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【ぼっち・ざ・ろっく】最終回ライブパート『星座になれたら』トラブルシーンの考察【ネタバレ】

『ぼっち・ざ・ろっく』が終わってしまいました。
22年秋アニメには「水星の魔女」と「チェンソーマン」という大物が控えていたにも関わらず、終わってみればそれらの大物と引けを取らないどころかどうかすると勝ってんじゃないか?と思えるような結果になりました。
まぁ、優劣や順位とかは他の方に任せるとして、ここでは最終回の前半ライブパートの2曲目で描かれてたトラブルの顛末について語りたいと思います。

この作品はライブに限らず、演奏してるシーンはスタジオや学校の物置き、ぼっち家の押入れの中での練習シーンは勿論、ぼっちちゃんがショックな事があった時に現実逃避的にギターに逃げる際のアドリブ演奏や実際には弾いてない妄想の中での演奏さえも徹底的に描写されています。

ここの「私ってもう隠キャじゃないのでは?」のシーンでさえキレの良いストロークを披露してくれているんです(この時は学校に行く準備してる時でギター持ってない)

もう10年以上も前になりますが、かつて「涼宮ハルヒの憂鬱』で文化祭の出し物でバンドやるシーンの作画クオリティが話題になりました。
当時は凄い凄いと言われた物ですが、「ぼっち・ざ・ろっく」を観た後ではやや霞んでしまいます。

ライブ中のトラブル回避ネタはバンド漫画の定番エピソード

バンドマンガは数こそ少ないにしても何十年も前から存在している鉄板ジャンルで、その中で「グダグダになってるメンバーをリードギターがソロアドリブで喝を入れる」「ライブ中のトラブルで演奏が続けられなくなったメンバーを他のメンバーがサポートしてトラブルを乗り切る」というのは定番エピソードです。
それはもう「ここは俺に任せて先に行け!」とか「遅刻遅刻〜」に匹敵するパワーエピソードなのですが、何故か漫画でしか観られない。
そもそもマンガでさえバンド物は多くないのにアニメ化した作品は更に少ないし、実写映画でもバンド作品はあんまり思い出せませんしそんなシーン観た記憶は無いです。
理由は簡単、再現するのが超困難だから。

まず、ギターソロは作中のメンバーだけでなく視聴者の目も冴えさせる様な超絶プレイである必要がある事。
トラブル回避は事が重大である事と特に問題が無かった様に事もな気にリカバリーする事を両立して表現しなければならない事。
イメージのすり合わせも大事です。
爽やか青春ロックなバンド作品で「DEATH」なソロブチかましたらそれはもう感動シーンではなくポプテピピック的な破壊的ギャグシーンです。

私はアニメを7話(八景)まで観た時点で原作履修したので、次週の初ライブ会でぼっちちゃんのギターソロ喝!シーンがあり、おそらく今クールで文化祭まで行ってぼっちちゃん1弦ブチ切れ案件が起きる事を前以て知っていたので、これをどう表現するのか楽しみにしていたのです。
8話のライブ会のソロシーンは「こんなソロをブチかますJKギタリストがいたらステージに駆け上がって求婚するわ!」ってくらいの素晴らしさでした。
そんな訳で、私の12話視聴は最終回という事情とは別の更なる期待の高まりと共にやって来たのです。

良いソロには2種類ある

私が学生の頃のバイト先に音大行ってる先輩がいて、専攻はパーカッションでフュージョンバンドやってる人でした。
その人の車の中でよくCD聴きながらウンチク聞かされたのですが、ソロに関するネタで印象に残ってる話があります。
バンドのライブって言ったら各パートのソロやるのはお約束で、各々の見せ場でもあります。
ノリを重視する当時のロックの人達は勢いアドリブで弾いちゃってたのですが、自分が得意なフレーズを繰り返すか感情的にかき鳴らすかでだいたい主旋律とは言えない様なメロメロの音になる事が大半でした。
一方でフュージョンにはジャズ要素が加味されててジャズからスライドして来たプレイヤーが多数いました。
ロックと比べてロジカルでクレバーなジャズでは「ギュイーン!」って鳴らしちゃえば許されるみたいな風潮はありません。
それでいてロックだとソロ8小節とかだけで済むんですがジャズには「フリーセッション」なる、譜面通りにしか弾けないプレイヤーには地獄の拷問みたいな習慣があります。

