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浮雲のような。

地に足がついていないのだろうか。
最近見舞われる浮遊感。
電車に乗っているとき、歩いているとき、知らない土地に来てしまったような感覚に襲われます。

最近少し生活が変化しました。
そしてさらに変化させようと、1週間の時間の流れをルーズリーフにまとめました。

ここに何時間の余裕ができるから、ここでこれしよう、とか、この時間いつも何してたかしら、とか。
色々考えてみると時間の浪費量ってすごいことになってて。
このまま人生続けていったら何年分浪費してしまうんだろうと恐ろしくなりました。

と、書いてる今日まさに激しく浪費してしまったのですが。
なかなかうまくいかんものです。

今朝は、少し重たい気持ちで目覚めました。
夢を見ました。
懐かしい顔もいれば、見たことのない人もいました。

舞台は高校でした。
別に私が通っていた高校でもなんでもなかったですが。
音楽の授業でしょうか。
おなじ歌詞でそれぞれ曲を作ってみましょう、みたいなことをしていました。
これはきっと最近曲を書き始めては止まってしまうのを繰り返しているかっらだと思いますが。

同じクラスの席の近い人々とああでもない、こうでもないと話している間に、横の美男美女グループが素晴らしい曲をホイホイ作るんですね。
あの楽しそうにワイワイしているグループを恨めしそうに眺めている私がいました。

この夢の中に私の薄暗い部分がすべて詰まっていたような気がします。

昔から友達、と呼べる仲の良い人は少なく、広くとっても浅く、でも狭くとっても深く、こんな交友関係でした。
友達が沢山いて、一緒に遊んだりすこし騒いでみたりする関係に憧れていました。
私はクラスの中心メンバーになるようなタイプではないので、羨ましかったです。
周りにはいつも人がいて、InstagramやTwitterではいつも友達たちと買い物に行ったり食事に行ったり。
そして胸の奥に住み着いている劣等感。
これらを一番感じた高校時代。
全てを掛け合わせてドラマのワンシーンにしたような夢でした。

でも今は、数は少なくとも絶対に見放さずにいてくれる友人や、私の成長をずっと見守っていてくれる家族のような人々に囲まれて幸福を感じています。

それでも平坦な生活は嫌だと思って、行動しているわけですが。
これについてはまたの機会に。
きっと浮遊感の理由もこの生活の変化と関係しているのでしょう。

地に足付けて、しっかり踏み出しながら歩きたいと思う夕方でござんした。

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