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なぜ私は、今更Appleのエコシステムに足を突っ込みMacを購入するに至ったのか

わかっています。
製品が高すぎるってことも、今appleが落ち目(かもしれない)らしいことも、もはや革新的なIT企業ではないかもしれないことも、競合他社の製品がとても魅力的なことも。
それでもAppleの製品を好きになり、そのエコシステムに足を突っ込んでしまった34歳男性の懺悔を少し聴いてくれませんか。

iPhoneXとの出会い
あれは2018年6月のこと。
当時、携帯端末を買い換えようとしていた私は、「趣味としてプレイしていたスマホゲームが1番快適にプレイ出来る」という理由で、かなり高額だったiPhoneXを購入してしまったのである。
正直、当時の私は、「appleとか信者が気持ち悪いし、たかがスマホなのに10万円くんだり出してまで買うもんじゃないだろう」とか思っていたものである。
それでもゲームを快適にプレイするために、大して買いたいとも思っていなかった10万円の携帯端末を購入したわけである。
(今自省してみると気持ち悪いのは私かもしれない。Apple信者のことを気持ち悪いと思うなら、私はゲーム信者だったのだ)

実際買ってみると
あらためてパッケージを開けてみると、まずは見た目が美しかった。
ボタン一つない、全面スクリーン。
ガラスとステンレスで構成されたシンプルなデザイン。
起動して触ってみれば、直感的でこれまたシンプルな操作性。そして非常に軽快かつ快適な動作。
なによりも、有機ELディスプレイの美しさに感動してしまった。

それらは私に、最高のゲーム体験を提供してくれた。
正直に言えば、私はすっかりこの小さな電子端末の虜になってしまったのだ。
(もしかしたら、前に使っていたAndroid端末が古すぎただけかもしれないが)

ゲームに触れなくても
その後、色々な事情があってゲームに触れない時間が増えていった。
そんな時も、私はiPhoneXには触り続けた。
触れば触るほど、iPhoneXは色々な体験を私にくれた。
中でも、kindleでの読書体験は素晴らしかった。
他の人もよく言っているように、有機ELディスプレイは黒の発色が綺麗で、文字がとても読みやすく感じるのだ。

私はKindleペーパーホワイトを持ってはいたが、正直あまり使っていなかった。
今思えば、ただ読書のためだけに、専用の(自分では気にいっていない)電子端末を持ち歩くのが嫌だったのだ。
iPhoneXは、その小さなボディで、私に隙間時間での読書という新しいインプットを与えてくれたのである。

2回目になるが、私はすっかりこの小さな電子端末の虜になってしまった。

ゲームを辞めてもiPhoneXは手元に残った
さらにそれからしばらく、色々とこれからの人生のことを考えて、私はゲームを辞めることにした。
最初は、大好き(だと思っていた)ゲームを辞めたら、ゲームのために購入したiPhoneXもいらなくなるんじゃないかと思っていた。
だけど、ゲームを辞めても、ゲームのために購入したはずのiPhoneXは私の手元にあって、ますます触るようになっていた。
そして、触れば触るほど、前よりももっとたくさんの体験を私にくれるようになった。

使い過ぎてもはや寿命が近かったウォークマンがやってくれていたことは、今やiPhoneXがやってくれるようになった。
Apple musicは初めての定額音楽配信サービス体験を私にもたらしてくれた。(今思えば、この頃からエコシステムに片足を突っ込んでいたのかもしれない。)

勉強になりました。避けては通れぬApple信者『うぉず』様のサイト
私は元々熱しやすく凝り性な部分があるため、「こうなったらiPhoneXをどんどん活用してやろう」と思うのはある意味自然なことだった。
そこでiPhoneXの活用方法をiPhoneXで調べていくうちに辿り着いたのは、『Apple信者1億人創出計画』というインターネットサイトだった。

そのサイトには、私の知らないたくさんのiPhoneの活用方法や、iPad pro(実はこの時点で、kindleの読書体験に感動してしまった私は、iPadは購入していたのである)、そしてMacの情報に溢れていた。
しかし、そういった情報よりも、うぉず様を初めとした、そこに集まる人達がApple製品に対して注いでいる愛情と、その製品と体験がもたらす自己の成長という概念にすっかりシビレてしまった。

ますます、iPhoneXと、その先にあるかもしれない『何か』の虜になってしまったのだ。

その後はジェットコースターのようなもので、全面スクリーンのiPadの美しさに一目惚れしてiPad Proを購入してしまった。Apple Pencilは、忘れかけていた手書きのマインドマップや手書きメモの素晴らしさを私に思い出させてくれた。

第6世代のiPadは親に譲ることにした。直感的で取っ付きやすい電子端末とのことで、前より写真やメッセージのやり取りが目に見えてが増えたので、本当に譲って良かったと思う。

そして、iOSと対になるmacOSを触ってみたくなって、見た目も一目惚れしてしまったMacBook Proを購入するに至った。

ここまで転がり落ちるのは、本当に早かった気がする。

結局なぜAppleのエコシステムに手を出したのだろうか
実際のところ、Windowsをずっと使ってきて特に不便を感じたこともなかったし、会社では古ぼけたWindowsを使わされ続けるのだろうし、Appleのエコシステムに手を出す必要などなかったのだろう。

けれど、私が今も虜になっているiPhoneXは、ゲームのために買ったものなのに、目的だったゲームは辞めてしまった今も私の生活に彩りを添えてくれている。

MacBook Proを購入する前に持っていたWindowsパソコンは、これもまたゲームのために買ったものだった。だが、申し訳ないが、ゲームを辞めてからは生活に彩りを添えてくれることはなくなった。

もしかすると、ゲームのために持っていたパソコンでやってきたこと、もっと言えばゲームのためにパソコンを買って没頭していた自分を変えたくて。そんな自分を捨てて、気分を変えて、次のステップを踏み出すために、Appleのエコシステムに足を踏み入れたのかもしれない。

私は、何か違うことをやりたかったんだろう。
そしてそれは、いわゆる逃避行動のひとつだったのかもしれない。
モノを購入しただけで、自分が変わるはずがないのだ。

しかし現実は、いらないものを処分し、本当にやりたいことを自問自答し、時間の使い方を吟味し、ちょっとずつ自分が変わり始めている。これからの人生の計画を前向きに立てられている。
ゲームやその他の事柄のせいにして目を背けてきたことに、少しずつ向き合えている。

この小さな小さなステップを踏み出す切っ掛けのひとつを、今も手元で輝いている、この小さな電子端末がくれたかもしれないと思うと、これはちょっと素晴らしいことなんじゃないかなと思うのだ。

最後に、『Apple信者1億人創出計画』で教えてもらった、スティーブ・ジョブズ氏の言葉を引用して、この文章を終わらせたいと思う。
この言葉にも、私はシビレてしまったものだ。

Macを使っている人にMacについて聞けば、「Macを愛している。」と答えるだろう。製品を愛しているなんて滅多に聞けることではない。でも、Macならそんな経験が可能なんだ。人類を進歩させるためには最高のモノを作り出して、それを広めること。それが人類の能力をamplify(増幅させる)ための方法なんだよ。

気が向いたらぜひ! ※頂戴したお金は、日本経済を回した後、当方の胃袋の中に消えます(笑)