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過去の思い出。

さて今回は私が今まで共に過ごしてきたペット達を紹介したい。
思い入れのある記憶を掘り返すという非常に高いハードルに挑んでみる。
今日の今まで振り返りをためらっていたが、過去を振り返るちょうどいい機会だと思う。

ハムスターのゆめちゃん

ハムスターの「ゆめちゃん」は私が何歳の頃だろう。
確かまだ小学校へ通う前だったかと記憶している。
実は私は過去にハムスターと共に過ごした経験があった。
まだ小さかった事もあり、ぶっちゃけ記憶にはあまり刻まれていない。
ただ、グレーの小さな小さな可愛いハムスターだった事と、亡くなってしまった時の悲しみははっきり覚えている。
一緒に過ごした命は僅か数ヶ月だったと、つい先日母から聞いた。
ある日外食から帰ってくると、気持ちよく眠っているかの様に目を閉じて動かなかった。
当時幼かった私には衝撃的すぎる出来事だった。
悲しむ姉と一緒に「ゆめの墓」と木板に書き、父方のおばあちゃん家の裏に埋めた。
なぜか、いつまでも綺麗なお墓であると思い込んでいた為、時折り訪れるにつれ、お墓の周りに草が茂り、木板がボロボロになっていく事に怒りを覚えた。
いずれは、猫に荒らされたのか、雨で流れたのか、風で飛んだのか。ゆめの墓が跡形もなく無くなっていたのだ。

あの時感じた感覚は、喪失感というものなのだろう。「もっと来てやれば良かった」「草が茂ってる!」と姉に伝えれば良かった。どれもこれも遅いものだ。
共に過ごした時間よりも、亡くなったことによる出来事の方が刻まれている。
しかし今現場にいけばピンポイントで手を合わせられるレベルでお墓の場所は記憶している。それ程までに、命の尊さに気づかされた。
一言では表せない、大切であり不思議でもある感情を教えてくれたのが「ゆめちゃん」だった。
ありがとう。

亀の くみ、ようすけ

亀の生命力には驚かされた。
亀について一言発信するのであれば、
"小、中学生そこらの姉弟には確実に飼育できない"という事。
無理に決まっている。
亀は触れ合って生活するというよりも鑑賞して癒されるような動物と思っている。幼い少年少女に鑑賞の価値、亀の生命力の価値に気付けるはずが無い。
もちろん小中学生でも大切に育てられる子供も多い筈だが、私にはそう当てはまらず、身に染みて感じた感覚なのでこのように発言している。
名前は相変わらずセンスがなく、「くみ」と「ようすけ」。小学生らしいネーミングセンスだと思えば可愛いものだ。

当時小学生だった私は亀に興味津々で親と姉とでよく世話をした。餌をあげたり、水替えが楽しかった。
一度真冬に水槽ごと亀が凍ってしまった事がある。
焦った親はヒーターの前に水槽を置いた。
衝撃的だった。なんと水が解けたと共に亀も解凍され、元気に動いたのだ。
何という生命力…
そんな亀は弟である私の部屋のベランダで飼育をしていた。
どうやら当時中学生の姉は弟側で飼育している事が納得いかず、自分の部屋のベランダに置きたいと言い出したのだ。
姉が亀を世話する訳がない。と分かりきっていたが、気の弱かった弟(私)は姉のベランダに亀を譲る事にした。
無論、私も亀への興味が薄れていたのは事実の他ない。
月日が経ち、姉弟揃って長い期間、亀の事を見て見ぬフリをしていた。
母から何度も何度も告げられた「川に返してあげなさい。」もっと早く母の言う事を聞いていれば良かった。
夏の酷暑の中、水を変えていなかったのだ。もちろん水は干からびる。
それは酷いものだった。亡くなっていた。という表現でいいのだろうか。
そんな訳ない。間違いなく死なせてしまったのだ。
申し訳ない。ごめんなさい。
今思い返すと…ではない。あの時、あの瞬間にしっかりと反省した。それは姉も同じであろう。
近くの水辺へ返す時の罪悪感は二度と感じたくはない。
本当にごめんなさい。

愛犬イヴちゃん

ここから先はかなり月日が経つ。

私が中学生の時にやってきたのはミニチュアダックスフンドの「イヴちゃん」だ。紛れもなく愛犬だ。
クリスマスイヴにやって来たからと言う理由で「イヴ」と名付けた。黒毛に茶色(タンと言うのか?)の模様が入ったワンコ。癖毛が愛くるしかった。
当時全力を注いでいたサッカーをやっていて、ハットトリックを達成すれば好きなものを何でも買ってあげると言う母親の言葉に甘え、母親が一番苦手とする犬をねだったのだ。
なぜ母はその時に犬を家に迎える事を許してくれたのか。
今思い返せば、当時の我が家の雰囲気ではそれぞれが共通して理解できる事だ。
当時は既に母親1人で子2人を育ててくれていた。
言う事を1つも聞かない姉弟に対し、母親は勇気を出してくれたのであろう。

