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削られた幸せの行方【notte stellata完全版感想】


3/11と3/12のスワン

この完全版では最初に3/11の公演、そして終盤に3/12の公演の演技を流してくれたので、この二日間の演技をじっくり見比べて味わうことができました。

演じる度に振付を変えて滑っていると公言していた羽生選手の演技が、この二日間だけでもそれぞれ違っており、どこがどのように違うのかを探しながら映像を見返すのもまた楽しいひとときです。

凄いなと思うのは、スピンに入るタイミングが少し違ったり、手の動きが微妙に違ったりしていても、全ての振付が音楽に合っているところ。

一瞬の感覚で表現していても、ベースとなる音楽が身体に入っているんだなと思います。



「notte stellata」は特にスピン中の手の振りが美しいですよね。
スピンをしながら細かく手を揺らす動き。
ただ回っているだけでなく、
音楽と共に両手に動きが付いていて、それを見るのが毎回楽しみです。

柔らかく、しなやかで、まるで本当に白鳥が舞っているように見えてくるから不思議です。

手の振付がその時羽生選手が感じたままの感情に従っていて、見る度に少しづつ違うので、
「あ、今回はこういう動きなんだな」
とか
「おお、そうきたか!」
とか思いながら見ていると、あっという間に時間が過ぎていきます。
(我ながらなんてマニアックな見方…笑)

羽生選手の演技は一期一会だと以前から書いていますが、
同じプログラムなのに見る度に新しい発見があるので、何回でも新鮮な気持ちで見れてしまいます。

今回放送を見て特に印象に残ったのが、3/12の「notte stellata」の終盤。
私がこのプログラムで一番大好きなところ。
両手を挙げて一本足で後ろ向きに滑っていくシーンです。

この時の羽生選手は、両手をあげているだけでなく
細かい手の振りを加えていました。
まるで、白鳥がその翼を持ち上げて、今にも羽ばたいていきそうな動き。
そんな風に私には見えました。
もしかしたら白鳥の羽ばたきを観察して、研究されたのかなと思うほど。

白鳥は、鳥類の中でも特に優雅に見えますよね。
その優雅な佇まいまでそっくりそのまま体現しているように思いました。
それを氷上で一本足で滑りながら演じているのですから、ものすごい技術ですよね。

優雅に見えるのはきっと、プログラム全体がゆっくりとした動きだから。
でも実は、氷上でゆっくりとした動きをするってとても難しいことなんじゃないかなと想像します。
なんと言っても、ツルツル滑る氷の上ですから。
美しい体勢を保つには相当の力がいるはずだと、素人の私でさえ容易に想像がつきます。
「notte stellata」を演じ切るには、相当鍛え上げられた体幹が必須なのではないかなと思うのです。

でも、演技中は観客にそんな事を微塵も感じさせず、
満天の星空の下、
湖に浮かぶ白鳥が静かに舞っているという光景を見せてくれます。
「難しいことをやっている」という必死さをまるで感じさせない。

見終わった後は、ただ感嘆のため息だけが漏れてしまう。

もう、無形文化財とかに登録した方がいいんじゃ?と思ってしまうくらいの芸術的なプログラムです。

やっぱりバチバチに競っていた二人

夏の王と冬の王、
この二人のコラボはまるで『競演』のようだったと以前私の記事に書きました。

後のインタビューで羽生選手が

今日ちょっと演技を見ていただいて、感じてくださったかもしれないですけど、お互いがお互いのことに集中して、なんか、ぶつかり合って。でも、共鳴もしていて。お互いの本気のエネルギーが混ざり合うみたいなところをこのプログラムでは出したいなって意識があって。

3/10スポニチの記事

と言っていたので、やはりそうだったのかという思いです。

お互いぶつかり合って、でも共鳴している…
二人の本気が絶妙なバランスで混ざり合っていた演技だったのですね。


改めて放送で見返した時に、
やっぱりこの二人はすごいなと思ってしまうのは、
交互に演技を見せていく時も、一緒にスピンと旋回で回っていた時も、
ミスなく完璧に演じ切っていたという点。

お互いがお互いをリスペクトし合っているからこそ、
自分の演技で絶対に失敗できないという相当なプレッシャーがかかっていたのではないかと思います。

どちらかが失敗してしまったら、一気に会場の雰囲気が下がってしまう。

技で失敗してしまった時、「ごめんなさーい」と笑って誤魔化すような、そんな雰囲気では全く無い。
二人ともそれぞれの競技で頂点を究めた者同士、
積み上げてきたプライドも相当なものだと思うので、
想像するだけでこちらが身震いしてしまう程のプレッシャーを感じていたんじゃないでしょうか。

本番できっちり決めてくるお二人は、やはり世界を相手に戦ってきたとんでもない精神力の持ち主たちなんだなと。
百戦錬磨のメンタルをお持ちでなんでしょうね。
お見事としか言いようがないです。

