野球小僧3

⒊ 恋も野球も絶って受験ひと筋
 
真っ白なユニホームに、スクールカラーのエビ茶でWASEDA。早稲田大学」が、ぐぐっと私の全身に入り込んできた。「このユニホームを着て、早稲田で野球をしたい」
目標ができたので、気持ちが締まり、勉強にもやる気が出る。勉強嫌いな野球小僧が、まさかの猛勉小僧に変身だ。
 
そのためには、まず、高校卒業資格の取れる大学入学資格検定試験をクリアーしなくては。その検定試験は名古屋の旭丘高校で行われた。校庭での体育の実技もあり、リラックスして、試験を終えた。ややあって、中日新聞に検定合格者の名前が発表された。私は本は読まなかったが、なぜか新聞だけは毎日欠かさず読んでいた。私の名前もあった。「やった!」うれしい。
 狙いを早稲田入試にしぼる。文科系の3科目に集中して勉強の日々。入試まで半年しかない。
やはり、力不足か。文学部、教育学部は落ち、2部(夜間)には受かったというものの、どうしても納得ができない。
「もう1度、早稲田入試に、挑戦したい!」
思えば、入学のためのお金を納めておきながら、随分自分勝手な願いだ。でも、父はなにも言わず、許してくれた。
私は覚悟を決めて上京した。できて間もないと思う早稲田予備校(木造2階建て、高田馬場駅から西1キロ程)に入り、すぐ近くの平屋アパートの1室を借りた。
朝6時位に起き、バットスイング数10回。飯を炊いて、味噌汁を作る。予備校へ。終わってアパートに帰り、自習。夜10時に床に就いた。夜も、ろくに寝ないで受験勉強なんて、とんでもない。この日程は365日、変わることなく続けた。アパートの隣の部屋に遊びにくる高校生くらいのかわいい女子が私に何度も笑顔を送ってくれたが、微笑み返しはできなかった。恋も、野球さえも断っての受験ひと筋。ただ日曜日だけは開放した。近くの映画館(日活系)で赤木圭一郎や小林旭の映画を見た。この年の11月11日は私の20回目の誕生日なのに気付く。なにか残したい。一人、近くの写真館へ行って、記念の写真を撮ってもらった。



一人で食事

予備校の講義は参考になった。早稲田の教授が担当していた英語の講義は、雑談風で分かりやすく、苦手の英語が面白くなってきた。
夏休みには、予備校に現役の高校生男女も来た。彼らは気さくで明るい。久しぶりに笑顔で話ができ、嬉しかった。予備校でも2人の男子と友達になった。私が冬になっても面倒で、靴下を履いていないのを見て、その一人が靴下を届けてくれた。なんとなく受け取ったが、今にして思う。彼の思いやりに感謝!彼は社会科地理歴史に入った。が、大学での交流はなかった。一人は上智大学英文に入った。
 予備校が実施した模擬試験には、多くの受験生が腕試しに参加した。私も英語、国語、社会(一般社会)を選択し参加した。その一般社会で94点の私が最高得点だった。驚いた。嬉しかった。3科目総計でも合格圏内だった。
さて、本番の受験結果、文学部、教育学部とも1次の学科試験をクリアーした。
合格発表で自分の受験番号を見つけた時の気持ち、「やった」「よかった」じんときた。一年間、一人で徹底した受験生活。その日、アパートに帰っても迎えてくれる人はいない。私は一人、机にうつぶせになると、声を出して泣いた。様々な思いが込み上げ、泣いた。


私は第一希望であった教育学部社会科社会科学に入学した。
私はこの日を待っていた。入学式を終えたその足で、野球部の寮へ行くのを。寮の玄関を開け、出てきた先輩らしき人に、声をかけた。
「今度、入学しました深見です。野球部に入りたいので、お願いします」
「えっ、何? もうみんな、そこの球場で練習してるよ」

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