それからイヴと過ごした日々は他に変えられないかけがえの無い日々となった。
中学生当時の私は背も低く自分の意見を前面に出せるタイプでは無かったので、友達の中でも威張れるような存在では無かった。故に友人と格好をつけながら背伸びをして過ごす日々よりもイヴと過ごす日々の方が豊かに感じていた。
とは言え、サッカーに明け暮れ、友人との背伸びをした遊びにも精を尽くした私の思い出はかけがえのない宝だった事は間違いない。

イヴとの思い出を数え出せばキリがない。
何度も喧嘩をし、事あるごとに相談をした愛犬のイヴ。
思春期の私には邪魔に感じる日もあったのはここだけの話だ。
今でも何がそこまで気持ちを騒がせてるのかは分からないが、確かな存在だった事に違いがない。
いつも心の拠り所だった。
家族で喧嘩をしている時も、常に側にはイヴが居た。
恥ずかしい話だが、親に泣かされた時にはイヴに涙を拭ってもらう為にイヴを頼った日もあった。
そんなイヴの死は、家族の死。まさにそのものだった。

あの日の朝はイヴは元気だった。
姉が体調を崩し(細かな事は割愛)、回復したところで一族揃って食事をしていた。
私はその後当時付き合っていた彼女の家に帰ろうとしていたが、母親から1通LINEが届いたのだ。
「イヴの様子がおかしい」と。
時に、イヴば体調を崩す犬だった。
ただその時の母からのLINEは何かが違った。言葉遣いや、文が違った訳でもなかったが、何故かすぐに察した。
そこから先はどう動いたかははっきり覚えていない。
中古のオンボロの軽自動車で玉造の動物病院に向かったのは覚えている。
思い出したくも無い光景。
思い出したくも無い言葉を獣医に告げられる。
その場で決断できる話ではなかった。
だが、その場で決断する必要があった。
震えが止まらなかった。現実を受け入れる事ができなかった。
なぜあんなに元気だったイヴがあと数時間の命と言われるのかが理解できない。
私の震えが止まらない以上に、イヴが震えていた。
呼吸もままならないイヴだ。
あんなに辛そうなイヴを見ていられなかった。

家に連れ帰る事にした。
治療は現実的では無い。何とも言えない判断だ。
言葉が通じないとはこんなに辛いものなのか。
果たしてその時のイヴに延命治療の意思はあったのか。
もう限界だ。と訴えていたのか。
今も分からないままだ。
辛かった。今も辛い。イヴも辛かったんだろう。
それぞれの乗っていた車で実家に戻った。
姉は少し遅れて来た。
イヴば限界だった。姉の到着を待って息を引き取った。
イヴも最期は家族揃っていたかったのだろう。

それ以上でも無く、それ以下でも無い。
それがイヴの生涯だ。クリスマスイヴにやってきて、クリスマスの翌日に目を閉じた。なんともおしゃれな日を選んだ。
あっけがないように感じた。
でもそうでは無い。確かなモノを残してくれた存在だ。
大好きだ。今でも私の心の中の大事な一つだ。
もう一度、大好きだ。とあのクリクリした目にそう伝えたい。
こんな事なら、1秒でも長く時間を持てばよかった。
やはり後悔というモノは先に立ってはくれない。
改めて痛感した。
イヴは優しかった。私自身も人に優しく。と言う事を意識し始めたキッカケだ。
家族が今でも仲がいいのはイヴのお陰でもあるだろう。
本当に大切な存在だった。
これ以上は記憶を遡れそうにない。メンタルが持たない。

目がくりくりで毛は癖毛だった。

手元に来てからお別れまでがペット。
儚い存在だが、これ程までに大切に思える存在は、共に過ごした時間がより濃かったからだ。

少し重い記事となった。
しかしこれから過ごすきんちゃくにそれ程までの荷を担がせる訳では無い。
きんちゃくは夜行性であり短命だ。共に過ごす時間が短い事は十分に覚悟をしている。
きんちゃくが先に別れを告げる可能性の方が大いに高い。
きんちゃくは私に世話してくれなんて頼んではいない。
私が愛着を持ちたいが為に都合よく迎えたのだ。
あくまでも与え合う関係。いわゆるwin-winの関係を目指していきたい。

メモ
きんちゃく。私の指は餌では無い。
噛まないでおくれ。

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