彼らはソロの練習をしてるのです。

その人はカシオペア大好きマンだったのでだいたいカシオペアがかかってたんですが、ライブ音源でソロのシーンがあって凄いなぁとか言ってたら「これは全体で合わせながら練習してるソロだよ」と身も蓋も無い解説w
実際、カシオペアのソロは破綻無くカッチリしていて彼らのウリであるテクニックを遺憾無く披露していましたし、実際他の国内のフュージョンバンドは勢い場当たり的アドリブでやった挙句にメロメロだったもんです。

そう、「良いソロ」のひとつ目は「練習して来たソロ」です。

じゃあもうひとつは何か?と言えば「アドリブのソロ」です。
なんじゃそりゃ?今ダメって言ったじゃん!とお思いでしょうが、これには条件が付きます。
「その場に合った適切なフレーズが常に湧いて来て、それを的確に演奏出来る人が弾くソロ」です。
ジャズマンのフリーセッションはそれ前提に行われている物なので、かのジャンルでは常にその能力を求められますし、ジャズの名盤と言われる音源にはスタジオ録音の物だけでなくライブ音源の物が多いのもそれが理由です。

緑のマンガで「アルバムよりいいライブ」とある通り、ロックの世界では生演奏がスタジオ録音と比較出来るレベルのプレイヤーは存在しますがひと握りですし、そもそも彼我のジャンル自体そこを目指してない風潮があります。
一方でジャズの世界では別にスタジオ録音を軽視している訳ではありませんが「教本のお手本CDみたいな演奏」を煙たがる風潮はあります(無論ロックにもありますしむしろそれがロックなのですがw)

グダグダ長くなりましたが、8話のぼっちちゃんのソロはおそらくこれ(という作品内の設定)で、ギター担当の中の人も何度も練習して来た教本的演奏にならない様にライブ感出す事を念頭に置いて弾いてる様に聞こえますし、そりゃあステージの上に駆け上がって片膝を着きたくなる衝動になるってもんです。

考察:後藤ひとりの場合

前置きがダラダラ長くなりましたが、ここからはメンバー別に文化祭ライブトラブル時の行動を考察してみましょう。
まずは当事者の後藤ひとりさんから。
ぼっちちゃん、ライブに漕ぎ着ける前に七転八倒した挙句にメンバーに推されて(特に喜多ちゃん)何とか文化祭のステージに立ちます。
まぁバタバタです(そもそも結束バンド加入時からずっとバタバタバタですが)

しかし、ライブが始まれば平穏という訳ではなく新たなトラブルがぼっちちゃんの身に迫ります。
1曲目の演奏中に「1、2弦のチューニングがおかしい」という異常に気が付いて、曲が終わって喜多ちゃんと虹夏ちゃんがMCやってる間に対処しようとします(おそらくペグを何処かにぶつけて折れたか曲ったかと推測)
この時にペグを回して出た音、ギターやってた人には冷や汗物で、もう弦が切れる寸前の気配そのものなんだそうです。

そしてそのまま2曲目を始めた結果1弦が切れ、ソロが来るまでにせめて2弦だけでも合わせようとしたらペグが壊れててチューニングが出来ません。
普段のぼっちちゃんなら1弦切れた時点で人の形を維持する事さえ出来ず液状化や粉末化起こすのですけど、ギター弾いてる時のぼっちちゃんは少なくともミジンコよりは上位の存在。
ソロまでの時間がもう目の前になっても解決策を考えようとします。

自分のソロが来ても解決方が思い付かないまま座り込んでると、気が付いたら喜多ちゃんがソロで弾いてる。
しかも結構上手い上に堂々とパフォーマンスしてる。
この時点でぼっちちゃん「どうしよう」スパイラルから脱却して正気に戻ります。

そして喜多ちゃんの余裕で気丈な笑み。
視聴者である我々にはモノローグで喜多ちゃんの意思は伝わりますが、ライブ中の2人にはアイコンタクトとちょっとした仕草くらいしか意識伝達方法はありません。
しかし、喜多ちゃんの意思は伝わります。

