野球小僧4

4、スクープの取れない芸能記者

花は桜木、男は早稲田---この男っぽい野人の精神に惚れた。早稲田でしっかり学ぼう。
野球は忘れよう、と決めた。が、私達教育学部社会科社会科学(100人程?)のクラスが一緒になるのは英語など、週3回ほどあるだけ。あとは選考により教室も学生の顔ぶれもみな違う。中・高校とは大違い。私は1か月ほどアルバイトしてから登校した。
 まずコミュニケーションを深めなくてはと、クラスの投稿誌を出そうと決めた。新聞・雑誌作りは大好きだ。自己紹介や日ごろの思いを自由に書いてもらう。多くの級友の協力を得て、ガリ版刷りの「オアシス」が完成した。翌年、2号も出版。この「オアシス」を懐かしみ、卒業50年も過ぎた頃、クラスのOB有志により「オアシス」が復刊。10号まで出版
された。これ、すごいことだと思う。しかも、数年前からはパソコンで顔を揃え、ZOOMミーティングも始めた。私もそのおしゃべりに参加している。


大学のクラスの2割くらいが女性。きれいな子が多い。女性へのアタックも今は自由だ。よっしゃ!と張り切りつつも、ドキドキと2人に声をかけ、まずは成功。公園でデートした。調子に乗って、長身の美人さんに「お茶でも---」と恐る恐る声をかけると、なんと、OK。やった! 近くの喫茶店へ。でも、何を話したか、まったく覚えていない。
数日後、登校すると、教室の奥で、男子3人が楽しそうに話していた。私もその中へ。話が盛り上がり、男の友達ができた、と思った。やはり最後は女性の話に。「そう、きれいだよな」「知性的だし」「すごい美人だよね」あの美人さんへの3人の憧れ、羨望が一挙に集中した。ええ、そんなに! おれ、その美人さんとデートしたばかりだよ。もしバレたら、どうなる? 私は以後、美人さんと会わない、一切、口も聞かないことに決めた。(これダメ、堂々と会えばいいのに。男らしくねえ)♪青春時代の真ん中は――失礼、無礼なことばかり♪
でも、私は男友達がほしかった。彼ら3人とは卒業後も親しく付き合った。特にM君とは下宿で一緒に飯を食ったり、京都・奈良を旅したり。彼は朝日テレビに入り、私が日刊スポーツを辞めるという時、わざわざ「やめないで」と説得に来てくれた。70で亡くなった。その3年程前か、妻と上京の折、所沢の彼の家に寄って行こうかと迷ったが、ちょっと遠いからまた今度にと思い、会わずに帰った。思い切って会いに行けばよかった。O君は商社に勤め、第2の人生は郷土の名古屋でと。が、70代で亡くなった。O君の友人のK君のバラ園で彼の好きなシャンソンのコンサートを開いてもらった。K君も今は亡き人に。


学園際で歌う

早稲田では教育学部の新聞部にも入った。友人が沢山できた。今も交流がある。先輩に新宿駅裏、西口の焼き鳥屋に連れて行ってもらった。当時、まだ焼き鳥店や飲み屋が軒を連ねていた。
シャンソン歌手、金子由香利の弟が入学し、創部したシャンソン研究会にも参加した。越路吹雪の「愛の讃歌」しか知らなかったが、いい歌がいっぱいある。レコードコンサートを開いたり、学園祭で歌ったり。当時、ポンジョ(日本女子大)の学園祭でも、金子と一緒に歌った。
銀座のシャンソン喫茶「銀パリ」にも一人でよく通った。一杯のコーヒーで2時間はネバって聞いた。ムード歌謡でスターになった青江三奈が、鈴原志麻の名で、ラテンを歌っていた。ハスキーなラテンがすごく良かった。ここで、シャンソン界の草分けと言われる菅美沙緒さんの教室の生徒さんたちの発表会があった。私も教えて頂きたいと、菅さんの教室に入った。菅さんが大阪へ行ってしまうまで3年ほど、レッスンを受けた。シャンソン研究会のメンバーの妹さんも習いたいと言うので一緒にレッスン受けた。上京したばかりの可愛い子で、1年程、いいお付き合いをした。


母と

友人たちは早くから卒論の準備をしているのに、私はのんびり。卒論は遊びの体験をカッコつけて書いただけ。「大衆余暇の形態とその効用について」優良可の成績で、なぜかこの卒論と体育の野球だけが優。あとはみな可。
就職活動ものんびり。かなりの受験者がいたはずなのに、なぜかラッキー、日刊スポーツ新聞にトップの成績(筆記試験)で入社。担当は野球、ではなく、文化部の音楽記者。売り出したばかりの中尾ミエなど3人娘、充実の三橋美智也ら、有名人に会えるのは楽しかった。                                  
1年もした頃、出勤すると部長から「島倉千代子が離婚するらしい。すぐに行ってくれ」の指示。私はカメラマンと、品川の島倉邸へ。ブザーを押し、声もかけても誰も出ない。男二人、近くの小さな旅館(ラブホテル)の2階部屋を借り、そこから見下ろしながら、島倉が帰る?のを待った。明け方になっても帰ってこない。私はなすすべもなく、すごすごと会社に帰った。
少し経ったある日「小沢征爾が離婚するらしい。いま、新橋の〇〇ホテルにいるから行ってくれ」の部長の指示。私一人、駆け付けると、いたいた、広いロビーに。確か音楽評論家の中村東洋氏と、向きあって何か打ち合わせでしょうか、話し込んでいる。私は小沢氏のすぐ後ろの」椅子に腰をのせ、話しの終わるのを待った。私が側にいることは小沢氏も感じていたはずだ。が、話しはなかなか終わらない。「日刊スポーツの深見ですが、小沢さん、ちょっとお話、いいですか」と話しかければいいのに、それができない。じっと待つ。と、突然二人は立ち上がり、話し合いながら、すすっと足早に立ち去って行った。(私を意識してのことだろう)「ちょっと待って!」と追いかける。それができない。私はまた、すごすごと会社に帰った。
先輩の映画担当記者は数年前、東宝映画の有名男優と女優の婚約をスクープしたという。「どうしてできたんですか?」彼に聞いてみた。東宝のパーティがホテルであった時、彼は大便がしたくなり、個室トイレに入っていた。と、男が2人入って来て、小便をしながら、立ち話をしていた。トイレには他に誰もいない、と思っている。「あの二人、いよいよ結婚するみたいだね」と話している。その内部情報をもとに、二人に喰いさがって、特ダネをものにした。これはラッキー。しかし、私にスクープは無理だ。人見知りする。押しが効かない。1年半で退社した。草野球では、誰よりも張り切り、ハッスルするというのに。         


取材を終えてすぐ執筆。原稿を電話で送る。

日刊スポーツを辞めて、業界誌にいた頃、早稲田の新聞部で同期の友人N君が、当時、注目のデパート、丸井の本社宣伝部に入ったと聞いて、訪れてみた。彼の顔を見に行ったのだが、彼の隣の席の女の子の顔に目が行ってしまった。「おい、彼女、紹介しろよ」秋田の高校を出て、まだ1年目。フレッシュ、明るい。一緒にいると楽しい。というわけで---。N君は、そのあと、すぐに丸井から他社に転職した。我々2人を結びつけるために、丸井に入ったみたい?

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