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3日間”下手”を全力で表現してみた

3日前から「スケッチ日記の観察記録」という方眼ノートに身近なもののスケッチをササッと書くことをやり始めたんです。下にあるのが昨日書いた最新版。渾身の力作です。下手くそ~。いつもは1日坊主の僕がとりあえず3日間は続きました。

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なんで続いたって?そりゃ下手でも表現できる場を見つけたからです。笑。そうです。このnoteです。って、noteのまわし者ではありません。

大人になるにつれて、下手・できない自分は隠したいものだと思うんです。僕も同じです。「できます!」「うまいでしょ?」「すごいでしょ」と言いたい!ですが、なんか疲れるんですよね。そもそも、そんなできてないし。

なので、できなそうなことや、全く想像もつかないようなことに取組むのは避けてくるじゃないですか。日常や平穏な生活をキープする。でも、一方で「少しヒヤヒヤするような楽しいことないかなぁ」と思ったりもするわけです。

そんな中気づいたんです。「身近なことで実験しちゃえばいいんじゃん」と。多少恥ずかしさを覚えながらでもです。子供ってそうじゃないですか。ほとんどのことは初めてで、試行錯誤しながら取り組んでいる。

最近、こんな状況なので、小学生の息子と接する時間が増えて、じっと傍で見ていると、息子が取り組むことって初めてのことばかり。やっぱり子供ってすごいです。

日々、初めてのことをガツガツするし、させられる。勉強も遊びも、とりあえず倒れながらも起き上がり前に進む。時には退散したり、いやだいやだといいますが、爆睡したら回復しています。「あー分かった!こうしたら面白いんじゃない?」といってすぐに独自ルールを作って遊んでいる。

木の上から落ちるし、おもちゃは壊すし、ボールペンのインクが全部なくなるぐらい線を描き続けるしで、傍目から見てると一見失敗しまくりですが、本人は楽しそうに取り組んでいるんです。

そんな姿を頻繁に見るようになって、自分でも取り組んでみようという意識が芽生えたのか、大好きな「観察の練習」という本を読み直している時に、ふとコーラのペットボトルが目に止まったんです。そしてノートの端に書いてみました。

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あれ?上手く書けない、、それが冒頭で触れた「スケッチ日記の観察記録」の始まりです。この際だからと自分の苦手な絵と字を全面に押し出しています。そもそもは「下手の横好きスケッチ日記」でした。だったかな。

ほんと下手なんです。別に自分を無理やり卑下するわけでもありません。仕方ないんです、訓練したことないんですから。でも、こんな絵を描いてみて、なんかスイッチ入ったんです。どこかの学習塾のキャッチコピーにあった、やる気スイッチです。翌日には1ページまるごと書きました。

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もうね笑えるほど下手です。笑。

「よく見られたい!」「褒められたい!」というのを前提にしていないので、下手なものを下手なまま、まさに素のまま、ありのままです。noteにも、snsのプロフィール欄にも絵と字が下手で格闘中と書いています。

これが気持ちいい。noteとTwitterとInstagramでやっているのですが、下手さ全開!「ひゃっぼい!」といった感じです。(他のことをしている時にはこんなテンションじゃありません。笑)

だって、最初から下手って言い切っているんです。するとどうでしょう。もう、恥ずかしさなんてありません。間違っても二重線を引いて書き直しちゃいます。

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こんな感じです。

雑!

看板も始めはなくて、画像を作ろうかなと思っていたのですが、画像を作るのが面倒くさいので、ノートに文字を書いてスマホで撮って、それをアップしています。ものの10秒もかからず登録完了。

下手でも試行錯誤しているのがやっぱり楽しいんですよね。子供もよく「見てて〜」と言って呼びつけて、よく失敗を見せつけられます。そんな感じです。上手くいった自分を見てもらいたいんじゃなくて、何かに取り組もうとしている姿を見ててもらいたいんですよね。そして、褒められたいわけでもなく、ただ見て欲しい。大人な僕はちょっと見てもらいたいと思いますが、今は下手な状態を受け入れて、というよりも下手というよりも「味」「オリジナル」ですと自分で思っています。味やオリジナルをこれから磨いていくんだと。

noteやsnsは書いたからといって、もちろん見られるわけではないですが、気持ちの中では「楽しんでいる姿を見てみて!」といった感じです。そしてこんなことを書いていると、記録をしているのが好きになっている自分に気づきます。

