真っ暗な先に見えるもの【「職業 羽生結弦の矜持」感想】
心の傷を思い出す
先日放送のあったNNNドキュメント「職業 羽生結弦の矜持」。
僅か30分という短い時間ながら、凄まじく内容の濃い番組でした。
プロ転向してからの羽生選手の取材がメインでしたが、
合間にソチ、平昌、そして北京オリンピックでの彼の功績を紹介してくれているので、彼がどんな流れでアマチュアからプロになっていったのかが非常に分かりやすく、一般視聴者にも伝わりやすい構成だったのではないでしょうか。
分かりやすいけれど、羽生選手のファンである私にとっては見ていて胸が痛くなるような、自然と涙が出てきてしまうような、そんな映像が多く流れました。
「心に消せない傷もあった」というナレーションの後、北京のSP「序奏とロンド・カプリチオーソ」の映像が流れます。
最初に予定していた4回転サルコウが失敗だったために、オリンピック三連覇の夢が断たれた瞬間の映像です。
続いて、4回転アクセルに挑戦したFS「天と地と」の演技映像、そしてその演技後にあったインタビュー映像が流れました。
涙を流すまいとカメラに背を向ける羽生選手の背中。
震える声で「報われない努力だったかもしれない」と語った姿。
家のTVに録画はしてあるけれどあれからずっと見返せていない映像たち。
久しぶりにそれを観た私は、当時のことを思い出してとても切ない気持ちになりました。
ずっと目標に掲げていた4Aの成功。
周囲から「羽生結弦なら跳べる」と期待され
その期待に応えようと限界まで努力して
数々の不運に見舞われながらも
北京オリンピックという大舞台で
4Aに挑戦してくれた。
有言実行してくれた。
だからこそ、報われてほしかった。
世界で一番報われるべき人だと信じていました。
なのに、現実は残酷で。
たった1人きりのキスクラで静かに結果を受け止めて、
悔しさを押し殺して去っていく背中が悲しかった。
だけど、その後も羽生選手の人気は衰えるどころかますます過熱していきました。
多くのファンは、金メダルを取る羽生選手が好きだったのではなくて、
羽生選手のスケートそのものや人間性を支持していたからです。
人気というのは結果や数字だけで作れるものではないということが、北京での一件を通してよく分かりました。
叶わなかった夢が詰まったプログラム
プロ転向後1年が経った羽生選手のインタビューが流れました。
北京での出来事について、恩師に「こんなに報われた選手はいない」と言われたという羽生選手。
この恩師とは、都築先生のことですね。
今の羽生選手は北京の出来事をそんな風に捉えてるんだ、と思いました。
「これから報われるようにしないとな」
もう終わったことにしない。
諦めてない。
これから報われるように、努力すると。
その羽生選手の言葉があまりに有言実行すぎて、私は鳥肌が立ちました。
羽生選手はプロ転向してから、落とし物を拾うようにして
納得のいかなかったであろうプログラムたちを私たちの目の前で綺麗に昇華していってくれました。
「ロンカプ」は「GIFT」でノーミスの演技を私たちの前で見せてくれました。
(NNNドキュメントの番組内でもその時の「ロンカプ」の映像を流してくれました。あの素晴らしく綺麗な4Sを地上波で流してくれましたね。それが嬉しかったです。)
それから2014年GPS中国杯で苦い思い出のある「オペラ座の怪人」も、「GIFT」や「SOI」で再演して、完璧な演技を見せてくれました。
応援して、一緒に戦って、一緒に涙してきたファンたちの辛い記憶を、羽生選手は自らのスケートによって美しい記憶に塗り替えていってくれたのです。
叶わなかった夢が詰まったプログラムたちが、報われるように。
ここまで有言実行できるのは、よほどの強い決意がないと無理です。
ほんとうに…変わってない。
有言実行するところは、競技者時代と何も変わってないですよね。
自分の人気に胡座をかかない姿勢が素晴らしいんです。
そういう人だからこそ、北京の後もプロ転向後も着実にファンを増やしているのだと思います。
ただただ、尊敬します。
これからも羽生選手が報われ続けますようにと、願わずにはいられない。
涙をこらえるあの悲しい背中はもう見たくないです。
「素材」としての自分
プロ転向後1年経ったとき、彼に変化が現れたのだそうです。
それは、ただ結果を出せば良かった競技者時代の意識とは違って、
支えてくれる周りの人達のために「素材」としての自分を磨くということ。
西川のCMの撮影風景が流れます。
可愛い寝ぐせのついた羽生選手が、すっかり撮影に慣れた様子で演技していました。
色んなCMに引っ張りだこな羽生選手ですので、もう軽い演技はお手のものといった感じです。
それに、眼鏡姿で撮影してるシーンがサラっと映っていたけど、私にとってはとんでもない爆弾が投下されたのと同じでした。
ビジュアルが良すぎて直視できなかったです笑。
眼鏡姿は私の好みどストライクなので心に刺さりまくりました…。
羽生選手の美貌は年々美しさを増していっていますよね。
経験を積み重ね歳を経る毎に深まる人間的な魅力が、外見にも現れているんだと思います。
なんとCM撮影を8時間撮った後に、スケートの練習に行くのだそう。
「滑らないと劣化していく」という言葉が重かったです。
皆に見せたい「羽生結弦」でいるためには、練習を続けないと維持できないのでしょう。
年齢による身体の劣化に抗う努力をひたすら続けている彼。
いつか四回転が跳べなくなる日が来ることを、
スケートができなくなる日が来ることを、
ちゃんと分かった上で抗い続ける。
彼のアスリートとしての情熱が伝わってきます。
「今が一番上手い」を維持していくことが、彼にとっての矜持なのかなと思いました。
そこで私もふと思いました。
あと何年、羽生選手のスケートを見ることが出来るだろう?
