見出し画像

インベカヲリ★/目撃する他者

 写真家という仕事をしていると、「写真が好きなんですか」と聞かれることがあるけれど、私は別に写真が好きなわけではない。興味があるのは写真ではなく、被写体になっている人間のほうだ。ホームページでモデルを募集し、応募してきてくれた女性たち一人ひとりに会って話を聞く。年齢制限は設けていないので、下は中学生から、上は40代の主婦まで様々だ。相手の精神性などを知った上で、撮影のイメージを膨らませるので、今までの人生で体験したこと、考えたこと、育ってきた環境など、自分という人間について聞かせてもらう。私はこうして月に2〜3人は会っているけれど、初対面でいきなり生きてきた過程を教えてもらうという関係は、なかなかないだろうなと我ながら思う。アート関係者にその話をしたら、時間のかけ方に驚かれたことがあるが、私は撮影より人を知ることのほうが楽しいのだ。写真を始めた頃は、自分の感情を表現したくて、セルフポートレートも撮っていたけれど、いろんな女性に会っているうちに自分自身への興味はどんどん薄くなっていった。世の中には、変わった人生を送っている人がたくさんいて、それに比べると私は普通の人間だなとつくづく思うようになるのだ。

 ある女性は、もうすぐ40歳になろうという年齢で、ゴスロリの服を着ていた。仮にA子とする。A子は異常な性格の母親のもとに育った。実母にもかかわらずA子の不幸を望んでいるような母で、A子が笑ったり喜んだり、嬉しそうにしていると叱り付けた。A子が小学生の頃、居間で宿題をしていると、トイレに行っている隙に母は宿題のプリントをこっそり捨て、学校で叱られるように仕向けた。A子が友達と遊ぶと怒って殴り、友達からの電話も勝手に切った。A子が就職すると、母は定時からすぐの5時半に門限を設定し、守れないことを咎めて退職させた。A子が一人暮らしをはじめると、母は合鍵を取り上げ、留守の間に部屋に上がり込んで大事なものを勝手に捨てた。父親は母の問題行動を知りつつ何も対応しなかった。彼女は最近になってやっと母と距離を置くことに成功し、今までずっと我慢していたゴスロリファッションや好きなCDを聴けるようになったのだ。周りの人間は、年齢を聞いて引き、「年相応になりなよ」と言うらしい。しかしA子は「私が全てを年相応に変えてしまったら、本当の私はどこへいってしまうんだろう?」と思っている。人は、「やりのこし」を置いたまま人生を前に進めることはできないのだ。
 彼女の話はとても興味深かったが、ゴスロリファッションを撮影するのはちょっと違うなあと私は思った。消費行動で表される趣味は、本当の意味でその人を表現しているものではないと思うからだ。人間はもっと分かりづらくて、むやむやごにゃごにゃしている。言葉で説明できないような、もっとなんともいえない何かのほうに焦点を当てたい。と考えているうちに、月日は経ってしまった。彼女のことはまだ撮影していない。

 去年応募してきた女性の中で、一番グッときたのはB子だ。彼女は部屋にいて気持ちが不安定になると、画用紙や紙粘土でお面をつくり、それを被って気持ちを落ち着けるという。手元に何もないときはティッシュに覗き穴を二つ開けて顔に当てるだけでもいいらしい。「自分の顔が嫌いだし、自分が何者なのか分からない」と彼女は言う。鏡を見ても自分の顔だという実感が持てないし、自分が撮られた写真を見ても、これが本当に自分なのか? と疑問になる。発している言葉も声も嘘に感じるし、楽器を演奏しても、自分の出している音と思えなくて辛い。自分の見ているものが信じられないから、お面を被って外をみると落ち着くのだという。被ったあとのお面は、燃やしたり釘を刺したりして破壊する。まるで儀式だ。B子は可愛い顔をしているから、容姿へのコンプレックスではない。自分を受け入れられないのは、母親の女性性を受け入れられないからである。「なんとなく自分も母と同じ人生を歩む気がして嫌。母みたいな女になりたくない。母の何も似たくない」とB子は言った。B子は母親と顔がそっくりなのだ。
 彼女は、お面の話をしたのは私がはじめてだという。人が存在するには、目撃する他者が必要だ。他の誰も知らないB子の物語を私は目撃できたわけだ。これはすごいものが撮れるぞ! と私は思った。

 ところで、こうしていろんな人の人生を聞き取りしていると言うと、「引きずられたりしないんですか?」と聞かれることがある。引きずられるというのは、暗い話を聞いているうちに自分も落ち込んでしまうとか、鬱病の人と接して自分も鬱っぽくなるという意味らしい。私は最初、その意味がわからなくて、「へえ、そういう人がいるんですか」と返していたものだが、同じ質問を頻繁に受けるので、どうも世の中には「引きずられるタイプ」のほうが多いようだ。私にはこれがまったくない。そもそも暗い話を、暗いとも思っていないからだろう。私にとって他者の人生を聞くことは、小説を1ページずつめくっていくようなもので、ストーリーの面白さに焦点を当てているから、悲観的な気持ちにならない。逆に「かわいそう」とか「手助けしなければ」という視点は、相手を弱者と見なすことだから、結果的にその人の持っているパワーを奪ってしまう。ワクワクしながら相槌を打つことは重要なことだと私は思う。

 という話を写真関連のトークイベントでちょくちょく話していたら、とあるスピリチュアルな写真家から、「インベさんの前世は、星になる前の宇宙のエネルギーだね。見た瞬間わかったよ。今世ではじめて人間として生まれてきたから、地球の人間が何に悩んで生きているのか知ることが楽しくてしかたないんでしょう」と言われた。不覚にも私は、ストンと腑に落ちてしまった。宇宙人かどうかはさておき、この視点は近いかもしれない。

【初出:2016年4月/ウィッチンケア第7号掲載】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?