そんな状態を続けるのを一番の目標にしているので、キレイ・汚いは関係なく、雑でも何でもとりあえず形にしてやっています。

よいしょ!あれ違う?表示されない、それじゃこれは?といった感じです。

でも、この雑さこそが面白く、何でもありなので、書きながら色々コーナーも作ったりしているんです。

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あーだこーだ考えているのは楽しいですね。まさに今スマホでなんとなく入力しているのですが、この少し遅いぐらいがちょうどいいかもしれません。パソコンだと入力する方が早くて、右往左往できなさそう。(アップ直前に誤字脱字が多くて、今PCで修正しています)

ちなみに一番最初に書いたのをTwitterに投稿したところ、なんと観察の練習の著者である菅さんにリツイートされたんです。多分、観察の練習というキーワードで検索をされていて、見つけてくださったのだと思います。 

嬉しくてそれもnoteに書いちゃいました。

思ったこと、こうした方がいいなと思うことなど、とりあえず書いて記録しておく。もはや脳の中をさらけ出すような感じでやってます。飾る必要がないので、紙のノートにまとめてから、、などと考える必要もありません。

そんなこんなで3日のうちに何個か書き、今に至ります。もちろん、どうしようもないぐらい下手なんですが、それは大前提なので、なんとも思いません。だって上手くなっていくであろう過程を記録しているだけなので。上手くなりきった自分を見せるのではなく、模索している状態です。

数日間続けてアップしていく過程で、気づいたことがあるんです。絵と字を上手くしたいと思って始めたのですが、絵と字の上達以上に、普段何気なく見ているものをいざ書こうと思うと、いろんなことに気づくんです。

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「こんな形してるんだ」「何この字?」「何でこの字はここに書かれているんだろう」などなど、まあ、それぐらいしか気づかないのか!と言われそうな気もしますが、毎回書いていく際にはっと気づくことがあり、それがまた面白くなりはじめました。

取り組み始めてから気づく楽しさってありますよね。もしかしたら、絵や字の上達よりも、気づきの練習の訓練ようになるのかもしれません。

と言ってもこれはまだ三日目(4日目か?)の話です。雑な感じでやり始めた観察記録ですが、今しばらく続きそうです。

note見てても本当にすごい人ばかりです、読んでて毎回「わっ、すごい実績、、」「めちゃくちゃ考えてる!理解できない、、頭いいんだろうなぁ」「小説家みたいな文章だ」「なんでこんなに写真上手いの?」などなどすごい人のオンパレードです。いや、ほんとに多分日本中の凄い人が集まっている場だと思います。

でもね、知ってしまったんです。下手さをアピールする場としてのnoteの使い方を。特段反応はなくても楽しくてやっているので、ノートに書き、noteにも書いているだけで満足です。全く見られていなくても、少し遠くで見守ってくれているんだと思っています。

こんなご時世じゃないですか。もがいている人多いと思うんです。そして、そんな時って綺麗事だけではやっていけないと思います。そういう方々もその模索している過程をnoteに書いていいんじゃないかなと思います。

「いいことを言わないといけない」や「凄い自分を見せる」など確立されたことを整理してnote書くのではなく、整理するためにnoteに記録したらどうでしょう。。過去の投稿振り返ったら、「あんなこと言ってる」ってなるはずです。僕自身、たった3日でも変化に気づけました。未知との遭遇ではないですが、3日前の自分との対話をしましたよ。

note書きましょう!って言うとどんどん胡散臭くなっていくと思うのですが、タイトルに書いたようにたった3日ほどの出来事でしたが「noteとは下手を表現できる場で、そして、そんな僕を受け入れてくれる場所」だと思っています。

自己開示をすると、返報性の原理でなんちゃらとか、上手になった自分やすごくなった自分を表現する場としてではなく、下手な自分をさらけ出せる場としてのnoteで、しばらく仮面をかぶりつつも、スケッチ日記の観察記録を続けていこうと思います。「素顔はさらけ出さんのかい!」とツッコミ来そうですが。

最後にnoteの皆さんに感謝です。今の境遇も楽しい3日間になりましたし、もう少しの間、楽しめそうです。数年続いて、いつの日かイラストが上手くなり、依頼が来るようなことがあったら、初受注のお金でnoteの誰かさんにお寿司ご馳走させてください。

依頼、来るかなぁ〜来ないな。笑 でもね、下手でも楽しいからいいんです。3日続けるだけで好きになるんですから。人間そんなものなのだなと。みんなにもこの楽しさ味わって欲しい。人には会えない時期だけど、好きに出会って欲しいですね。

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