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ソーシャルワーカーとして,”怒りの感情”をどう取り扱い,そこから何を学ぶか

ソーシャルワーカーとして、日々、様々な職種・機関とやりとりをする際に「理不尽だ」「話がわからない」「一緒に仕事なんぞできない」などの怒りの感情を抱くことがあります。そして、これは厄介なものだと思います。

「ソーシャルワーカーが抱いた怒りの感情、その矛先を他機関や他職種に向けることによって、本当にクライエントの利益が最優先されるのか?」という問いは、本来、冷静な頭で成されるべきものです。

ですが、そもそも「怒り」が先にきているわけですから、自制が効かず、感情に任せて、ということになりかねません。ですから、まずは、怒りを生じさせている原因がどこから来るものかということを知ることが大切です。

「ソーシャルワーカーである自分自身に降り掛かった出来事」、
「クライエントが対峙している事実に関連する出来事」

この両者を錯誤し、「クライエントが対峙している事実に関連する出来事」を「あたかも、ソーシャルワーカー自身に降り掛かった出来事」だと取り違え、そして生じた怒りは、向ける先を間違えやすくさせます。

だからこそ、怒りの感情に支配されそうになったときこそ、冷静な頭で「この怒りはどこから生じているのか」ということを内省することがとても大切です。


上記は、私が過去の経験から学んだことです。
まだ現場1年目だった頃、他機関との関わりにおける理不尽な出来事に怒り狂う自分をみて、上司が「その怒りの感情で、クライエントの利益を守れるなら、他機関の相手にそれを向けてもいいけど、それができないなら、その感情は邪魔になるだけだからね」という一言をくれました。その言葉は今もずっと胸に留まり自分を制してくれています。


「怒り」の出所が、クライエントの利益や権利が侵害されていることからくるものなのか、それとも自身の援助者としての価値観に相容れないものなのか、プライドを傷つけられたと感じたからなのか、など、「怒り」の構成要素を省みず、そのエネルギーに傾倒し、何かを実行するとしたら、それは愚か過ぎる行為なのだ、ということを新人時代に教えてもらえたことは、自分にとってはとても重要なことでした。


「怒り」の感情からくるエネルギーの矛先を他者に向けるのではなく、内省の材料として用いる、という思考変換ができるようになったのは、過去の職場の上司の一言のおかげでした。


そしてまた、怒り任せた汚い言葉、罵倒する言葉を口にしていると、それが皮膚に纏わり付いて、それが続くと、いずれ本当の皮膚になってしまうように感じます。怒りに任せた汚い言葉自体が、自身の品位をだぼつかせる、醜い脂肪を蓄えることになる。そう思うのです。


日々、口にする言葉が積もり皮膚になる。皮膚は決して「脱げない」だから、どんな言葉を選んで口にするかというのは、気にしてあげたほうがいいなと思っています。


人が言葉をつくるのではなく、日々口にする言葉がその人自身をつくる。
そんなことを思うのです。


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