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シンプルに話が面白い(こどもの一生)

日付、2020と書いちまってる。2022です。

とっとと書いて、上げれば良かったんだけども。
4月17日に東京公演芸術劇場で「こどもの一生」を見てきました。

面白かった!!
1944の数字が出てきた時、教訓モノ系か…?と思ったけど全くそんなことなし!話が面白い!

文芸書嫌いで新書ばかり読む私ですら、久しぶりに一冊読みたくなるような、そんな舞台でした。

G2さんが八乙女くんでやりたがった理由がよく分かる。よく分かって、幕降りた時泣きそうになっちゃった。やおちゃん、奇妙な話の中で可哀想なんだけど痛々しさはなく存在してられる人だからね。

聡くん良かったよ〜〜〜「まとも」だったね!見る側が感情移入するとしたらこの子や〜〜〜〜〜

途中、セーラームーンのポーズをとる聡くん。そしてセーラームーンごっこをする聡くん。オタクは皆ここを楽しみに通っちゃうと思った。三友にいびられるのは可哀想だけど、ちょっと元気になると可愛いし。

聡くんは「まとも」に立ちながら、みんなのズレを真正面から受け止める人だなあと感じた。

そう、八乙女くんは佇まいで、彼の「まとも」が人とズレているんだけど、そこが愛おしいことを感じさせる人だ。

面白かった!シンプルに!PARCOっぽい!!!
東京芸術劇場にも合ってた!おしり痛い、プレイハウス!新国立劇場の中劇場より私は痛かったぞ!!

あらすじ
超わがままな製薬会社社長の三友と秘書・柿沼は、心のケアが専門の孤島のクリニックを訪れる。
共に治療を受けるのはデジタル庁勤務のエリート藤堂、コールセンター勤務の淳子、現役地下アイドルの亜美。
院長・木崎と看護師長・井手のもと、5人はストレスを取り除くため10歳の「こども」に返り、共同生活をすることになるが……。
https://stage.parco.jp/program/kodomo2022/

この藤堂さんが不安症の人で、私も「家の火の元確認してきたかな…」と途中ソワソワするなど。

以降、ネタバレ。

「存在するってなんだ?」ってところから、我々が想像して信じてしまうことを利用したトリックみたいな感じ。

伏線回収がお見事〜〜〜〜!!!
といいつつ、完全に理解できた訳では無い。

物語は「山田のおじさん」が登場してから一気に加速。

パワハラジジイな三友を仲間外れにするために、他の4人は「山田のおじさん」という空想上の人物を作り出す。

空想上の人物のはずなのに突然現れる。
治療で幻想力を高めるキノコを食べていたため、妄想パワーが高まって設定が具現化されてしまったのだ!

藤堂くんのPCに書き溜めてた設定通りに動く山田のおじさん。そこが問題で、たまたまPCのメモを発見していた三友は、山田のおじさんに「会った人全員を殺す殺人鬼」という設定を加えていたのだ!

で、山田のおじさんは三友、看護師、院長、藤堂くんを殺しちゃう。

柿沼は山田のおじさんが自分たちがいると思っていますから存在してると気づくけど、女子2名はでも怖い〜〜〜〜!!山田のおじさんいるかもしれないじゃん〜〜〜〜!!って言う。その度に観客は柿沼と同じ気持ちで「そこの女子黙れよ!!」と手に汗握るんだ。

柿沼は壁に頭を打ち付けて「痛い!」ということを繰り返す。(これは柿沼の二重人格の習慣です。)クレイジーな柿沼をみて楽しくなった山田のおじさんは、調子に乗って「僕は痛くない!!」と言う。なぜ痛くないか?実在しないからだ!と自己矛盾を指摘!山田のおじさんは消えるのだった…。