ぼっちちゃんは廣井師匠がステージ上に置きっ放しにしてたカップ酒の瓶を掴んでギターのネックに押し当てて、いわゆる「ボトルネック奏法」でソロを弾き始めます。
この奏法、フレットの位置とは関係なく瓶の位置で音程調整するのでチューニングがちょっとズレてるくらいなら関係無くこの状況には適してます。
ちなみにぼっちちゃん、ギターに関しては勉強家でバンド組んだ時にどんな状況にも対応出来る様に割と色物奏法も練習していた模様(マンガでは歯ギターやってたw)
あと、ボトルネック奏法は決して簡単ではなく、音程が感と経験でしか取れないので要練習だし、そもそも普通は専用のパイプ使って弾く物でだいたいはハワイアンギターみたいな呑気な曲弾くくらいで最近のロック界隈ではカバー曲かネタでしかやらない絶滅危惧種で難易度の割には表現が限られてるのでまず見かけないそうで。
店長と師匠が関心しつつも呆れてたのはそういう事です

そしてソロが終わったらぼっちちゃん瓶をそうっと足元に置いて演奏に復帰します。
喜多ちゃんのMCといい、ロックバンドとは思えないお行儀の良さ(笑)

考察:喜多郁代の場合

喜多ちゃんはギター歴半年のビギナーなのにギター弾いてボーカルもやって曲が終わればMCもやってと大忙しなのに、割と左右も見てるしドラムとのアイコンタクトも忘れない、とライブ中はあちこち気を使っててます。
勿論、ぼっちちゃんの様子がおかしい事に気が付いてか、アクシデントが起きる前からぼっちちゃんの方を気にかける描写がちょっとだけありますが、左右への気配りの範囲ではあります。

そしてその時が来ます。
喜多ちゃんはぼっちちゃんが演奏止めてギターのペグを調整し始めるのを確認します。
ですが、特に気に留めてる様子もなくまた前を向いて歌い続けます。
私は原作読んでてこの後喜多ちゃんがリカバリーするのを知っていたのですが、喜多ちゃんのあまりにドライで素っ気ないリアクションに「え?原作とは違うオチにするの?」とちょっとパニくりました。
何せ初めての「メンバーのトラブルをサポートして乗り切る」を動画で見れるのですからかなり期待してたものでして、ここで原作改変とか、ギター壊したぼっちちゃんみたいに取り乱しそうになってしまいました。

勿論喜多ちゃんはそんな薄情な女ではありませんし機材がトラブったくらいでぼっちちゃんのリタイアを認める様な蛋白な女でもありません。
取り敢えずソロは暫定でスイッチ、時間を稼ぎます。

そして例のアイコンタクトとモノローグ。
ぼっちちゃんが正気に戻って復帰するのを確認したらこの笑顔です。
正直、1、2弦が死ぬとか予備のギターが無ければ演奏中断物なのですが、2人ともライブは片手で余るくらいしか経験無いので演奏止めちゃうなんて大それた事するには気が引けますし、ひとつひとつのライブがダメにしたくない大事な物です。
出来れば綺麗に終わらせたい。
そんな新入り2人が欲張った結果はご存知の通り。
場合によってはぼっちちゃんに一生消えない心の傷を負わせかねない乱暴な判断でしたが、ぼっちちゃんはライブの成功とトラブル回避という成功体験を二重に得るという普通に練習してたら得られない貴重な経験値を稼ぐ事が出来ました。

さて、ここで導入部で書いた私の音楽の師匠の1人であるバイト先の先輩の言葉を振り返ってみましょう。

「良いソロには2種類ある」

8話のぼっちちゃんのソロも、最終回の喜多ちゃんのソロも、「良いソロ」だと言って問題ないでしょう。
じゃあそれぞれのソロは2種類のうちのどちらでしょうか?
ぼっちソロは間違いなく「才能あるプレイヤーによるアドリブ」です。
そもそもぼっちちゃん、作中で何度もその場で曲作って歌詞まで付けて弾き語りやってくれてます。
しかも結構出来が良い(笑)
私のお気に入りは、ドリンクコーナー・ワークマニュアル(仮)
虹夏ちゃんが嗜める声と店長のモノローグでかき消されかけてるのが残念ですが、もし「ぼっち・ざ・ろっく」のサウンドトラックが出るのならキチンとレコーディングした上で収録して頂きたいってくらいには好き。
こんな事を日常的にやってるのですから、ライブの最中に一発カマすのなんギターを改めて取り出す手間が無い分むしろ簡単だってもんでしょう。

