武田 徹/『末期の眼』から生まれる言葉

 2013年12月17日にかしぶち(橿渕)哲郎が亡くなった。一年後の14年12月17日に彼の冥福を祈りつつ、過去の橿渕作品を他のアーティストが演奏するトリビュート・アルバム『ハバロフスクを訪ねて』がリリースされている。
 そのアルバムで最初に流れてくるのは、矢野顕子が哀惜を込めてピアノを弾き語る「リラのホテル」。静かに抑えるがゆえに逆に声の勁さが際立つ。共演経験のある矢野がいかに橿渕を愛し、その喪失を悲しんでいるのかが伝わってくる。
 橿渕は不思議なアーティストだった。ムーンライダーズの中では言葉から最も離れたドラマーというパートを担当していながら、染み入るように歌詞の言葉を聞かせる作品を多く残した。
 たとえば「砂丘」。トリビュート・アルバムでは二曲目に入り、山本精一が1977年にアルバム『MOON RIDERS』に収められたオリジナル・バージョンへのリスペクトを感じさせるアレンジに乗せて歌う。

 どうしたの?/いや/何でもないさ/僕はいつも/
 砂を握りしめて/倒れている

 こうした橿渕の詩作の境地はいかに得られたのか。

 最近、ある偶然の結果として久しぶりに書棚から取り出した本があった。唐木順三『詩と死』。「人と思想」と題されたシリーズの一冊となる評論集で、過去の唐木の評論作品を広く集め、1969年に初版が出ている。手元にあったのは77年に出た第七版だ。
 その中で唯一新たに書き下ろされたと思われる後書きで唐木はこう記している。

  川端康成氏に『末期の眼』という短い文章がある。
 その中で川端氏は芥川龍之介が自殺のすぐ前に書い
 た『或旧友へ送る手記』から次のようなところを引
 いている。生活力というものは実は動物力の異名に
 過ぎないこと、生きるために生きている人間は哀れ
 であること、自分は自殺を決意していること、そし
 て、自殺を決めた時以来、自然がいつもより一層美
 しく見えることを書いて、芥川はその結びで、「け
 れど自然が美しいのは、僕の末期の眼に映るからで
 ある」と言っている。川端氏は右の引用のあとへあ
 らゆる芸術の極意はこの『末期の眼』であろうとい
 う感想を添えている。

『末期の眼』は『文藝』1933年2月号に発表されたエッセーで、梶井基次郎、古賀春江といった川端が親しく交わった芸術家たちの最期について述べる。その中に芥川龍之介が自殺直前に残した『或旧友へ送る手記』『歯車』といった作品への言及があるのだ。唐木は川端の見立てに賛同し、「われわれをとりまく日常性の様々な係累から離れ、自己の生存のための諸煩悩から離れるとき、自然やものがその日常性、効用性から洗われて、美しく見えるのだ」と書いている。もちろん芥川や川端のように自殺せよと勧めるわけはなく、「自殺という唐突で一度的な行為はさておいて」と留保をつけるが、「生を死から把え、即ち、はかなく、あわれな存在として自己をとらえ、そのあわれをいとおしみ、つかの間の命即ち存命の不思議を、中世人たちはその詩歌や随筆やまた語録で示している」と書き、「死は詩に、詩は死に深くつらなっている」と結論づけている。
 この説明が橿渕の詩を語るものとして腑に落ちるとはいえないか。たとえば1979年に『MODERN MUSIC』に収められていた「BACK SEAT」。トリビュート・アルバムでは入江陽が歌う。

 Loose な 夢を見てた/ Loose な 時は過ぎた/
 Good Bye もう戻らない/ Good Bye がけの上にたどりつく/
 車乗りすて振り向けば、見慣れた幸福/
 君は眠りにおちてゆく Back Seat で

 明示を避けているが、ここで描かれているのは自殺だろう。当時の橿渕に自殺願望があったかどうかは知らないが、橿渕はまさに死を経て生をみる「末期の眼」を獲得した詩人であり、「生を死から把え、即ち、はかなく、あわれな存在として自己をとらえ、そのあわれをいとおしみ、つかの間の命即ち存命の不思議」を詠ったのではなかったか。「砂丘」にも刹那を永遠の中に漂わせる独特の感覚がある。また橿渕の詩にはエロティックな内容のものも多いが、エロスはタナトスに連なり、日常性、効用性から切断された生命のつかの間の放出として美しく描かれる。
 そして、そんな橿淵の「末期の眼」は他のライダーズのメンバーをも感化したのではなかったか。ムーンライダーズは詩集が新潮文庫に入っている稀有なロックバンドだ。その刊行に際して筆者は紹介をかねた書評を『週刊文春』1987年2月26日号に書いている。駆け出しライターだった頃の「若書き」も甚だしいのだが、この書評を書く機会を得たことをファンの一人として心から喜んでいる様子が行間から伝わってくる。
 とはいえ過去記事のスクラップブックから取り出して読み返すと間違いもある。「Don't trust anyone over 30」の歌詞「おとといの夜 行為を終えて 女房に言った/君を愛してる だからぼくの好きにさせてくれ/冬の海まで車をとばして 24時間 砂を食べていたい/長い線路を一人歩いて そっと枕木に腰をおろしたい」(作詞・鈴木博文)を引いて、それを「高踏派の月光騎士達も、とっくにまともな社会人(ルビ:オトーサン)になった、かつての同級生達と同じように苦々しい生活感覚を咬みしめていたとは」と書いているが、しかし噛み締めていたのは生活感覚ではないだろう。「24時間 砂を食べ」る歌詞の主人公は「砂丘」で砂を握りしめて倒れていた男だとなぜ気づかなかったのだろう。

