羽生結弦選手単独東京ドーム公演「GIFT」感想⑨【まとめ】
羽生選手のショー、オペラグラス不要説
アイスショーには必須アイテムかな、と思って毎回持っていくオペラグラス。
私はいつも最高でS席レベルのチケットしか取れたことがなく、最後列も複数回経験してますので、いつもリンクが遠いです。
だから必要かな、と思って一応持っていくのですが。
でもよくよく今までのことを思い返してみたら、実際オペラグラスを使ってる時なんて、ショーが始まる前だけなんです。
会場に入って席に着いたらおもむろにオペラグラスを取り出し、どんなステージだろうとじっくり観察します。
ちょっと遠くの観客席を見てみたり。リンク脇に設置してあるスポンサーの看板を見たり。
ショーが始まるまでの時間潰しです。
ショーが始まってしまえば、肉眼で、直で羽生選手を見ようと必死になって、オペラグラスの存在を完全に忘れてしまいます。
拍手する時にオペラグラスを手にしていると邪魔なので、結局カバンに仕舞いこんで、ショーの終わりまでずっとそのままです。
今回の「GIFT」でも、張りきって公式グッズのオペラグラスを持って行ったにも関わらず、実際使ったのはいつも通りショーの前だけ。
肉眼でも十分よく見えました。
特に視力が良い方でもないと思うのですが、羽生選手を見る時だけは0.5くらい視力が上がるようです。
…と、まぁそれは冗談にしても、
羽生選手がリンクの上で圧倒的な存在感を放っているから、実際よりも大きく見える気がするのは間違いないです。
私の席は東京ドームの2階席でしたから、豆粒くらいにしか見えないことを覚悟していたし、大型スクリーンばかり見ることになるのかなと思っていたのに、全然違っていました。
表情までは見えない距離だったのは少し残念ですが、それをもって余りある彼のスケートを見る事ができたので、とても満足です。
表情や細かいところはディレイビューイングや見逃し配信で見ることができましたし。
今までもそうだったけれど、この「GIFT」で確信しました。
羽生選手のショーはオペラグラス要らないなと。
あくまで私の場合ですけれど。
チケット代が安すぎる
正直なところ、「GIFT」の詳細情報が発表された当初は
「チケット代、高い!」
と思いました。
たった一日だけ東京ドームに氷を張るということで、それだけでもかなりの費用がかかるのだろうなと理解はしていたつもりでしたが、それでもAやB席ばかり経験してきた私にとっては、今まで参加したアイスショーの中でもダントツに高い料金設定。
でも終わってみれば、この内容であれば
「チケット代、安い!」
と率直に思いました。
超一流のクリエイター達が集まっているし、絢爛豪華なステージだったし、東京フィルがオーケストラを担当してたという時点で当初の私の予想より遥かにお金がかかっていたんだろうなぁと推測します。
あの規模の演出、舞台装置、ステージを彩るあらゆる要素…全てが東京ドームでしか見られないものだったと思います。
その製作総指揮を執った羽生選手、やはり凄いお方ですね。
どれだけたくさんの人が関わってあのステージを作り上げたのか。
それを取りまとめた彼の手腕は凄まじいなと思います。
阿修羅ちゃんの真実
「阿修羅ちゃん」、キレッキレのダンスお披露目で瞬く間にファンの間で話題になっていましたが、なんと振付が羽生選手ご自身だったとか。
これには本当に驚きました。
てっきりMIKIKO先生が振りつけたものだとばかり思っていたので、noteにもそう書いていたのに。
私はダンスについては全くの素人なので、多くを語る資格は無いんですが、
プロの方が振りつけてると勘違いするほどのクオリティだったんじゃないかと思います。
氷上で寝転ぶとファンは喜ぶ、と分かっていて、そのニーズに応えてくれてたのは他の誰でもない、本人だったのか…!
もう、恥ずかしがらずに、躊躇せずにファンのニーズに応えてくれる羽生選手が愛おしくなってきますよね。
(もちろん全て私の勝手な妄想ですよ笑)
そりゃ人気も出るというものです。
中毒性があるというか、何回も繰り返し見てしまうプログラムです。
両手を合わせる振付がありますが、あれはやはり奈良の興福寺にある有名な「阿修羅像」をイメージされているのかな?どうなんでしょう?
