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「迫害の中の宗教」をテーマにキリスト教牧師と懇談会|神に信頼する

2023年11月、日本バプテスト連盟の黒瀬博牧師を招いて「懇談会」を行いました。参加者は、世界平和統一家庭連合(旧統一教会、家庭連合)の青年・学生が20人ほど、壮年・婦人が5人ほどの約25人でした。

以下、懇談会で、黒瀬牧師が「迫害の中の宗教」というテーマで話してくださった内容をまとめました。

迫害されることが信仰の証

キリスト教は迫害をたくさん経験してきた。迫害に強い宗教と言われることもある。キリスト教は迫害の記録を残してる。なぜ迫害された記録を残すかというと、名誉なことと考えるからだ。迫害を乗り越えていくことが信仰の強さの証だと考えている。

その考えは、イエス・キリストの教えから来ている。イエス・キリストが福音の中で「あなたたちはこれから迫害される」と予言している。キリスト教では、迫害されることを悪いことと考えていない面がある。

そういう発想があるのは、イエス・キリストが十字架で亡くなっておられるからだ。

キリスト教の使徒パウロはローマで処刑され、イエス・キリストの12弟子全員も殉教したとされる。

西暦64年のローマの大火の時には、放火したとの疑いを掛けられ、多くのキリスト教徒が処刑された。

迫害の中でも反乱はしない

そして300年間、キリスト教は断続的にローマ帝国で迫害を受けてきた。迫害が終わったのが313年。ここで注目したいのは、この300年間、キリスト教は一度も反乱を起こしていないことだ。

従順に殺される人は死んでいき、財産を取られる人は取られ、従順に処罰されていった歴史がある。

なぜそうなるかというと聖書に書いてあるからだ。新約聖書のヨハネの黙示録でも「忍耐しなさい」と教えている。

迫害を受けなくても消滅していく宗教はたくさんあるが、なぜキリスト教は生き延びることができたのか? 客観的な分析としては、こうだからというのは出てこない。

信仰的に言うなら、キリスト教は神様に守られたからで、私もそう考えて説教をしている。

313年、キリスト教は迫害が終わり、さらに増えていった。迫害がなくなっても衰退する宗教はたくさんある。迫害がなくなってから増えたのは、キリスト教以外にはそんなにないと思う。

国教後のキリスト教

ユダヤ人への迫害

392年にローマ帝国は、ついにキリスト教を国教化する。一方、キリスト教が国教となったこたとで、他の宗教が禁止された。

これはキリスト教にとっては良いことだが、今度はキリスト教が迫害する側に回った。

キリスト教が増え広がり、ヨーロッパ全体でキリスト教が当たり前という状況になった。そんななかで違う人たちがいた。それがユダヤ人だった。

ユダヤ人はキリスト教徒の肉を買わないとか、キリスト教の集会に来ないとか、かつて自分たちがしていたことをユダヤ人がしていることを忘れ、「ユダヤ人は不届き者」という思いになり、ユダヤ人迫害がポツポツと起きるようになった。

異端への迫害

キリスト教の内部でも異端とされるグループが迫害された。その中で「アナバプテスト(再洗礼派)」が厳しく迫害された。

宗教改革はルターが有名だが、もう一人重要な宗教改革者としてツヴィングリがいる。彼はルターよりも聖書を大事にする立場だった。

そこで、ツヴィングリの弟子たちの中に、カトリック教会でしてきた「幼児洗礼(生まれてすぐに洗礼をする)は、聖書に書いてないからやめよう」と言った人がいた。

ルターは幼児洗礼は必要という立場だったので、ツヴィングリはプロテスタントが分裂しないよう、その考えを抑えていこうと考えていた。しかし急進派のグループが、飛び出してアナバプテストと呼ばれるようになった。

それでアナバプテストは迫害を受け、その指導者はチューリッヒのリマト川に沈められ処刑された。その後は迫害を逃れて南ドイツに行ったが、今度はカトリックから迫害され、多くが処刑された。

しかしオランダに行ってアナバプテストは成功を収め、オランダとドイツの間にあるミュンスターという町では、町全体が、アナバステストに改宗した。

しかし周囲はカトリックの国だったので、カトリック軍から攻められようになった。その時アナバプテストの人々は武装をしてカトリック軍と戦った。

1年ほど戦って、その町のアナバプテスト住民の殆どが殺された。これがミュンスター事件。1534年のことだ。

戦わない宗教が戦った結果

この事件は、キリスト教の歴史で非常に稀な出来事で注目に値する。ミュンスター事件の武装蜂起は、ドイツやオランダの一般の人たちにものすごく悪い印象を与えた。

それまでキリスト教は、戦わない宗教だったが、突然戦い政府に反抗した。今、ドイツ語でセクトという単語が悪い意味で使われている。日本のカルトと同じニュアンスだ。そのセクトの悪いイメージの元になったのがこのミュンスター事件。