そんな、プライドと本気の魂のぶつかり合いの舞台、
再びあの雰囲気を味わえる機会がまたいつか訪れたら、最高ですね。

哀しい春よ、来い

放送で3/11の「春よ、来い」を見た時、本当に胸が締め付けられるような思いがしました。

「プロローグ」で見た春ちゃんも、
「GIFT」で見た春ちゃんも、

春の暖かさと慈しみと明日への希望、という印象が私の中に色濃くのこっていて、ここまで「哀しみ」の感情を演技から感じ取ることがなかったからです。

特に、演技中盤、ピアノの音が切ない音色に変わる場面。
スピンを繰り返しながら、小さく聴こえてくる羽生選手の慟哭のような声。
あの時、羽生選手は何を想いながら滑っていたのか…。

頻繁に氷を触る仕草を繰り返し、またその手を上にあげる動作をしていたけれど、その訳はショー終わりのスピーチで話してくれていました。

12年前、この会場は、遺体安置所だったのだと。

その場所に氷を張って、その上で滑るということにとても葛藤があったと。

その葛藤がありながらもここで自分が滑る意味、覚悟、そして祈りの表れが、あの「春よ、来い」の演技での所作ひとつひとつに込められていたんだと思います。

葛藤があった上で氷の上に立った羽生選手は、どれだけ精神を削ったのでしょうか…。

3/11の「春よ、来い」。
滑り終わった後、涙を目に溜めていた羽生選手の姿を見た時、私はTVの前でしばらく涙が止まりませんでした。

今まで見た羽生選手のどんな演技の中でも、あんなに哀しみを感じた演技はありませんでした。


それから、もうひとつ印象に残ったのは、春ちゃんの滑りのスピード。
こんなにスピード出していたかな?と思ってしまうくらい、映像で見ているとものすごいスピードでリンク内を縦横無尽に滑っている姿が印象的でした。

あまりに速度が出ているので、あわやリンク外まで飛び出して行ってしまうんじゃ?と思うほど。
特にハイドロの前のスピードは凄かったですね。

「春よ、来い」のハイドロといえば、いつの頃からか羽生選手はその最中氷に口づけするようになりましたよね。
氷を愛する羽生選手の気持ちが伝わってくるようで、「春よ、来い」のハイライトシーンのひとつだと思います。

ところが、この「notte stellata」では、おそらく3公演ともハイドロ中に口づけをしていないと思います。

それは、やはり…この氷を張った場所の過去を考えるならば、やるべきではないと羽生選手は判断したのでしょう。

その代わりに、3/11の演技ではハイドロ中に氷に話しかけるような仕草をしていたし、3/12では頭を氷に擦りつけて(頭を怪我しないのかなと見ていてヒヤヒヤしました)いました。

スピン中思わず漏れる声、
しきりに氷を触る仕草、
氷に口づけをしないハイドロ。

春の妖精は影を潜め、むき出しの感情のまま、ただ祈るように滑っている。


いつもと違う「春よ、来い」を演じ終わった羽生選手は、全ての力を出し切って今にも倒れそうになるのを必死でこらえているように見えました。

そんな姿が私の胸を打ち、涙が後から後から流れてしまいました。


以前、「春よ、来い」のピアノアレンジを担当された清塚信也さんが司会をしている「クラシックTV」に羽生選手が出た時に、
プロになって春よ、来いを演じる際に思っていることについてこう答えていました。

見てる人がほんのちょっとだけ辛い思いをしたりとか、
いいんですよ机の角に小指ぶつけたりとかでも。
そんなちっちゃい不幸なことがちょっとでもあったかく、そこに春が来るようにって思いながら滑ってますね。

クラシックTVより

羽生選手がこう語っているように、
「春よ、来い」の大まかなコンセプトとしては「希望」とか「新しい扉を開く」とか「その人にとっての春が来るように」とか、そういったものが前提としてあるのだと思うのですが、

「notte stellata」の直前にあった「GIFT」での「春よ、来い」と
3/11の「春よ、来い」では印象が全く違うように、

羽生選手が伝えたい事、その時々で感じている事によって、
同じプログラムでも見ている側の捉え方がまるで変ってきます。

それって、やはり羽生選手の表現力の賜物だと思うんですよね。

一瞬一瞬全力でありのままの姿を見せてくれているから、見る度に印象が違うし、一期一会だし、ひとつの演技も見逃したくないと思ってしまうのです。

羽生選手の出るショーは全通したくなるという心理はひとえにそこから来ています。
同じプログラムでも公演ごとに違った表現を見せてくれるから、全部見たくなってしまうのです。

いつかお金持ちになれたら全通してみたいものです笑

でも、そういう夢を持つのはいいことだと思うんですよね。

羽生選手のショーを全通できるくらいのお金持ちになりたい!
よし、仕事頑張るか!と気力が湧いてきますから笑


…話が少しそれました。

とにかく。
この「notte stellata」での「春よ、来い」は、
今までの演技とはまるで違っていました。

氷上にいたのは春の精霊ではなく、
桜の花びらの化身でもなく、

「人間、羽生結弦」が祈る鎮魂の舞い、だと私は思いました。


氷上のDynamite

千秋楽のエンディングで披露された、氷上での「Dynamite」もしっかり放送してくれましたね。
羽生選手のキレッキレのダンスに会場中が大盛り上がりの様子が伝わってきました。
マイケルジャクソンのムーンウォークみたいな踊りも披露してくれて、とてもかっこよかったです。
MJのあの動きはむしろ氷上の方が再現しやすいのかも?と思いました。

