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美馬亜貴子/二十一世紀鋼鉄の女

 絶え間ない不快感が、眉間のシワに現われていた。
 ここ数日、マチコはずっと機嫌が悪い。意識しないように努めても、立つ度、座る度、歩く度に股間にピリピリした痒みが走るのだ。「チクチクしない」ってふれこみだったのに、なに、この気持ち悪さ!
 ……なんだってブラジリアンワックスなんかしてしまったんだろう。マチコはひたすら後悔した。一昨日、施術した店にクレームの電話をしたら、「そのようなことはめったにないのですが、ごくまれに、毛が非常に固い方は生え始めにチクチクすることもあります」と言われた。「めったに」「ごくまれに」「非常に」を強調して人を剛毛よばわりする口ぶりに思わずカチンときて、「いいです、もう二度と行きませんから!」と叫んで電話を切ってしまった。先方は「では、特別に割引価格で再度……」と言いかけていたのに。

 からだの全神経が恥骨のあたりに集中して、仕事にも身が入らない。マチコの仕事はデスクワークだが、それでもやっぱり、立たなくてはいけない用事も度々ある。そこへもってきて、今日は上司のPCの調子が悪く、「ねえ、これって何のエラー?」とか「ごめん、ちょっと診てくんない?」とかいうことでいちいち呼ばれている。こんなときに勘弁してほしい。っていうか、あんたがこっち来なさいよ、ノートなんだから!! 心の中で叫ぶ。イライラはつのるばかりだ。
 なんてマヌケな顚末なんだろう。「自分磨き」のつもりが、ホント、散々だ。

 マチコは自分が、ブスではないが別段可愛くもない「平均ど真ん中」の女であることを自覚していた。髪型や化粧に気をくばったところで、生まれつきの美人には及ばない。だからといって整形するほど自分の顔が嫌いなわけでもない。それならせめてなにか誇れる部分、自分で好きだと言える部分は持っていたい──そんな気持ちで、マチコは顔やスタイルで勝負することよりも「パーツ美人」を目指すことにした。人が気を遣わないところに手間ひまかけるのって、なんだかカッコいい。大学生のとき初めて出来た恋人(一回り年上の妻帯者だったけど)に「かかと、つるつるだね。こういうところがキレイなのが本当のいい女なんだ」と言われたことも影響しているかもしれない。

 まずハマったのはネイルだ。指先がキレイだと〝女子力〟がひときわ高く見える。ネイルサロンは高いので、キットを買ってきて自分で甘皮の処理をした。つやつやに磨いた爪に、透明のジェルを塗る。色はつけない。あくまでもナチュラルに、が信条だ。主張しない美しさは、気がつく人だけが気がつけばいい。
 同世代の女子はとにかく目を大きく見せようとマスカラや〝つけま〟に凝っていたけれど、マチコの関心が自分の顔に向かうことはなかった。メイクは生物学的な意味でオスへの〝アピール〟だそうだが、そんな単純な罠にひっかかるような軽薄な男はいらない。マチコは自らを「土手に咲く素朴な花」と重ね合わせ、その美しさに気がつく感性を持った男性が、いつか私を見つけてくれたら……と夢想していた。

「顔そり」「フットケア」「韓国アカ擦り」「岩盤浴」「腸内デトックス」「ヘッドスパ」……マチコは、本来ならば美容上級者のするような、目立たない部分のケアばかりを定期的に繰り返した。顔はいつもすっぴん、服だってユニクロの別段おしゃれとも言えないものばかりなのだけど、街で美人とすれ違うとき、「あの人のかかとより、絶対私のかかとの方がキレイ」とか「この人、こんな可愛いのに腸には宿便が溜まりまくってるんだろうな」などと思うと、少しも気後れしない。「自分は目につくところにしか手をかけないガサツな女とは違うのだ」という自尊心で、堂々とすることができる。
 そんなマチコにとって、最近になって日本に上陸した「ブラジリアンワックス」は、自分磨きの次なる大きなステップ──究極の「女磨き」の必須条件であるように思われた。もちろん場所が場所だけに躊躇もしたが、専門店のホームページには「アンダーヘアの処理は欧米では常識です。脇毛を剃るのがエチケットであるように、あと数年もすれば、日本でもVIOのお手入れは普通のことになります」と書かれていた。「ヴイ・アイ・オー」というのは、「Vライン=恥骨の上」「Iライン=性器の周り」「Oライン=肛門周り」のことらしい。そんなところを施術者とはいえ他人に見られるのはかなり恥ずかしいけれど、こんなハードルが高いことをやってのけるのは、よほど意識の高い女性に限られる。よし、一気につるんといっちゃおう。予約をしたのは3週間前のことだった。

