのがソーシャルワークだ、

と記しました。

私は過去の勤務先の病院で「転院相談をする・される」両方の立場を経験させてもらいました。

その経験から言えるのは、転院相談を受ける側は、こちらが提供する情報から、絵的なイメージを膨らませて、イメージをある程度こちらと共有しながら、転院相談を受けるということです。(当たり前と言えば当たり前なのですが、それを意識化してするかどうかの問題です)


転院相談をする側から言えば、相手のソーシャルワーカーの方から「絵的イメージを描く過程が相談をするこちら側にも伝わってくる」というある種の緊張感を感じることがあります。そんなとき私は、相手のソーシャルワーカーの方の絵解きイメージのレベルというか質が高いのだろうと感じ、想像するのです。


これは本エントリでの言葉を用いれば、「どのようにバトンを受けるか」という援助をバトンタッチする・されるのイメージに合致するのです。そして、そういったソーシャルワーカーの方は、転院相談をする側の同業者のアセスメントをとても尊重されます。私は、それを感じるとき、電話越しから、その方がきっと日々の現場でも「個を尊重」しているのだろうと想像します。


悲しいがな、転院相談ひとつにとっても、相手のソーシャルワーカーの質は見てとれるのだと思うのです。どのような質問をするか、ということは、どのような物事の(ケースの)見方の枠組みを持っているか、ということとほぼ同義。それは転院相談をする方についても言えることだと思います。


と、私自身も当時、常にそういうことを感じられる状態で仕事をできればよかったのですが、そうはいきませんでした。転院相談先のソーシャルワーカーの方が、どのようにバトンを受け取ろうとしているのか/していないのか、に意識を向けるには、自分の中の「余裕」が必要だと感じます。


皆さんは、どんなことを留意して、援助をリファー先のソーシャルワーカーにバトンタッチしていますか?


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