で、めでたしめでたし!とはならず。
山田のおじさんに殺された3人は元通りになるが、三友だけは目覚めない。何故だ……。で、冒頭にあった1944のシーンに戻る……。

実は冒頭に戦時中の離島で、日本兵2人の回想シーンがある。1人は怪我を負って瀕死状態。もう1人はこんな状況下でも飄々としている。2人で会話をしていて、怪我をした兵士の方がはたと気づく。こいつは目の前で死んだ部下ではないか…?
幽霊かと尋ねると、部下は触ってみればよいと答える。
恐る恐る触ろうとすると………で転換。

で、最後にもう1回出てきたときは日本兵は部下に触れているんです。部下、「実在」してるんです。この時の日本兵こそ三友で、部下は山田のおじさん………。

さて、私が解けなかった謎は2つ。

①なぜ三友は目覚めないのか。

これは自己流では解釈してます。
三友は戦時中の島で山田のおじさんに会ってるんですね?だから山田のおじさんを知ってるんですね?この時も三友、キノコ食べてましたよね??戦争でいた島ってここですか??三友、PCの設定みたとき「そういう事か…」って言ってましたよね???

三友が山田のおじさんをいると思っているから目が覚めないのは分かった。
じゃあ三友自身はなんなんだ??????

②サイコパスの意味

山田のおじさんが現れる前、院長は「精神疾患は治せる、サイコパスは治せない」って言うんです。このとき私は三友がサイコパスなんだろうな〜って思ってた。
その後現れる山田のおじさんはまさに「サイコパス」なんです。
サイコパス、どこまでの意味が含まれるのだろうか。

この辺、謎解きについてはもうすこし早く感想書いてればもうちょい覚えてることあったと思う。(お粗末)

でもこの仕組みがバチバチバチ〜〜〜〜!!って来て、ひっさびさに文芸書とか読みたくなったの。今日時点で読んでないけど。
謎とくためにもう1回見たい!と思ったけどこの最大瞬間風速は初回にしか出ないとも思った。

観劇してしばらくして、しみじみ面白かったな〜〜と思うのは、観てる側が、山田のおじさんの仕組みを瞬時に理解して信じること。これこそがめちゃ興味深い。

山田のおじさんの仕組みについて、劇中では藤堂が物質というのは最小単位まで落とし込むと、実はスカスカで存在ってものはあやふやなんだ、って説明してた。し、柿沼も「いると思うからいるんだ!」と理解してた。

目に見えるから存在する、というよりも、存在すると思うから目に見える。実は顕在意識よりも潜在意識がほとんどだって、誰しも聞いた事があると思う。

けどこれ、我々がそのロジック理解する時、もっと身近に普段から何となく感じてるものと照らし合わせてると思う。そうじゃないとこんなに瞬時に理解出来ないでしょ。

2018年の映画「羊の木」を思い出した。(錦戸亮ちゃんが主演だったから観にいった。)
これは小さな共同体の中で信じられている神様みたいなもののお話で、松田龍平演じるそれを全く信じないサイコパスが出てくるんです。
そこでは「2人が海に飛び込むと、1人はこの神様に殺され、もう1人は助かる」的な言い伝えがある。
映画のクライマックス、錦戸亮と松田龍平が海に飛び込む。
先に松田龍平が浮かんでくるんですが、そこに神様の銅像が折れて落ちてきて、海に沈んでいく。

で、観客はそこで何を思うか。

その瞬間に「松田龍平が沈んだんだから、錦戸亮は浮かぶ、助かる」って理解する。
思ってしまった瞬間がいちばん面白い。

迷信とかそういうもの、近代化が進むにつれ廃れて「信じることは非効率、バカバカしい」という雰囲気になってきたと思うけど、やっぱり我々にはそれを瞬時に理解する力が残ってる。
さらに言えば、現代化が進んだ今、むしろそういう概念的なものが共同体を生み出さない新たな形、個々人の形で強化されてるよな。と、何となく感じる観劇から1ヶ月弱後の感想でした。

東京公演は終盤でコロナにより中止、
地方公演は無事開催!聡くんの地元静岡でも無事幕が上がることを祈ってます。

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