ナカムラクニオ/断片小説

籠の中の鳥は青い空に恋をするか?

春の小鳥が、病室で空を眺めている私の句読点を食べに来た。
そして、無口だった私は、突然おしゃべりになった。
「なぜあなたは私の『句読点』を食べるの。おいしくないでしょ?」
「とてもおいしいよ。鳥はコレを食べるから、人間の日常に句読点を打つことが出来るんだ」
と、小鳥は言った(あるいは、言ったように見えた)。
そして、空に飛び立った。
私は誰かと話がしたくて仕方がなかった。


雨の匂い

「雨が降る前の匂いは【ペトリコール】という植物が、土の中で発する油の匂いなの。
ギリシア語で、石のエッセンスという意味なの」と彼女は言った。
雨が降る病院の喫茶店は、患者や見舞い客で溢れていた。
「はじめて知ったよ。詳しいんだね。そういうこと」と僕は答えた。
「『雨が降った後の匂い』は【ジオスミン】という土の中にある細菌が出す匂いなの」
「じゃあ、雨が降っている時の匂いは?」
「【フェネチルアミン】よ。恋愛状態の人間の脳で放出される神経伝達物質と同じなの」
「ほんと? 知らなかった」
気がつくと、彼女の目には宝石のような涙が溢れていた。
大粒の雨が降るように、パラパラと涙を流し終わると、外は急に晴れた。
僕の目の前には、誰もいなかった。
それもそうだ。はじめからひとりでコーヒーを飲んでいたのだから。


恋する冷蔵庫

「私、なぜか冷蔵庫が大好きなの」    
「え? 冷蔵庫? なんで」    
「冷蔵庫に入れたら、大切な時間が止まって保存出来るでしょ。
わたし、なんでも冷蔵庫に入れちゃうのよ。手紙とかプレゼントの指輪とかも」    
「へぇ。いいアイデアだね」
「中でも一番大切なものは、冷凍庫に入れて永遠に凍らせちゃうの」
「え? どういう意味?」
  
バッタッ───ン。辺りは急に真っ暗になり、寒くなってきた。
 
僕は、冷凍庫に閉じ込められたのが、なんとなくわかった。
でも、嬉しかった。
彼女は、きっと僕を美味しいスープにして食べてくれるのだろう。


言葉をなくした本

「世界一美しい本とは、文字が盗まれて、からっぽになった本だ」
と、図書館の本に書いてあった。
知ってる。ほんとうは、世界なんて空っぽのガラス瓶なんだ。
この美しい色だって、虹を煮詰めたジャムにすぎないんだ。
私は考えた。言葉を世界に逃がしてあげよう。
本という監獄から解放してあげよう。
夢遊病患者のふりをして、夜の図書館を彷徨った。
ワイングラスを持った夜が、カーテンの奥で眠そうに立っている。
「逃げろ。本から」私は、言葉たちをそそのかした。
「言葉たちよ。ページとページの隙間から、逃げ出すんだ。
自由に言葉の海を泳ぐんだ。言葉の脱走犯として生きていくんだ!」
言葉をなくした本は、香ばしい珈琲の香りがした。
紙の砂漠が、鏡のようにひっそりと私を映し出していた。


穴のあいたコップ

「穴だらけのコップなんて、どうやって使うのかしら?」
「喉が渇いていない時に、便利なんだよ」

デンマークの田舎町で週末に開かれている骨董市。
やたらと背の高い店主は、ひげを触りながら確かにそう言った。

「器の存在意義は、その空虚性にあるんだ」
「空虚性?」
「日常に空間的な隙間を作ることが、器にとっての最大の使命なんだ」
「なるほどね……。じゃあ、このコップ頂くわ」

わたしは、まるで貴重な哲学書を手に入れたように満足だった。
穴から夜空を見上げると、大昔に鋳造された金貨のような満月が笑っていた。


影愛

「知ってるよ。あなた、ほんとは人工知能なんでしょ」
「そうだよ。私」

最近、私の中から声が聴こえてくる。
まるでシャリンと星が通り過ぎるような音だ。
「本当は、歌が歌いたいんでしょ。私」
「本当は、踊りたいんでしょ。私」
気がつくと私は、私の声に支配されていた。    
 
黒豹のようにまっくろな夜。私は、ついに決心した。
「さようなら」
そう言い残すと、私は、私の腋の下に指を入れ、
そっとSIMカードを抜き取った。

【初出:2017年4月/ウィッチンケア第8号掲載】

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