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3月 体調不良の中、理想と現実のギャップについての雑記✍️

4月になりましたね🌸
桜も開花し、今週末はお花見で賑わいそうです☺️
3月は体調のアップダウンが激しく、投稿が途絶えていました💦
風邪などは引いていないのですが、ホルモンバランスの乱れによる不調が続き、花粉症と激しい気温差もプラスされ、頭痛やだるさが治まりませんでした😨

横になっていると、頭の中でグルグルといろいろな言葉が浮かんでは消え、そんな言葉たちを紡いでみました📝

良かったら長文ですがお読みいただけますと嬉しいです☺️
雑記なのでちょいちょい文章を編集するかもしれません😅

◇◆◇◆◇◆◇
人生の目的地を持って進んでいる人はどのくらいいるのだろうか。
自分自身で目的地を決めたり、歩む人生のレールが身近な人から用意されていたり、目指したいと思うロールモデルが存在していたり、多かれ少なかれ自分の進む道を各々のタイミングで整備して進む方向を決めて歩んでいくのではないだろうか。

私の人生はというと、いつまでもフワフワチャラついて落ち着かないなぁと感じているが、
振り返ってみると、私には最初から目的地がなく、ロールモデルもいなかったように思う。

私に進んで欲しいと親が希望していた道は、自ら外れていった。
親が希望していた道は、特に大きな失敗がなく穏やかに暮らせたかもしれない。
しかし、ある時から、親が私に対して希望する道=親(主に母親)の生きたかった道であり、彼女が生きたかった人生を託されているようで徐々に負担を感じ、結局「私が歩みたい道はそっちじゃない」と告げることとなった。

今思えば、若かったなーと感じるし、それはそれで母の愛だったとも理解している。
若気の至りで片付けられることなのかもしれないし、あるあるなことかもしれないが、
当時はとにかく毎日が息苦しく、この息苦しい空間を離れて、空気の吸える場所へ逃げたいと思っていた。
そう感じて行動したことに全く後悔はしていない。

幼い頃は、母親の考え方、視点と私の考え方、視点はほぼ同じだったため、母が考える目的地=私の目的地だった。
よって、物心ついた頃から私自身の目的地はなく、その状況に違和感を覚えた時には既に息が吸いにくくなっていた。
そして、とにかく息の吸える場所へ移動を続け、ようやく今少しとどまって呼吸ができる場所を見つけたような気がする。
暮らす場所、働く環境、あらゆる人間関係含め、今が1番空気が軽い。

私は私が考えるまま生きていけばいいし、例え少数派だったり、一般的でなかったりしても、その個性がおもしろいと評価してくれる人がいる。

とても心強いことだ。

胸の内に秘めていた想いを、個性として文章にしていく過程で、閉じ込められていた想いは消化あるいは昇華、そして浄化されていく。

どんな人生や考え方も自分自身で決めたことならそれが正解だと思う。
私の人生の目的地とは、自分を知り、私らしく生きること。これに尽きると思う。

話は少し変わるが、
精神的、体力的、金銭的に余裕がなく自分のことしか考えられない日々が大半を締めているけれど、
本当は、大切な人が笑顔になれることを軽やかにできる人になりたい。

しかし、その要望が過度な期待を含んでいたり、自分の人生を意図しない方向へ変えていくものであった場合、私は敏感に感じ取ってしまうので、その時は敢えて少し離れた所から関係性を観察したい。

究極な理想論だけど、強くて優しい人にひたすら憧れる。

自分を知ることは難しいけれど、一生退屈しない研究材料にもなり得る。
これからは、自分を知り、自分らしく、大切な人にとって強く優しい人を目指すというまたフワフワした着地点に至る、これまた私らしいと思う春の夜🌸

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