あと何回、アイスショーを見るために現地に行けるだろう?
壮絶な練習
競技時代と変わらない緊張感で、たった一人で延々と練習する姿がTVで流れました。
アイスショーを想定した練習ということで、少しのインターバルを挟みながら次々とプログラムを滑っていく姿に、単独アイスショーの舞台裏を見た気がしました。
たった一人で複数のプログラムを滑り切るというのは、なんと過酷なことなのだろう。
二時間近くも羽生選手の演技を見ていられるという贅沢な単独アイスショーは、彼のストイックすぎる鍛錬の上に成り立っているのだと改めて理解しました。
ひとつひとつのプログラムを全力で滑り切った後、リンクから降りた羽生選手の体力が徐々に消耗し身体が衰弱していっているのが見ていて分かりました。
私はその姿を見て、あまりにも壮絶な光景に息を吞み、胸が詰まりました。
特に「楽しい…楽しい…」とうわ言のように呟きながら彼が靴紐を結ぶシーンなど、
「GIFT」の「阿修羅ちゃん」が始まる前の語り部分を思い出して、少し背筋が寒くなる思いがしました。
辛い時ほどポジティブな言葉を発して自分を鼓舞する。
その裏に秘められた心の葛藤。
この流れで「阿修羅ちゃん」に突入していく「GIFT」の物語を思い出しながら、
4回転を跳びまくる羽生選手の「孤独」で「孤高」の姿を、TV越しにただじっと見つめていました。
まるで、
広いリンクの上に独り、
ただひたすら何かと戦い続ける阿修羅の姿を見ているようでした。
矛盾した気持ち
そんな姿を見ていたら、これ以上「頑張って」などと軽々しく言っていいのだろうか?という気持ちになってきます。
いつ怪我するかも分からない、
そんなギリギリの状態の中で練習しないといけない辛さ。
他の誰も理解できない、羽生選手の孤独。
私なんぞが想像することも憚られる。
寄り添う事すら出来ない。
そう思います。
でも…。
興味が尽きない。
無関心ではいられない。
どうしようもなく、惹かれてやまない。
あんなに激しく苦しい練習をしている姿を目の当たりにしても、
まだ羽生選手のスケートが見たいと思ってしまう。
1年でも、一ヶ月でも、1日でも長く、
スケートを続けてほしいと思ってしまいます。
「職業 羽生結弦」として
表現したいこと。
それを実現するために
氷の上で阿修羅のように練習する羽生選手の姿を見て、
あのスケートが見られるうちは、私も全力で応援したい。
今の羽生選手を少しでも長くこの目に焼き付けていたい。
彼と彼のプログラムたちが報われる瞬間を、ひとつでも多く見たい。
と思ってしまいます。どうしても。
きっとこれからも、彼の身体を心配しつつも綺麗な4回転ジャンプを見たい、ノーミスが見たいなどと
矛盾した想いを抱えながら、ファンを続けていくんだろうな。
私が彼の心配なんてしたところで何にもならないし、余計なことだと頭では分かっているんですけどね。
心配と期待を繰り返し、同じところをぐるぐる回りながら、
結局は彼を応援し続けるのでしょう。
ファンを辞めるとか辞めないとか、そんな意識にすらならない。
無意識に、彼の姿を目で追ってしまうんです。
不思議ですね。
きっとそれだけ、私の目には「羽生結弦」が魅力的に映っているんだと思います。
真っ暗な先に見えるもの
番組の終わりに羽生選手が語っていた言葉。
この言葉を聞いて私は、NHKの番組「おげんさんのサブスク堂」に羽生選手が出演した時のことを思い出しました。
「これからのゆづは?」との問いに、この時も羽生選手は「先のことは不安だらけだけど可能性が無限大ってこと」と答えていたのです。
それに対する星野源さんの言葉がとても素晴らしくて。
エンタメ界における先輩である星野源さんの言葉は、
前人未踏の地を歩み続ける羽生選手の行く先をスッと明るく照らしてくれたように私は感じました。
やはり星野源さんご自身の経験に基づいているお話なのでしょうか。
だとしたら、含蓄に富んでいて味わい深いお話ですね。
「誰も行っていない島に独りで降り立っている」という表現がとても好きです。
まとめ
「職業 羽生結弦の矜持」を見終わって一番強く思ったのは、
推しは推せる時に推せ
ということ。
私のこの熱い熱量があとどのくらい続くのか、それは正直言って分かりません。
だけど、
番組をきっかけに過去から今までの色々な出来事や自分の気持ちを思い返してみても、
羽生選手を応援したいという気持ちが全く揺らぐことなく、
むしろ年々深まっていることに気付かされました。
私の身内以外で、
こんなにも「幸せでいてほしい」「報われて欲しい」と思える人は他にいないから。
だからきっと、
10年後も私は、
羽生選手の人生をまるごと応援していると思います。
その時彼がスケートを辞めていたとしても。
例え今の「職業 羽生結弦」の矜持が変わっていたとしても、です。
熱はとろ火になっているかもしれない。
いや、逆にもっと強火になっているかもしれない。
熱量の程度がどうなっているかは不明です。
だからこそ、
「今」の私の熱量を大切にしたい。
いつまで続くか分からない、期間限定かもしれない羽生選手の美しいスケートを見るための努力を惜しまずにいたい。
最大限の努力で「羽生結弦」を見せてくれる彼に感謝して、
私は私なりに最大限の応援をしていきたいな、と改めて思いました。
彼の無限大の可能性を見守っていきたいです。
星野源さんの言葉にもあるように、
端の端にいる私にも、羽生選手の未来が見えるような気がするのです。
真っ暗な先にはきっと、
明るい未来が待っている。
私はそう固く信じています。
終わります。
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