ブリーチとドブネズミ

思い出すと胸がぎゅっとなるような学生生活だった。

ファッションにもともと興味があり、中学2年のとき、当時あったスプレー式のブリーチで髪を脱色した。
共働きしている両親の帰りは遅く、特にタイミングを計る必要もなかった。
マダラ柄に抜けた髪の色、垢抜けたように見える自分を見て猛烈に興奮した。
帰宅した両親は一瞬だけ驚いてはいたが、「やったなぁ…」と普通の家庭では考えられないほどの寛容な対応だった。
今思えば、自営業を始め、忙しく過ごしている中そんな事にいちいち構ってられなかったのかもしれない。

その週には同じ中学の一つ上の先輩、女不良グループのリーダー柿田に声を掛けられた。

「お前、大山か。調子乗っとるらしいな」

私は呆気に取られたが好意的ではないことはすぐにわかった。
柿田は柔道部、体格も良く、茶髪にピアスに下着の見えそうなくらい短いスカートにルーズソックス。おまけに舎弟のような同級生を引き連れていた。

「調子乗ってません」
そう答えるほかなかった。

「明日黒く染めてこんとボコボコにするでな」

そう言い柿田たちは、女子学生特有の耳をつん裂くような嫌な高笑いをしながら去って行った。
一緒に下校中だった親友の千夏は家庭環境が悪かったためか、スレた目つきをしており同時に目をつけられたが「ほっときゃええが」と柿田たちの背中を睨んでいた。
千夏の手前もあり、私もせっかく染めた茶髪を黒髪に戻すつもりはなかった。


翌日、下校中に待ち伏せされ、本当にボコボコにされた。
倍近くありそうな力で首をキメられ、殴られ、何度も蹴られ、踏みつけられ、口の中が血だらけになった。
「謝れ!謝れ!」と何度も言われたが、恐怖と痛みで声を出す力すらすらなかった。
血にまみれた口の中に砂利を入れられ、奥歯でその砂利をすり潰すような感覚を今でも年に1度程度思い出すが、その都度柿田が今この瞬間、明日も明後日もティースプーン一杯分程の不幸が、毎日きちんと降り注ぐことをひたすらに願ってしまう。

顔や身体の傷や、増えていくピアスを見るたび、母は「もうやめよう」と言ったが、言われれば言われる程ピアスホールを増やした。
とても情けないが、構ってほしかったのかもしれない。自分を見てくれているか、確認していたのかもしれない。やはり少し可哀想なやつだ。
古い平家の借家、襖一枚隔てた所で母と私は隣り合わせで就寝していた。母は毎夜寝ている私の隣に来て、頭を撫でて「いい子だよ、あなたはいい子だよ」とひたすらに唱えていた。眠れない程苦悩させてしまっていることも知らず、私は背中を向けて寝たふりをしながら、母の愛を拒絶していた。

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