 恵比寿にあるブラジリアンワックス専門サロンは、意を決して訪ねたわりには、すべてがドライで事務的だった。努めて無表情を装っているのか知らないが、粛々と手順を説明するスタッフのおかげで、マチコの力みは次第に抜けていく。
 わりと落ち着いた気分で施術台の上に横たわった。あらかじめ2〜3センチほどに毛を切られる。下腹部に感じる生温かく、どろっとした感触は想定の範囲内だ。ワックスを塗って、固まったら一気にはがすわけだが、これは実際、思っていたよりもずっとずっと痛かった。21世紀の最先端都市・東京で、信じられないほど原始的な方法で毛を抜いている私──ものの20分ほどではあったが、痛いし、恥ずかしいし、その時間は実際よりもずいぶん長く感じられた。

 しかし。
 終わってみたら、冗談じゃなく、世界が変わった。
 なんだろう、この自信。背筋が伸びる感じ。もちろん他の人には決して見られない部分だけど、「こんなところにまで気を抜かない私」という自意識に、ものすごくアガる。入浴の度に鏡に映して見る「ヴイ・アイ・オー」は、子供の頃に遊んだリカちゃん人形の「そこ」のようになめらかでつるつるだ。非日常どころか非現実の域にまで及んだ自分の変化に、マチコは満足した。これまで行なってきたどんな美容法よりも「やってやった」感がある。きっと誰も、こんな地味なOLが、こんなところの手入れをしているとは思わないだろうな。なんたって〝最先端〟よ。ふふふ。そう思っただけで心が果てしなく高揚する。

 そんな自信のおかげか、はたまた偶然か。いわゆる〝無毛状態〟になってからほどなくして、マチコに久々のボーイフレンドができた。同じ会社の隣の課に勤めているススムである。ススムは社内でも人気のある、いかにもモテそうなタイプの好男子だったが、メール攻勢をはじめとするマチコへのアプローチは熱心で、マチコは「私を見つけてくれる人が遂に現われた!」と喜んだ。
 
 そして先週。3回目のデートの帰り、マチコの部屋で2人は〝そういう雰囲気〟になった。マチコの脳裏に一瞬「あそこを見られたら、どう思うだろう」という考えがよぎりもしたが、「大丈夫だよね、これから当たり前になるエチケットなんだから」と思い直して身を任せた。
 ところが、ススムの反応は最悪に近いものだった。事もあろうに、見た途端に爆笑し始めたのだ。
「ブフッ、なに、これ!? ワハハ、すげえ! 初めて見た!」
「ちょっ……見ないでよ」
「やっ、ハハッ、サッカー選手の間で流行ってるとか聞いたことあるけど、いざ目の当たりにすると、すっげえインパクト……」
 クックックッと笑いをこらえるススム。マチコはその態度にふつふつと怒りが涌き起こってくる感情をおぼえたが、次の彼の一言で、その怒りは頂点に達した。
「あのさ、これって俺のためにやってくれたの?」
 
 !! あんたね、モテるからって思い上がってんじゃないわよ、これはね、男のためなんかじゃなく美意識の問題なのよ。自分がどうありたいかって話で、あんたなんかとは全っ然関係ないんだから! ふざけんな、バカヤロー!!
 口にはしなかったが、その気持ちを「もう帰って」の一言に込め、マチコは下半身が露な状態のまま、ススムを猛然と押しやり、部屋から追い出して、即、鍵をしめた。「えっ!? あのっ、ごめんっ!! ごめんって!!」とうろたえるススムの声を背中で聞きつつ、マチコは怒りに震えた。
 夜中に再度「ごめん」という謝罪のLINEが入ったが、無視したらそれっきりススムは何の連絡も寄越さなくなった。もうちょっと真剣に謝ってくれたら許してあげてもいいと思ったけど……いや、やっぱりあんなデリカシーのない男はダメだ。うん。好きだったけど。ダメだ。

 マチコは「それだけの男だったんだ」と思うことにした。それにしても、なんてマヌケな終わり方だろう。振ったのは自分なのに、せいせいした気がちっともしない。
 そして、落ち込む数日間を過ごしているマチコに追い打ちをかけるように、折しも伸びかけて来た恥毛が下着にあたってチクチクするようになってきた。ブラジリアンワックスをすれば毛根が弱くなって新しい毛が生えるまでの期間が長くなると聞いていたのだが、気がつけばこの2、3日で突然、「リカちゃんのそこ」は、なんともアグリーなゴマ塩状のデルタになっている。しかも思っていたよりもしっかり生えてきた毛は、地味に痛がゆい。マチコには次第に、これが失恋の痛みに思えてきた。恥骨のチクチクと胸の痛みを重ね合わせるのは、我ながらいくらなんでもマヌケ過ぎると思ったが、これがチクチクしなくなる頃には、ススムのことも平気になっているのだろうか、なんて。毛が伸びるって、生きてるってことなのね……と、愚にもつかないことを思いながら、マチコは努めて淡々と日々を過ごす。

 とりあえずハッキリしていることは、ブラジリアンワックスなんて、二度としないということだ。

【初出:2015年4月/ウィッチンケア第6号掲載】

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