ミュンスター事件に参加しなかったアナバプテストの人たちもたくさんいたが、あまりにもイメージが悪くなったので、アナバプテストという名前を使うことができなくなり、その後、「メノナイト」という名に変わった。

しかし、名前を変えても受け入れられないので、ミュンスター事件の時と逆の「武器をもって一切戦わない」という教えを取り入れた。従って兵役拒否をするグループに変わった。ただ、この兵隊にならないことも、当時は反国家的なことだった。

20世紀になり、各国が寛容になり、メノナイトの信仰ならば、兵役を免除するとなった。その代わりに病院勤務とか、社会福祉施設で働くとかが義務になった。迫害のない歴史になった。

魔女狩りの教訓

次に、魔女狩りの問題。これは皆さんの参考になると思う。

魔女狩りは、記録が曖昧なことが多く、はっきりと記録が残っているのは、1690年に起きたアメリカのセイラムで起きた魔女狩り事件だ。

始まりは、女の子たちが「こっくりさん」のような遊びをしてた時に、狂乱状態になった。それを町の人たちが見て、「悪魔がついた」となり、「誰かが悪魔つけた」「あの人がつけた」「この人がつけた」とお互いに言い始めた。

それに対して警察が出てきて、裁判所までが加担して、判決を出したりした。街全体が、自分の都合の悪い人を「魔女だ」と言って「財産没収しろ」という形で騒動がどんどん大きくなった。

最終的に州政府が出てきて、鎮圧し、噂を消して、正常化した。

日本だと「非国民だ」「反日だ」と言って非難する。それに尾ひれがついて、大きな騒動になるのは、宗教だけではなく、政治活動などでもある。しかし政府がそれに乗ってはいけない。

家庭連合に対する非難も魔女狩り的だ。マスコミだけではなく、政府まで乗っかったのは、この魔女狩りのパターンだ。「政府が乗るようなことがあってはならない」というのが、セイラムの事件の教訓だと思う。

迫害の中でどうすべきか

迫害の中でどうしたらいいか、キリスト教はイエス・キリストの教えに基づいて対処する。

悪人には手向かわず忍耐

迫害の時にどうするかは、マタイの福音書の5章にある。

「悪人に手向かうな」(マタイ5/39)
「敵を愛し、迫害するもののために祈れ」(マタイ5/44)

だから、どんなに迫害されたとしても、受け入れて忍耐する。

ヨハネの黙示録には戦うような表現もあるが、よく読むと、戦うのは信徒ではない。戦うのはイエス・キリストと神様。

キリストが戦ってくださるので忍耐しょう。間もなく悪は滅びて、平和な国が来るという内容になっている。

情報収集

現代においてはどうでだろうか。何もしないで我慢だけするのは、ちょっとどうかという気がする。

我慢はしないといけないが、それと何をすべきか。

まずは情報収集。相手はどういう考えを持って、自分たちはどういう考えなのかを調べる。

そして、何が起きるか可能性を全て検討し、その準備をしておく。

逃げる

迫害にどう対策するかも聖書に書いてある。

モーセの場合はエジプトから逃げ出した、出エジプト。これを実践したのがモルモン教。モルモン教はアメリカで大迫害受け、ユタ州という当時は誰も住んでない場所に移り住んで、モルモン教の町にした。出エジプトをした。

戦うなら必ず勝利を

旧約のヨシュアは戦った。戦うのはキリスト教のやり方ではなく、ユダヤ教のやり方かもしれないが、武器を取らなくても戦うことが必要な時もある。

ただし、戦う限りは勝利しないといけない。負けるなら戦わない方がいい。勝つために戦う。そのための作戦は絶対に必要になる。

隠れる

あとは隠れキリシタンのように隠れる。またはメノナイトのように名前などを変えて再出発する。

その他、可能性があることを全てを研究する。これが全ての時代において、どの宗教でもできることで、やるべきことだと考えている。

一般の社会でも、企業でも「いろいろなアイデアを出して考えていく」というのは、やっている。

神に委ねる

最後には神様が働いて、悪を滅ぼしてくださることは間違いので、神様に御手を委ねる。神に信頼する。これがキリスト教としては正しい結論になる。

これはキリスト教だけではなく、他の宗教も同じだと思う。

家庭連合の方も、神様を信じて、最後は、うまくいく。キリストが戦ってくださると信じて乗り越えて頂ければと考えている。

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