東間 嶺/死んでいないわたしは(が)今日も他人

 天使すぎる女の笑顔が、目の前で半分、潰れていた。天使の、扇のように広がった黒髪と割れた頭部から姿を見せる脳の断面が、花弁のように鮮やかだった。ゆるやかに流れ出る血と体液の帯が、駅のホームへ、長く長く伸びている。
 さっきから何度も繰り返されている車内アナウンスが、今度はレスキュー隊と警察の到着を知らせている。
 それを聞いたわたしは、操り人形の手が糸で急に引っ張られるときの不自然さで、首から下げたEOS-70Dを持ち上げ、レンズを窓ごしに外へと向ける。明暗差にふらつくピントの先には、地に伏し、半分潰れた天使の顔がある。午前の鈍い太陽が、硬直した瞳の虹彩を光らせている。
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 もちろん、死んでいた彼女は天使でも橋本環奈でもなかった。単に、五月のわたしの目にはそう見えた、というだけの話だった。
 彼女の死は、メディアが流す通り一遍の速報やまとめサイトなどへの画像流出とは別に、年がら年中この国で起きる鉄道への飛び込み自殺を、ほとんど偏執的な熱意でまとめ続けているとあるデータベースサイト(※)に、すぐ登録された。
 【事故概要(確報)】には、2015年05月02日11時26分、死傷/十代女(死)、原因/自殺(輸送障害)、JR山手線/高田馬場駅、ホーム中ほどから飛込む、とあった。
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 東西線で茅場町に向かいながら、わたしは、明け方まで書いていた作品用ステイトメントをiPhone上で読みなおしている。ギャラリーへ、プレゼン用資料として提出する締め切りは、数日後に迫っていた。

 ……二〇一二年に十五年ぶりとなる三万人割れを記録して以来、日本の自殺者数は減少傾向を見せているという。警察庁の発表によれば、二〇一四年度は25,427人が自裁の道を選んでいる。年間の交通事故死者数4,113人の6.18倍にあたる国民が、一時間に三人の割合で、死を選んでいる。自殺は、日本人の主要な死因の一つであり続けている。

 コンペは、ある有名な画家と作家の名前を冠した、ごく最近立ち上げられたもので、〈三十五歳以下の若手アーティスト〉に、長期のリサーチを必要とするプロジェクトの費用や発表場所を与えるという趣旨を掲げていた。予算には東京都の助成が入っていて、条件がやたらに良いので、その手のレジデンスっぽいものならなんでも、手当たり次第応募している人たちから注目を集めていた。
 わたしは三十三歳だった。そして、もうすぐ三十四になる。〈アーティスト〉とやらの身分における実績みたいなものは殆どなにも無かったが、でも、まだ、ぎりぎり〈若手〉だった。
 
 ……現在日本において、どこかの誰かが自ら死を選んだという事実は、できる限り秘せられるべき領域に属している。だが、今日も昨日も明日も明後日も、緊急放送が告げる列車遅延速報のたびに、その《隠蔽工作》は破壊される。誰かの人生が終わる瞬間を、色々な誰かが、見ている。

 わずかに車体へブレーキがかかり、列車が停止した。「安全確認のため少しお待ち下さい」というアナウンスが、ほどなくして、流れる。ざわつく車内で、わたしはまだiPhone上の文字列を眺めている。添付する画像ファイルの位置を検討しながら、なんで田中さんは飛び込まなかったのだろうか? みたいなことを、考えている。
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 既に次の日から始まる展示の設置も終わった茅場町のギャラリーの片隅で、運営の代表だった田中さんが首を縊ってから、先週でちょうど八年になっていた。
 大学院生だったわたしがそのことを知ったのは次の日の夕方で、当時登録していた日雇い派遣会社の夜勤が明けると、そのグループ展に参加していた友人から携帯に二十件も着信が入っていたのだったが、あまりの多さに恐怖を感じたわたしは、かけ直すのではなく逆にまた電源を切って寝てしまい、起きてすぐ接続したmixiで当の友人をはじめとした何人かの取り乱した日記を読み、ことの次第というか、経緯を把握した。
 
