結果を出すための正しい努力。焦りは最大の敵。

生きていく中で評価されるのは、結果。
どんなに努力をしていても、結果が出せなければ評価には繋がらない。
努力していても結果を出せないとしたら、それは努力のしかたが間違っているという評価になる。
それが、生きていく上での現実。

僕自身も、今現在、結果を出せていない人間です。
この15年近く、あまりに恥ずかしく、悔しい人生。
アラフィフの現在、この15年で、同じ職場で半年以上勤め上げられていない。
鬱の悪化や、パニック障害による発作の頻発で倒れる。
その度に休職しても復帰が叶わなかったり。
これを数え切れないほど繰り返し、恥ずかしながら、履歴書の職歴欄は定型のスペースにはおさまらない。
職歴自体も自分の記憶で追いきれず、記載したものをコピーして保管しています。

長く続かなかった原因は、自分の得意分野を活かせる職種をとかではなく、仕事をしていない事への焦りや周囲の目が気になったりなど、自分自身で冷静な判断を下さず、とにかく無職という肩書から逃れたい。
この気持ちがあまりに先走り過ぎ、何もかもが空回りしていたなと。

40歳を過ぎ、50歳が目前に迫った今、同期も第一線の要職を任され活躍している者も多数います。
200万都市札幌で、予約の取れないフランス料理店の看板シェフとして活躍している高校時代のクラスメートが出世頭かな。
そのような活躍を耳にする度に、嬉しい気持ちと共に、羨みや自身の無力感にも苛まれたり。
活躍が喜びやモチベーションに繋がるのではなく、情けない自分自身への自己嫌悪しか生まれなかったり。

革靴の底が抜けるぐらいに駆けずり回った末、死にものぐるいで就活に駆け回り、やっとありつけた仕事を、倒れて半年も持たずに辞め、再び就活が出来る状態まで静養し、また就活して玉砕。
これを延々と繰り返してきました。

同じ失敗を繰り返し続けた根本の原因は、今ならはっきり客観的に自分自身を俯瞰できますが

                             【焦り】

ここにつきます。
心身の回復が不十分にも関わらず、無職への罪悪感から前のめりに先走り続け、焦ったまま冷静な判断のできないまま、採用の内定をいただけたところへとにかく飛び込む。
そしてまた潰れる。
これこそが、冒頭に書いた、努力のしかたの間違い。
長続きできずに潰れる、倒れるを繰り返すのは何故か?
それを全く振り返らず、無職への罪悪感からハローワークへとにかく切れ間なく足を運び、数え切れないだけ履歴書を書き、面接を受ける。
ひたすら、このような行動を繰り返していました。
無抵抗に陥らずに、職を探す事に対しては貪欲であり続けはいたけど、職にありつけても長続きできないの繰り返し=結果を出せない。
結果を出せないという事は、努力のしかたを間違っていたという事に他ならない。

そんな僕にも、転機となる出来事がありました。
以前からお世話になっていたハローワークの担当職員さんから、このような言葉を掛けられました。

            【就職活動を休みなさい】

就職活動を斡旋するハローワークの職員さんからのまさかの言葉。
正直耳を疑いましたが、続いて

            【焦り過ぎ。無職への罪悪感から突き動かされるように就活してるんだろうけど、焦燥感が抜けない限り、同じ事を繰り返すだけにしかならないから】 

・・・目から鱗というか、やっと、焦りで自滅し続けていた事に気づけました。

そこからやっと、焦りに突き動かされながら動く事はやめました。
思うように働けていない罪悪感や、歯がゆさ・悔しさ等からのじくじくたる思いは正直ありますが、焦りは全てを無にする。
その事に気づけた事は、気づくのが遅かったかもですが、間違った方向へ進む事は避けられたかなと。

何も成し遂げられていない事への、自分自身への不甲斐なさ、悔しさは消えませんが、人生の巻き返しは何歳になろうと遅いという事はない。
このままでは終わらせません。


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