 前掲した唐木『詩と死』の中に、書名を逆立ちさせて「死と詩」と題された評論が収録されている。唐木の代表作『無用者の系譜』に続いて、時宗の開祖である一遍を論じた内容だ。そこでひとつのエピソードが一遍の語録から引かれている。禅の法燈国師の会下に参した時、禅の公案のひとつ「念起即覚」(正しく仏を念ずるにはどうするか)を法燈に問われ、一遍は「称ふれば仏も吾もなかりけり、南無阿弥陀仏の声ばかりして」と答える。法燈は「未徹在(=不十分だ)!」と一喝するが、一遍は「称ふれば仏も吾もなかりけり、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と繰り返す。法燈はその対応に満足して手巾と薬籠を与えて印可したのだという。

 一遍は捨聖と呼ばれる。「家を捨て、世を捨て、寺を捨て、僧を捨て、衣食住を捨て、身を捨て、心を捨て、最後には捨てる心も捨てた」からだ。しかし、そんな一遍が捨てなかったものがある。先のエピソードを引いて唐木は「更にいえば「称ふれば」の前半を省略して、ただ称名するところまで行ったであろう。そこまで書かなかったのは三十一文字を捨てえなかったからと言うほかはない」と考える。観念的な思惟に耽ることなく「南無阿弥陀仏の」六字の念仏をひたすら称える実践に徹したことが時宗の特徴であり、だからこそ教養の有無、身分の貴賤を問わず、多くの者が一遍の下に集うことができ、皆が念仏を唱えながら踊った。
 しかし「「捨てる」ということをあれほど徹底させたこの「捨聖」も、三十一文字、また日本語の音律だけは捨て得なかった」。それを唐木は責めない。三十一文字の音が連なるリズムこそ「全存在がひとつの情緒的形姿をとって現れる」場所であり、「ここが詩(ポエジイ)の誕生するところ、物皆がその本来の面目を発揮するところだ」からと唐木は書く。
「末期の眼」とは喪失を予期して世界を見るまなざしだ。出家、脱俗した宗教者はみな末期の眼を持つといえるが、総てを捨てようとした一遍は特にその傾向が強い。しかしそんな一遍が総てを捨てようとした果てに詩を口にする。そうして喪失の中に現れる言葉とリズムこそが本物の詩なのだ。

 先に紹介した『ムーンライダーズ詩集』は、今にして思えば「たかが」結成10周年記念の刊行だった。その後、バンドは20周年、30周年と生き延び続け、最後の晩餐と、永遠に続くはずのないメンバーの命を重ねあわせて〝Who's gonna die first ?〟と歌う曲すら作る。そんなライダーズのライブでは、たとえば「Don't trust anyone over 30」は、歌詞の「30=thirty」の部分を齢を重ねるメンバーとファンを揶揄するかのようにforty、fifty、sixty と換えられて歌い継がれるのだ。スタンディング状態の観客がそんな替え歌を楽しげに合唱する様子は、まるで声を合せて念仏を唱え、踊る時宗の衆生たちのようではないか!

 音楽から離れて詩集が刊行できるほど、橿渕らムーンライダーズのメンバーたちが作る詩には、選びぬかれた言葉を用いる凝ったレトリックがあり、凡百の歌詞とは一線を画す高い文学性があった。しかし、それは同時に一遍が捨てなかった詩の原点に根を下ろしているものでもあろう。橿渕は「最初に死ぬ= die first」メンバーとなったが、そのトリビュート・アルバムのラストには仮歌まで録音した状態で遺された橿渕の最後の作品が、彼の息子をドラマーに迎えたライダーズのメンバーによって演奏される。作詞もかしぶち哲郎とクレジットされているが、耳に聴こえるのは仮歌のメロディーを口ずさむ生前の橿渕のハミングだ。しかし橿渕とライダーズの音楽に親しんできた者は、そこに耳では聴こえない言葉を聴くのだろう。そして詩が生まれる原初の瞬間に立ち会うのだ。

【初出:2015年4月/ウィッチンケア第6号掲載】


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