回数を重ねる毎に、内村さんのスケートが上手くなっていっているような気がしたのは気のせいでしょうか?笑

おそらくそれまではほとんど滑ったことがないと思われるのに、
共演者たちに両腕を支えてもらいながらも、ほとんどバランスを崩すことなくフラフラしている様子もなく周回をしている様子に驚いてしまいます。

やっぱり体幹の鍛え方が並ではないのでしょうか。

もしかしたら、この先も内村さんが羽生選手コラボしてくれたら、もっともっとスケートが上手くなっていたりして。

でも、本当に、またこの二人の競演が見たいです。
予想がつかないからこそのエキサイティングな演目、
この二人だからこそ実現できる気がします。

氷を張らないといけないので、体操のショーに羽生選手が特別ゲストで出る、という形はなかなか難しいのかもしれませんが…。

Hulu配信で流れたインタビュー

Hulu配信では特典としてインタビューをノーカットで流してくれました。
おそらく公演後のインタビューだと思うのですが、羽生選手の発言の中で印象に残った部分がありました。

有料配信の特典内容なので引用はせずにかなりぼかして書きますが、

『自分が削ったぶんの幸せが誰かの幸せになってくれたら』

というような主旨のことを話していました。

「削ったぶんの幸せ」というのは、私の先の記事に載せた「幸せを削ってまで」という発言を踏まえてのことだと思います。


自分が削った幸せを誰かが受けとって、その誰かが幸せになってくれたらそれでいい、
という風に私は受け取ったのですが…

そのHulu配信の発言を聞いた時、私はかなりの衝撃を受けました。


なんて人だ。


思わず天を見上げたくなりました。


こんな考え方ができる人って、いるんだ…。


言うのは簡単です。
かっこつけて「あなたの幸せが私の幸せ」だなんて、
なかなか思っていても言える事じゃないと思うんです。
薄っぺらく、嘘くさく聴こえるので。

でも、

この人が言ってることに嘘はないと、私は心からそう思います。

彼の今までの裏表のない行動を見ていたら、それが嘘じゃないって、本心から言っているんだって、分かります。

羽生選手の、スケートへの向き合い方、
ファンへの向き合い方、
発言、振る舞い、

少なくとも私がファンになってから5年間の間、
これら全てがずっと一貫しているのを何度も何度も見てきているので。

だから、信じられるんですよね。

「どうか信じてください」って、羽生選手は言っていたけれど、

そんなの信じるに決まってる、という感じです。

削られた幸せの行方

幸せのかたちは十人十色、と私は自分の記事に書きました。
そこに書いた気持ちは今も少しも変わっていません。

だから、もし羽生選手がこの先どんな道を選択しようとも、
「裏切られた」とは思わないです。
羽生選手が選んだ道を応援するだけです。

でも、
「今現在の羽生選手」が、
自分の幸せを削ってまで私達にスケートで何かを届けたい、と言ってくれているのだから、

その気持ちをありがたく受け取りたい。

羽生選手がスケートのために自分の幸せを削ってまでかけてきた時間、気持ちをちゃんと受けとめて、

「幸せです。ありがとう」

って、

伝え続けたいな。


「私が羽生選手を幸せにするんだ」だなんて、
そこまで烏滸がましいことは思いません。

ただ、どのような形でもいいから、

羽生選手が削った幸せの行方を、本人に知ってほしいと思うのです。

あなたのお陰でたくさんの人が幸せになっているんだよ、ということが伝わったらいいなぁ、と思います。

だから、自分の気持ちを、想いを、このnoteに書いているんだと思います。

(もちろん、ただの自己満足なんですけどね)



最後に、
羽生選手が「notte stellata」で残してくれた大切な言葉たちを、ここに記しておきます。


悩み苦しんで幸せを削ってきた羽生選手だからこそ言えることだと思います。


私がこれからも幸せになるために、

毎日を大切に生きていくために、

しっかりと受け止めたい言葉たちです。

今日のある命は明日もあるとは限りません。
今日の今の幸せは、明日もあるとは限りません。
そうやって地震は起きました。
だから、みんな真剣に、今ある命を、今の時間を、幸せに生きてください。
本当にありがとうございました!
皆さん気をつけて帰ってください!

2023.3.11アイスショー notte stellataより

とにかく未来が何も見えない、何も分からない、こんな世の中で毎日毎日生き抜いてください。
この12年間を毎日一秒ずつ一日ずつ生きてきた、この愛おしい愛おしい12年間をまた今日からまた一秒ずつ一日ずつ続けてください。
僕もそうやって生きていきます。
また皆さんに会える日を、とてもとても楽しみにしています。
今日は本当にありがとうございました!

2023.3.12アイスショー notte stellataより


終わります。


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