 ……このプロジェクトを通じて、わたしは、わたしが身近に接した、ありふれたひとりの男性の死と、日々繰り返され続ける『風景』としての、それもまたありふれた別なる他者の自死における感情の距離を、多声的なイメージと言葉で現前化させたいと思ったのだ。

 田中さんが死んでから八年たった日、つまり一月二週目の木曜に、関東では三件の〈人身事故〉が報じられている。その日から八ヶ月前の五月二日には、わたしの乗りあわせた電車が、高田馬場で、あの天使すぎる女子高生を轢き殺した。八年のあいだ、日本の社会には、二十四万回以上の自死が積み重ねられている。
 240,000という、ありふれて、退屈な、数字としての死。
 けれども、240,000という数の積極的な死には、240,000通りの理由と物語がある。単に、それを知り、語る意思をもった誰かが存在しないだけだ。
 八年後のわたしは、1/240,000の田中さんについて、語ろうとしている。でもそれは、他の人たちがしたように、感傷や悲嘆を通した自己陶酔とはぜんぜん違うもので、最終的に、かれへの悪意の表明にも近くなるはずだ。
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 iPhoneの画面上方に、ニュースアプリの受信通知が入ってくる。【東西線/遅延/人身事故】と表示されている。同時に嘘くさいほどの絶妙さで、うわずった調子の車内アナウンスが響く。「えー先ほどから列車停止で大変ご迷惑おかけしておりますが、えー当線、先に進行しておりました車輌でさきほどえー人身事故が発生致しました。ただいまお客様の救出を行っております。列車再開時刻はえー未定……」

 おいー、という、怒りや憤慨や驚きや好奇心の成分が、それぞれなりの比率で配分された嘆息の気配が、一斉に乗客たちから漏れだす。何かが破れたように、一瞬で、車内には不穏な空気が満ちる。
 わたしの横に座っていた、三十代後半くらいのスーツ姿の男は鋭く舌打ちするとノートブックを綴じ、勢い良く立ち上がって車内の隅めがけて歩きながら、どこかへ電話をかけはじめる。その横の、扉付近に立っている制服姿の女子高生たちは、殆どはしゃぐような調子になって、それぞれスマホをいじりはじめる。マジで?えマジで?やばくない?えマジで?やばくない?
 わたしはすぐ、Twitterを立ち上げると、タイムラインでハッシュタグの検索をする。案の定だった。もう既に、現場の、つまりホーム側から撮影された茅場町駅の写真を添付したツイートが、いくつも投稿されていた。
 目の前だった! と訴えているアカウントによれば、飛び込んだのは女子高生だと書かれている。わたしは、Evernoteのメモ帳を開いて、昨日までの数字を確認する。女子高生は、今年に入って六十四人目の轢死者だった。
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 そのとき、視界の端で、一匹のゴキブリが車内の床を這っていることに、多くの乗客が、気付いた。いつから存在していたのかは、当然ながら、誰も分からない。悲鳴を上げて飛び退く女子高生たちの脇をすりぬけ、ゴキブリは通話を続けるサラリーマンの後ろを這っていく。男はそれに全く気付くこと無く通話を続けている。声が、段々と大きくなっていて、車内の誰もがそれを聞き取ることができる。

 だから、いつ動くかなんて分かんないですよ! どっかのアホが電車止めちゃってんですから。

 ゴキブリは、いらだたしげに喋る男の後ろをぬけて、車輌と車輌のあいだの、幌と呼ばれる部分にむかって這いずっている。
 その瞬間、わたしの脳内に、昔読んで以来ずっと鮮明なイメージとして残っている、ある若い劇作家が書いた不穏で実験的な小説のラストシーンが、ぱちんと、スイッチを付けたように、閃いた。
 そのテクストの中でもゴキブリは突如現れ、脈絡の無い啓示のように、すぐ消え去っていった。
 目の前の、わたしの世界のゴキブリも、わずかに開いた幌の隙間から、自由に外へと消えた。
 男はまだ喋り続けている。電車はまだ、動き出さない。

※参照《回答する記者団 鉄道人身事故マップ》
http://kishadan.com/map/railway-human-accidents/

【初出:2016年4月/ウィッチンケア第7号掲載】

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