では、喜多ちゃんソロはどうでしょう?
喜多ちゃん本人が後で保健室で言ってる通り「バッキング」(伴奏)をベースにアレンジしたものを弾いてます。
華やかさではぼっちちゃんソロには及びませんが、あの場を乗り切るには十分な出来ですし、結果的に在校生によるギターソロ2連発というイケてる演出にもなりました。
喜多ちゃんはバンド入る前にピアノなどの音楽教育を受けているという設定はありません。
ギターも独学で6弦ベース弾いてた時期も入れて半年程度、tab譜を追っかけるのが精一杯でしょう。
おそらくアドリブで1フレーズ弾くだけでも困難で、間奏の4小節分持たせようと思ったら滅茶苦茶にかき鳴らすとかじゃないと無理です。
以上の点を踏まえて私はここで断言させて頂きます。
喜多ちゃんのソロは事前に練習していた物です。

おそらく喜多ちゃんにはひとりであのアレンジしてソロのフレーズ作るのは無理でしょう。
やるとしたら練習見てる先生役ですが、ぼっちちゃんは凄く驚いてたんで除外。
となると、高い授業料(笑)を貰って教えていた奴がいますね?
そいつはこの後に書いてますが、喜多ちゃんがソロ弾き出したのを特に驚きもせずにその横で粛々と演奏を続けて、ぼっちちゃんが復帰するのを確認するとドラムに間奏2ループ目を要求して場を繋いでいます。
流石にこういった緊急事態を想定して作られた訳じゃなく、「もし喜多ちゃんがソロやるのなら」といった設定で作った練習用の習作とかじゃないでしょうか。

とはいえ、私の心の中の千代ちゃんが真顔でこう呟くのです。
しかし、あのソロが良作であり喜多ちゃんにアドリブ弾けるスキルが欠けてる事も設定上の事実。
公式からの表明がある様な話でもありませんし、ここは二次創作陣による薄い本に期待。

考察:伊地知虹夏・山田リョウの場合

作品の中では大きく触れられていませんけども、実は「星座になれたら」のオリジナルの間奏部分は本来は12話で演奏された分の半分で、その間がぼっちちゃんのソロの予定でした。
12話では本来の間奏を2ループしてるのです。
勿論そんな事は事前に打ち合わせしてる訳がありません。
喜多ちゃんソロで使い切ったパートを延長してぼっちちゃんに繋げたのはリズム隊のアドリブです。
喜多ちゃんだけがぼっちちゃんのピンチを救ったみたいに描かれてますけど、実はメンバー全員のチームプレイだったのです。

ぼっちちゃんの弦が切れてしゃがみ込んでしまう所まではこのふたりの描写はありません。
喜多ちゃんがソロを始めた時、やっと虹夏ちゃんが映ります。
ドラムは後ろから全体見てるのでぼっちちゃんがしゃがみ込んで演奏止めた事は確認している筈ですが、いかんせん後ろからしか見えないので何が原因で中断したのか、この後どうするのかは分かりません。
挙句にゃ喜多ちゃんが勝手にソロ弾き始めて、いつも笑顔で演奏してる虹夏ちゃんややご機嫌斜めに見えます。
何かギター組で起きたみたいだけど演奏止める様子はないんで続けるけども、どうするのよこの後?ってとこでしょうか。

