母親になった私へ

2023年の2月末、妊娠が発覚した。
結婚式から1週間が経った頃だった。

毎月生理が来る度に落ち込んでいた私は、
初めて見る妊娠検査キットの2本線(陽性反応)に
声も出ないほどの喜びと驚きが湧き上がった。

リビングのソファーで横になっていた夫に
結果を伝えると、予想に反して
「喜ぶのはまだ早いよ!産院で見てもらって
確定できてから!そしたらたくさん喜ぼう!」
と言う冷静な言葉が返って来たのを覚えている。

その時は 嬉しくないのかな? と不安になったが
後日産院で胎嚢が見えて「妊娠してますね^^」と
言われたのを伝えた時、嬉しそうな顔をした夫を
見てホッとした。

きっと最初冷静だったのは、冒頭に書いたように
生理が来る度に落ち込んでいた私を一番近くで
見ていたから。
期待して万が一悲しい結果だった時に
落胆しないようにだったんだろうな。と、
今の私には分かる。

私たち夫婦にとって念願の我が子。

これからの妊娠生活、そして出産後の育児が
楽しみで仕方なかった。


しかし、3月。妊娠6週目に突入して開始した
つわりは想像を絶するほど辛いものだった。

楽しみだった妊婦健診も億劫で、
仕事には行けず、
家の中にいても気持ち悪くて、
やっと母子手帳が貰える日も
しんどくてしんどくて、
何一つ楽しめない日々に絶望した。

つわりが終わったのは安定期に入った頃。

約3ヶ月の地獄に耐えたあとの日々は
何気ないことも楽しくて
再び私の心は晴れたが、
そんな浮かれた日々は束の間

妊娠後期に突入して、逆流性食道炎や
お腹の張りなど、またしんどく不安な日々が続き
仕事もままならなくなり、
行っても迷惑、行かなくても迷惑を掛けているようで
役立たずな自分に失望した。

仕事中、頻繁にお腹が張り切迫早産を心配して
休む私に「命には変えられないよ」と
先輩が言ってくれたのが救いになった。

性別はなかなか判明しなかった。

「そろそろ性別が分かる頃」と産院に言われた日から
随分と時間が経ち、早く知りたくて仕方なかった。

男の子がいい。女の子がいい。
と言う希望は無かったが、
お腹にいる子がどちらなのか分かるだけで
まだ見ぬ我が子との距離がぐっと縮むようで
今日こそは!今日こそは!と妊婦健診の度に
ソワソワしていた。

性別が分かったのは夜勤明けの妊婦健診の日。
妊娠8ヶ月の頃だった。

その日は仕事から家に帰るまでの道のりで
虹が見えて、今日は性別が分かりそうな気がした
のを今でもハッキリ覚えている。

家に着いて、お風呂に入って
夜勤明けの眠たい眼を擦りながら
産院へ行った。

いつものように経腹エコーをしてもらうが
今日もお股は見えないとのこと。

「赤ちゃん動くかもしれないから
一旦お顔の方を見てみようか」

と先生が言ってくれて、
画面に顔の部分が映し出されるが、
お顔も手で隠していて見えず。

その最中、胎動はあったので
今のうちに体勢変えてくれないかなと
私は心の中で願っていた。

少し粘ってもお顔は見えなかったので
先生が最後にリベンジで赤ちゃんのお股の方へ
エコーの機会を移動させてくれた。

私があまり期待しすぎないようにしていると
「あ、男の子ですね」
案外ポロッと先生の口から出た性別

「え?分かったんですか?」

思わず聞き返したのは言わずもがな。

その時の感情は
男の子か女の子かだったことより
分かったことへの驚きの方が大きかった。

家に帰って夫に報告してやっと実感が沸いた。

今お腹の中にいるのは男の子なんだ
私は男の子のお母さんになるんだ

そう思った瞬間、更に我が子が愛おしくなった


ベビーグッズを集めるのは楽しかった
特に洋服集めは私の1番の楽しみで、
すぐにサイズアウトすると分かっていながら
可愛い服をどんどん手に取っては、
それを着ている我が子を想像し胸が弾んだ。


出産への恐怖は多少あったが、
不思議と、何とかなるか。くらいの心持ち。

多分つわりがきつすぎて、
少し強くなったんだと思う。

そうして迎えた出産予定日

お昼頃から微弱陣痛が開始したが、
その時はソワソワ半分、ワクワク半分

しかし、夜になると打って変わって
激しい痛みに出産への恐怖しか感じられず
夜な夜な産院へ行き「高位破水をしている」と
告げられた時は焦りと不安で更に怖くなった。

ウチに帰りたい

と思ったところで、陣痛はやまない。
産むまで終わらない痛み。

怖くて怖くて仕方なくて、
痛くて痛くて、助産師さんに弱音ばかり吐いた夜。

翌朝、人工破水と来て促進剤投与

想像を絶する痛みは、
産んだ今でも表現し難い。

それほど経験することの無い、
苦しみと、痛みだった。

ようやく産まれた我が子は、
可愛くて仕方なかった。

分娩台の上でおくるみに包まれた我が子を抱いて、
自分の人差し指を手のひらに置くと、
モミジのような小さな小さな手で
ぎゅーっと強く握り返してくれた我が子に
言葉にしようのない、
愛おしいでは足りないほどの感情が生まれた。

