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一番酷かった時のこと

統合失調症だと気づいた時。

特例子会社に入社して3ヶ月頃のことでした

最初は隣の席の同僚の幻聴が聞こえ、睡眠がとれなくなった事から始まります。

朝4時に目が覚め、大体3~4時間しか眠れず、食事も殆ど取れず、酷い頭痛が収まりませんでした。

その為、イヤーマフをつけて会社で仕事をさせて貰っていました。

はっきりおかしいと気づいたのは、幻聴と会話が出来た時。

それが1人、2人と増え、最終的に3人になりました。

当時の旦那さんが、統合失調症だとインターネットを検索して気付き、家族も呼んで病院に行くことになりました。

その時には目を開けれず、電車に乗れず、イヤホンをしなくては外に出れない状態でした。介助してもらい、タクシーで病院先に行くことになります。

その場で統合失調症だと診断されます。

入院は、旦那さんが見てくれることになった為、しませんでした。

いま思うと、本当に迷惑をかけたと思います。

外に出ると、電車や車の音で耳がキンキンするので、常にイヤーマフと耳栓をして外出していました。

24時間聞こえる幻聴の声も、途中から天からの声に変わり、振り回され、食事やトイレも幻聴に制限されました

文字は読めず、記憶力も無く、会話も殆ど出来ず、独り言を言い、妄想に支配された状態が5ヶ月続きました。

ですがその間は3食自炊は続けられていたので不思議です。

それから5ヶ月後に、3人の声と天からの声がなくなり、自分の声が反映される幻聴に変わりました。

2ヶ月間ぶり返し、幻聴で外に出れなかったのですが、それ以降からは普通に生活できるようになりました

今現在は、自分の声が反映される幻聴がうっすら聞こえるのと、たまに妄想症状がでる位の症状で落ち着いています

最多で20錠以上あった薬も、今は6錠です

とは言え、まだ発祥してから2年も経っておらず、まだまだ回復までには時間がかかりそうです。

旦那さんには、本当に感謝しています

私は、統合失調症と診断された時、旦那さんに泣いて別れようと言いました

この先迷惑をかけてしまうだろうし、この人を幸せにできない、不幸にさせてしまうと思ったからです

正社員として就職して、結婚も決まっていましたが、病気でもう何もかも終わりだと思っていました

東北の実家に帰り、そこから再スタートしようと思っていました

しかし、旦那さんは、別れないと言ってくれました

今は恩返しがしたくて、旦那さんを幸せにするために、私自身が健康になることで旦那さんを幸せにしようと思っています

そして、金銭的にも精神的にも支えてくれた両親も、大切にしたいです

統合失調症になってから、人生が不思議と好転し、生きている事が幸せに思います

ご飯を美味しく食べれるし、毎日眠れるし、本も読めるし、文字も書けるし、人と話すこともできるし、こうやってnoteで色々な人の記事を読んだり、発信したりできるし、人の気持ちや物事もわかるようになりました。結婚もしたし、家族がとても大切です。

そして、支えてくれた人達の為に生きるという目標が出来ました

少し考えがそれてしまっても、この事を思い出すと、生きようと思えます

だけど、いつまた再発するか分からないし、この病気の人は平均寿命よりも寿命は短いと言います

活動する時間を増やしたり、睡眠時間を減らしたら、すぐに再発する程脳が脆いです

それでも、生きられる所まで生きたい。

旦那さんと老人になるまで一緒に居て恩返ししたいし、両親に幸せに生きている所を見せて安心させてあげたい

周りの為にも自分の為にも、自分のできる事をできる範囲でして、私を生きたい

その繰り返しの中で、幸せを見つけて行きたいです