しかし、山田がちゃんと見ていました。
ぼっちちゃんが酒瓶持って演奏復帰する意思がある事を確認した山田は、ドラムの方に寄って行って虹夏ちゃんに合図します。
まとめ動画の人達はアイコンタクトで意思疎通してると言ってる人が殆どでしたが、どちらかというとボディランゲージの方が正しい。
ドラムに寄って行った後、ぴょんぴょん跳ねて2ループ目を「おねだり」してるんですよね。
あの、円陣組んで手を重ねるのを「暑苦しい」と嫌がってた山田がですよ。
そもそもぼっちちゃんのソロを提案したのは山田です。
銭ゲバでゲスいクズベーシストとか一部で言われてる山田ですが(笑)ぼっちちゃんが勇気出して文化祭に出る決意をした事は素直に応援していましたし、トラブルで一度は間に合わなかったソロをやる意思があるのならチャンスを作ってあげたいでしょう。
虹夏ちゃんも勿論そうでしょうし何より止めようとしてる奴はいません。
おそらく虹夏ちゃんが迷っていた事は表情等から分かっていたのでしょう。
何もしなければ予定通りBメロが始まる筈です。
ベースで両手塞がってるし演奏中なので声も出せませんが、気持ちとしては戦争映画で良くある「Go!go!go!」でしょう。

こうしてリズム隊によって間奏は2ループ目に入りぼっちちゃんは無事ソロを弾き遂げる事が出来ました。

「ぼっち・ざ・ろっく」製作陣の結束力は異常


それにしてもね、山田の2ループ目要求アクション、まとめ系の人達が触れているのを見かけないのですけどほんとカワイイしまるで本当のライブアクシデントみたいで生々しいんです。
「ぼっち・ざ・ろっく」では、演奏シーンを始めいくつかのシーンでCGが使われてて、そのキャラクターの動きをモーションアクターの方が担当しています。
EDのテロップで出て来る名前でググってみると分かりますが、4人とも女性でミュージシャンです。
リアル「結束バンド」なのです。
で、その4人が主に演奏中のメンバーの動きを担当してる訳なんですけど、各々が担当しているキャラに対しての理解度が深い。
山田なんて1話の暫定メンバーによるライブから文化祭の1曲目まで淡々と弾いてたのに、2曲目でぼっちちゃんがカップ持って演奏復帰したのを確認しての2ループ目要求は明らかにウキウキ感あります。
あの可愛さは中身がオッサンでは出せませんし、あの生々しさはバンド経験者じゃないと無理。
アクシデント収束後の演奏も普段よりゆらゆら度が増していてご機嫌に弾いてる様に見えます(表情は変わらない)
モーションアクターの方に限りません。
声優陣は特に青山吉能なんてぼっちちゃんが憑依したかの様な迫真の演技。

4話でイ“ソ”スタをメンバーに勧められてプラズマ化した時の声、エフェクト無しだそうで(驚愕)
青山さんは過去にプラズマ化した経験があるのでしょう(白目)
提供されている楽曲にしてもそう。
詩も曲も提供者は多岐に渡るのに、「結束バンド」というバンドに対してのイメージにブレが無くて違和感が無い。
そして全部良作。
アルバム買ったら当たりの曲は2~3曲で残りの曲は飛ばしちゃうってのが普通だと思うんですけど、皆さん「結束バンド」のアルバム聴いてどうでした?
勿論これらを作っていた時にアニメは存在していませんので、皆さん原作を見てイメージをすり合わせたのだと思われます。
「音楽」という触媒を元に「ぼっち・ざ・ろっく」の原作読むと、意識が統一されるのです。
そして今期の12話は文化祭で締められる、となるとどう考えても一番の見せ場はぼっちちゃんの機材トラブルに関わる顛末なのだ!と製作陣の意思がまとまるのは当然。

『星座になれたら』

この文化祭ライブのシーン、演奏してるんでBGMや効果音は無し。
照明も高校生レベルで真上から照らしてて演者の顔に影が落ちてるのそのまま、エフェクトも何も無し。
演出はカット割程度のあっさりしたシーンです。
なのにこの濃密な空気感。
スタッフの皆さんがどれだけここに魂投入したのかが伺い知れます。
そして私は「バンドメンバーがヘラっている所をギターソロで一喝」「機材トラブルで演奏継続出来なくなったのをメンバーのリカバリーで窮地脱出」するシーン両方を活字や静止画ではなく動画で見る事が出来ました。
もう何回繰り返し視聴したのか分からないくらい観てます。
お陰で放送終了後、私の脳内リフレイン曲はこの『星座になれたら』がヘビロテされております。
しかし困った事にサビの詩の「君と集まって星座になれたら」の部分が「君と間違って星座になれたら」でインストールされてしまい、私の脳内では現場猫が夜空に輝きを放っております。

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