他人の写真をどう見たらいいのかというアレ

”いいね”で消費されないためにはプリントという形を残すことが手っ取り早いのですが,自分の写真のプリントを見ても『作品』ではないな〜なんて考えてしまいます.

そんな取るに足らないことを考えている最中,Twitterで写真プリント交換を提案する方がおられまして,とても感銘を受けたわけです.
私からすればその人の写真は真合ことなき『作品』で,人としても雲の上の存在,心から滅相もない…と思ってしまったので写真交換には踏み切れなかったのですが,もっと活発になってそれが普通になればな〜とも思ったのです.

そんなこともあって(?),最近になってようやく他の人の写真をちゃんと見よう(分析しよう)という気持ちになりました.

前提として,私は好きな写真があってもなんで好きかを色やボケ,ひどい時には機材までに留めていました.最低の人間です.
心覚として,また自覚のない誰かの助けになればと思います.



本題です

他の人の写真をちゃんと見ようという話です.

他の人が撮った写真を見るときには,スタイルではなく構図を見るべきです.
(構図は技術的な意味ではない.他の言葉が見つかりません.コンテクストは少し顔色を伺い過ぎているような.構成?)


夢二の絵

竹久夢二の絵を思い浮かべてください.ふにゃふにゃなタッチの絵です.

我々素人はこの絵を”ふにゃふにゃなタッチの絵”としか評価できないのです.
しかし須田剋太は夢二の絵について「堅牢な造形性がある」と語っています.

ここで言うふにゃふにゃなタッチがスタイル,造形性こそが構図と考えます.


写真の場合,スタイルは全て機材に起因する結果でしかありません.
線の太さ,ボケ味,モノクロorカラー,フィルムかデジタルか…
どれをとっても写真の出力=スタイルは機材によるものです.

それでは写真の造形性とはなんでしょうか.
構図と一言でまとめるのは乱暴な気がするので,分解する必要があります.
この分解は人それぞれでいいと思います.
私が構図を分解するなら,明度・焦点・光でしょうか.

大事なのはカメラに帰結することです.
現実は無限に広がりますが,カメラは切り取ることしかできません.
映画も写真も切り取った結果でしかないのです.

カメラはリアルを切り取ることしかできないので,ふにゃふにゃな人を写真に収めるのは不可能です.
メロディはリリックのウンコという言葉があります.尊敬する人の言葉です.
写真に言い換えると,スタイルは構図のウンコです.全くそうだと思います.


結論

人の写真を見るのに必要なことは,現実から切り取った結果として見ることです.
カメラという有限の空間で想像を止めてしまうことは見る側として配慮が足りない.と思ったので書きました.

そもそも有識者は切り取りという言葉を容易に使い過ぎです.
どのカメラ初心者が読む本にだって切り取りという言葉が使われるでしょう.
私の理解力では切り取りの重要さを測ることが困難でした.

以上.

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