それから「舌を売る」とか「墓を掘る」の部分の振付が分かりやすいですよね。
言葉と結び付ければ、その振りが何を表しているのかすぐに分かる。
「分かりやすい」って、大事です。
難解で理解できないものより、より多くの人に伝わりやすい。
万人に伝えたいとするのなら尚更です。
分かりやすさと曖昧さ
「分かりやすい」は大事、と書きましたが、
この「GIFT」の物語は、とてもシンプルな言葉で綴られています。
昔から思っていましたが、羽生選手の書く文章はとてもシンプルで分かりやすい。
誰が読んでも気持ちが伝わる、そんな文章を書かれる方だなと思っていました。
東日本大震災から10年の節目の年に寄せた羽生選手のメッセージは、
「何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。」という言葉で始まります。
なんて率直で素直な文章なんだと当時思ったものです。
複雑な気持ちをどう表現したらよいのか葛藤しながら、必死に言葉を紡ごうと努力する真摯な姿勢がこの文章から読み取れます。
これ以上ここで語り出すとまた長くなるので割愛しますが、
自分の思っていることを飾りなく真っすぐに伝えようとする羽生選手の気持ちが分かりやすく示されているなと感じたのです。
対して今回の「GIFT」の物語自体は、使っている言葉はシンプルだけれど、
かなりの想像力を要する内容だなと正直思いました。
前回のショー「プロローグ」は、完全に史実に基づいた羽生選手の半生をなぞる流れになっていたので分かりやすかったし、実際の試合の映像も多用されていたので、「主演・羽生結弦」の歴史映画を観ているような気持ちになりました。
ところが「GIFT」は、イメージ重視で抽象的な言葉が、主語が曖昧なままで進みます。
大体の話の流れは羽生選手の半生を辿っていると分かるけど、(これも相当なファンじゃないと分からないかも)
羽生選手の心の中の物語が中心なので、すぐに理解するのは難しかったです。
次々と流れる羽生選手の心象世界を見て、
「これは何を表しているのだろう?」
「何が言いたいんだろう?」
と、考え込まずにはいられない。
明確な答えがなくて曖昧な表現だからこそ、受け手側がいくらでも色んな解釈ができる物語です。
正直、これは好き嫌いが分かれるお話かもしれないと思いました。
分かりやすくスッと胸のすくようなお話を好む人には向いてないかもしれないと。
しかし、私のような
深堀りすればするほど沼にのめり込んでいくタイプのオタクには、たまらないものがありました。
考察大好きな血が騒ぐというものです。
ディズニープラスの配信を観ると、一部と二部の間に羽生選手のインタビューが入っていました。(ライブビューイングでも流れました)
そのインタを聞いて、ようやく羽生選手の意図することがはっきりと分かったという感じです。
わざと表現を曖昧にしている意図とは、
羽生選手の半生が軸となっている物語を、
見ている私たちの物語としても感じてもらいたいからだったんですね。
羽生選手も、私たちも、同じ人間なんだよと。
同じように傷ついて、同じように苦しんで、同じように頑張って乗り越えてきたんだよと。
そう伝えたかったんだな、と思いました。
言葉の分かりやすさと、内容の曖昧さ。
そういった相反するものが混在する、とても興味深いお話しです。
GIFTワールドへの探求
私の物語だ、と共感しながらGIFTを見返したら、
初見で見た印象とは全く違った世界が広がっていました。
これは、ちょっと驚きました。
ドームで見た時は、羽生選手の美しさだったり、かっこよさだったり、演出を楽しんでいたりしていただけだったものが、
そのインタを聴いた後からは、
それまで見えてなかった景色が見えるようになったというか。
演じられるプログラムひとつひとつの物語上での意味を考えながら見たり、
物語の主人公の気持ちを自分に置き換えたりして、
より深く「GIFT」の世界に入り込めるようになったように思います。
特に、夢に向かって一生懸命努力していた人にとっては刺さるんじゃないかな…。