この子を何があっても守ると誓った瞬間だった。

その日は産後ハイで一睡も出来なかった。

翌日から母子同室となり
初めての育児が始まった


つわり、出産

想像を絶する痛みと苦しみに耐えた私に
怖いものはない。自分は最強になった。
そんな気でいたが、
育児は当然甘くない。

つわりも出産も、母になるための準備段階に
過ぎなかった。

儚く小さい。でも自分の命よりも重い
我が子を育てるのは簡単ではない。

覚悟はしていたつもりだったが、
経験しないと分からない大変さ、孤独さを味わい
夢見た赤ちゃんとの笑顔に溢れた日々とは程遠い
暗い顔をして過ごすことになった。

そんな自分に落胆した。
誰よりも愛おしく思っているのに
気持ちの余裕がなく、神経質になるあまり
真顔で淡々とお世話をする自分が情けなかった。

生後3週間で完全ミルクとなったことも、
私の気持ちを沈ませる原因の一つとなった。

赤ちゃんと一緒に自分も泣いてばかりの日々だった。

自分なりに一生懸命だった。
それでもこんなんじゃダメだと自分を責め続けた。

そんな自分を救ってくれたのは、
キャンドル教室の先生だった。

産後2ヶ月が経ち、初めてのひとり時間

夫に息子を預けた私は、
以前から通っていたキャンドル教室へ
息抜きに行くことにした。

先生は2児のママさんでもあるため、
今の自分の心境をありのままに話した。

ネガティブな話がほとんどだった。

でも驚いたことに、
先生は私の気持ちにすごく共感してくれた。


「分かるー!私もそうだった。懐かし〜!」


私が話し終えた後の第一声に
パァーっと光が差した。

先生も今の自分と同じ感情を
持っていた頃があったんだ。

でもいつか、懐かしめる日が来るんだ。

と、希望が持てた。


それ以降も何度も育児の壁にぶつかったが、
以前のように泣くことも減っていった。

そうして息子との関わり方が分かっていくうちに
息子が私の顔を見て笑うようになった。

生後2ヶ月後半
新生児微笑とは違う微笑みだった。

その時初めて、「私はこの子のお母さんなんだ」
と実感した。

妊娠していきなり母の自覚は持てなかった。
出産しても、我が子を守るために必死だったけど
自分が母だと意識することがなかった日々。

そりゃそうだよね。

我が子が認めてくれて、初めて
私はあなたの母になれる。

お母さんにしてくれてありがとう。

「ありがとうね」

その言葉を口にした瞬間、
涙が溢れた

母になった私へ

あなたは今、
慣れない育児に奮闘していることでしょう。

夫や母や妹の方が、我が子に対して
優しい言葉をかけているのを見て
自分は何も言葉を掛けてあげられない。
と落ち込んでいることでしょう。

それだけ必死なんだよね。
可愛がることよりも先に、命を守ること
我が子を理解することに必死なんだよね。

どうして泣いているんだろう?
どうして眠れないんだろう?
どうしてミルクを飲まないんだろう?
暑いのかな?寒いのかな?

やっと寝付いたと思っても
毛布が顔にかかってないか心配で
ゴソっと布擦れの音がする度に目が覚めて確認して

神経質になっちゃうよね
だって誰よりも愛おしいんだもん。

大丈夫。

先生のように、
あなたの今の日々を懐かしめる日は来る。

意識しなくても自然と
「可愛いね」「すごいね」「えらいね」「よしよし」
と言える日が来る。

今の私の目の前にいる我が子は
あなたのおかげですくすくと成長しています。

完全ミルクでも健康に、元気に。

そして毎日ニコニコと笑顔を絶やさない子です。

親の私たちを見て笑ってくれるのはもちろん
ルイのことも大好きで、
親戚、友だち、初めて会う人を見てもニコニコで
色んな人を笑顔にしてくれる子です。

そしてその度に

「親御さんの関わり方が素晴らしいんでしょうね
こんなにニコニコして…
日頃可愛がってあげてる証拠ですね」

と、自分なりの育児を褒めてくれる人がいます。

泣いたっていい。
イライラしてしまう自分を責めなくていい。

頑張ってくれてありがとう

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