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夕景のなか、太陽の塔

 父の四十九日で、息子と三井寺(滋賀県大津市)まででかけた。神戸空港からレンタカーで中国自動車道、吹田ジャンクションの手前まできた。道がずいぶんと混んでいて法事に間に合うか少し心配になってきた。
「ほら、太陽の塔。ほら、あそこ」
 そう息子が言うのでそちらを見ると、朝の澄んだ光に包まれて太陽の塔が私をじっと見つめていた。
 EXPO'70 大阪万博が開催されたのは今から50年ほど前のことだ。
 私は高校1年生、夫は中学3年生だった。
そのころ、私はいつも自室に籠って一人で過ごしていた。
 が、彼は私とは違いごく普通の中学男子だった。離島に育った彼のささやかな楽しみはこつこつと小遣いを貯めて夏休みに一人旅をすることだ。
 1970年の夏休み、その夏、万博に行くということが彼にとってどれだけ大きなことだっただろう。そのときの思い出がきらきらと今も消えずに残っていた。
 ただ、その思い出の奥深くに、ある出来事がある種の薄い染みをつくっていた。それを私に話すとき彼の顔にはいつも微かに影がさした。
 その当時、もう百円札を見かけることはあまりなくなっていた。
 こつこつと貯めた旅行資金だもの。当然、彼の手持ちのお金の中によく使い込まれた百円札はあった。
 太陽と人いきれでむせ返る会場で、彼はソフトクリームの出店で順番を待った。
「はい、どうぞ、百円です」 きれいなお姉さんがにっこり微笑んでソフトクリームを差し出した。
 彼は何の躊躇なくポケットから百円札を取り出した。
 クスクス、お姉さんが笑った。
そのとき、甘い香りに包まれていたソフトクリームが急に惨めな物になった。彼は無言でそれを食べた。
「ソフトクリーム売りのお姉さんが笑ったのって、あなたが考えているような深い意味なんてないのよ」
 私が何度そう言っても、彼に私の言葉は通じなかった。
女って、なんの意味もなく笑ったりするものだ。
 法事が無事終わってから、三井寺からすぐ近くにある姪の家に皆が集まり夕方まで過ごした。
 帰り際、5歳違いの兄が遠く離れている妹の車が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
 あたりは薄暗くなりはじめていた。
吹田ジャンクションが近づくと、私に「さよなら」をする太陽の塔が見えてきた。
 太陽の塔は夕景のなかでも太陽の光のきらめきを纏い、黄金の目を真っ直ぐ私に向けていた。
 車が太陽の塔を追い越していくと、太陽の塔はその身を夕景に染めながら横向きになり黒いシルエットになった。
 うつむき加減で、すこし背を曲げた太陽の塔はとても静かだった。
 私も太陽の塔も目をつぶる。その静けさのなかに私は私が今まで歩いてきた人生のかすかな息遣いを聞くように思えた。
 神戸空港、 FLIGHT  "SKY147”、 DEP.TIME  "19:45"、 SEAT  WINDOW
高度を上げていく機上の窓から外を眺めると、そこには空も大地も同じ暗闇が広がっていた。
 暗んだ夜気のなかで、町の灯がきらきら光っている。まるで夜空の星のようだ。
あっ! 一等星。
 太陽の塔の黄金の目がサーチライトのようにキラリと光った。

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