私はどうだろう?こんなにも努力して、自分を超えるまで頑張った経験があるのだろうか?と
自問自答する良いきっかけにもなりました。
本当にこの物語に共感するためには、私はまだまだ努力が足らないかも…と、
悪い意味じゃなくて、もっと頑張らなきゃなぁと前向きな気持ちが芽生えてきました。
「夢」がこんなにもあったかくてキラキラしているんだったら、私もいつか追いかけてみたいなぁ。
と、少しだけ思ったのでした。
私にとっての帰る場所
先程触れたディズニープラスで見られる約20分のインタ、聴きごたえあります。
ディレイビューイングで初めて聴いたのですが、インタで泣きそうになりました。
そのインタを全部聴いたうえで、GIFTのラスト、羽生選手が言った言葉を反芻すると、また色んな感情がこみあげてきます。
生きていれば辛いことはたくさんあります。
嫌になって一歩も前に進めなくなったり、明日が来るのが怖くなったり。
私は夢に向かって全力投球した経験が乏しい人間ではありますが、
人生の中で辛くなった経験なら数えきれない程あります。
もちろん私だけじゃなく、誰もが当てはまることだと思います。
そんな中、自分が夢中になれるもの、見ている時は辛いことを忘れることができるもの…それが羽生選手のスケートなのです。
そう考えれば、このアイスショー「GIFT」が行われるよりもずっと前から、
羽生選手の平昌オリンピックの演技を見たその日から、
私にとって羽生選手のスケートが「帰る場所」でした。
彼を応援するたくさんの同志たちと共に、羽生選手のスケートを通じて泣いたり笑ったり。
平凡な私の人生が、ドキドキワクワクに満ち溢れて、毎日が彩り豊かになったのです。
そんなかけがえのない大切な記憶たちがずっと私の中に残っていて、
そのお陰で頑張れていることがたくさんあります。
悲しい時には癒され、落ち込んでいる時には鼓舞されて。
その記憶の中に今回の「GIFT」が新たに加わってくれたのだと感じています。
羽生選手のスケートはとっくの昔から私にとって「帰る場所」だったのですが、それは私が勝手に思っていたことなので、
今回、公式にご本人からお許しが出たのだと思っておきます笑。
いつでもここに帰ってきてくださいね、という
羽生選手の真心。
これも、羽生選手からの心のこもった贈り物でした。
純粋な心
今回の「GIFT」の物語を通じて特に感じたのは、羽生選手の純粋な心。
月や太陽、草花といった自然に対する想いだったり、夢にかける想いだったり。
子どもの頃の純粋な気持ちを忘れない方なんだなと。
大人になるにつれ、日々の忙しさのせいでどこかに置き忘れてきた気持ちというものを、呼び起こしてくれる気がしました。
私の中にも、羽生選手みたいな純粋で繊細な気持ちがあるはずだし、
その気持ちを忘れずにいたい、失くしたくないと思うのです。
悲しい現実、嘘にまみれた現実、辛い現実と向き合っていかなきゃいけない人生の中で、
「羽生結弦」が作り出してくれる世界は、
たとえ一瞬であっても、
幻だったとしても、
涙が出るほど美しいがゆえに、光り輝いて見えるのです。
そして、本来私の中にあったはずの光り輝く純粋な心は、
羽生選手のスケートを見るたびに、
私の中に帰ってきてくれるんです。
「ただいま」って。
「おかえりなさい」
願わくば、羽生選手にとっても、「GIFT」が帰れる場所になっていますように。
終わります。
この無駄に長くまとまりのない感想をここまで読んで下さった方々、本当にありがとうございました。
今回の「GIFT」、想像以上に大きな大きな贈り物だったので、いっぺんに受け取ることができず、
こうやって長々と書くことで整理整頓して、私の心の中の宝箱にきちんと入れることができた気がします。
さて。
思う存分書いてやっと気が済んだので、Notte Stellataの準備に取り掛かります(もう明日から始まります!ギリギリ間に合った)。
職場の上司の嫌な攻撃に日々耐えに耐え、やっと仙台に行ける日を迎えることができそうですーー!
楽しみです!
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