【 ストレイシープ 11
花見の後、横澤は冨田と佳江を誘い「飲み直そう」とカクテルバー「Boot」に行く。
その店では直人が編集者の田渕と飲んでいて、 初めて直人を見た佳江は、「紹介して」と横澤にせまっていた。
「いえ、えぇ~ と、その……」
「どうしたんですか、横澤さん?」
そう横澤に問いかける直人を、佳江は好奇心全開の目で見つめた。
「しかたないなぁ~ 実は前に先生の話をこいつにしたら、とても興味を持ったらしくて、今紹介しろとうるさくて……」
「あはは、そうだったんですか。このようなキレイな方に興味を持って頂けるとはうれしいですね。私は柴田直人と言います。自称ですが、物書きをしています」
そう直人は佳江に自己紹介した。
「私は高城佳江といいます。横澤君とは同級生で、医学部の大学院で働いています」
「え! 横澤さんの同級生? こりゃ驚いた、職場の後輩なのかな~ と思っていました。とてもお若いから」
「そんな~ お若いだなんて…… お世辞でもうれしいです」
いつの間にか、佳江は顔を真っ赤にして俯いていた。
「高城さん、気をつけてね! この方はこの辺では有名な女たらしよ」
直人の連れの田渕が、会話に口を挟む。
「おいおい、それはちょっとひどいじゃないか。私は自分が気づいたままを言っただけだよ」
「ま、そういうことにしてあげますよ。では、失礼します」
田渕はそう言うと、さっさと出口に向かって歩き出した。
直人はやれやれと首をすくめ「では、また」と言って、田渕の後を追った。
「なんだい、ありゃ!」
すっかり茅の外に出された冨田は、面白くなさそうな態度で横澤に聞く。
「なんだ義雄、随分ご機嫌ななめじゃないか。どうしたんだ」
「ケ、キザな野郎だぜ。オレのだいっキライなタイプだ」
「へぇ~ なに冨田くん妬いてるの? 私が『あの人を紹介して』って和哉くんにお願いしたからかなぁ~」
「うるさい。お前はちょっと黙ってろ!」
冨田の声が急に大きくなった。驚いた店の客が少なからず三人に目を向けた。
「急に何よ、大きな声出して! 場所を考えなさい、あなたの行きつけの安スナックとは違うのよ!」
冨田の声以上の大声で、佳江は冨田を叱りつける。
「佳江…… お前の声の方が大きい」
横澤が小さな声で、佳江をなだめた。
「あ、ごめんなさい……」
佳江はすぐ横澤に謝ってから、「あなたも謝んなさい」と、冨田に言った。
「大丈夫ですよ。さぁ、お口直しに何か作りましょう」
バーテンダーが三人に向かって言う。
「お騒がせして、申し訳ありません」と、横澤は恐縮しながら、バーテンダーに謝った。
「すいませんでした」
冨田も、ばつが悪そうに頭をかきながら言う。
「気になさらないでください」
バーテンダーはカクテルを作る手を休めずに、冨田の顔を見ながら言った。
すっかり場がしらけてしまい、三人は追加のカクテルを一杯ずつ飲むと、誰ともなしに「帰るか……」ということになった。
出口に向かった二人をよそに、佳江はバーテンダーに耳打ちする。
「今度、私一人で来てもいいですか?」
「はい、いつでもどうぞ。お待ちしています」
バーテンダーは笑顔で佳江に答えた。
「ありがとうございます」バーテンダーに礼を言ってから、佳江は二人の後を追った。
翌日から佳江は三日と空けずに「Boot」に通った。目当ては当然直人だ。
その回数が五回、八回となり、常連の仲間入りをしたかのような佳江だったが、直人とは会えずじまいだった。
「今日もダメだったかぁ……」
カウンターに頬杖ついて、佳江はため息まじりに独り言を呟く。
「柴田さんに会うのは難しいですよ。あの方は毎日のようにおみえになったかと思うと、一か月も二か月もおいでにならない。半年ぶりってこともありました。なんというか「はぐれ雲」のような人ですからね」
バーテンダーが気の毒そうに佳江に言う。
「そうなんですか……」
そう言って椅子を離れようとした佳江の前に男が立った。
「あれ、佳江じゃないか。何してんだ?」
そう声をかけたのは、横澤だった。
「あぁ…… なんだ、和哉くんかぁ……」
ため息まじりに答えた佳江は、そのままトイレに向かった。
「彼女、通い詰めです」
バーテンダーが横澤に耳打ちした。
「何だって、なんでまたそんなことを?」
「お目当ては、柴田さんのようですよ」
「そうなのか?」
「はい」
二人がそんなことを話していると、佳江がトイレから戻ってきた。それを待っていたように横澤が聞く。
「通い詰めだって。お前、どうしたんだ?」
「ほっといてよ。もう、なんで来ないのよ……」
そんな佳江の期待を裏切るように、その夜も直人は「Boot」に来なかった。
「何だって、そんなに先生のことを?」
「私にもわかんないよ…… でも、気になるんだもんしかたないよ」
「あの人は、わかんない人だからな…… ここに通ったって、会えるとは限らないぞ」
「だって……」
「連絡してみようか?」
「え! 和哉くん、連絡できるの?」
「そりゃできるよ。だってオレ、カウンセリング受けてたんだぜ」
「何よ! なんで今まで黙ってたのよ、そんな大事なこと」
「だってオレ、お前が先生に会いたくてここに通ってるって、知らなかったもの」
「そうよね、ごめん。私、少し舞い上がってるね。冷静にならないと……」
「本当、大丈夫か? お前」
「大丈夫! で、いつ会えるの?」
「ぜんぜん大丈夫じゃないだろう! いつ会えるかなんて、連絡してみないとわかんないさ」
「そうよね、うん、連絡してからね。わかった、大丈夫!」
「いつならいいんだ? お前にだって都合があるだろう」
「いつでもいい、今からでも、明日でも」
「こりゃダメだ、完全に舞い上がってる。わかったよ、明日先生に連絡して都合を聞いてお前に連絡する。それでいいな」
「持つべきものは、友だなぁ~ 今日の和哉くんは神様、仏様、キリスト様に見えるよ」
佳江は酔いが回った目を潤ませ、意味不明な単語を並べて横澤を見つめる。
「よせよ、テレるじゃないか」
横澤はスコッチのロックをチビチビなめながら言った。
「しかし、佳江が先生をね~ 男と女はわかんないもんだね」
「柴田さんは、なんだか不思議な人ですからね。手先と口先は確かに器用ですが、どうもそれだけじゃないようです。『底が見えない』って言うか……」
そう言うバーテンダーの言葉を追認するように、横澤が言う。
「そう、あの人は底が見えないのよ」
「底か……」
佳江は物思いにふける少女のような瞳で呟いた。
「この前病院で会った時も、私の精液をお日様にかざしたりしてさ。その上もうちょっとで、床にガシャンと落とすところだったんだよ。それなのに本人は笑いながら『失敗しました』だからね。オレは寿命が縮む思いだったよ」
「あぁ…… なんで男の人って、そんな子どもみたいなことするのかなぁ~」
「オレじゃないよ、したのは先生だよ」
「どっちも男でしょ」
「そりゃ、そうだけどさ~」
「なんですか、その精液って?」
バーテンダーが不思議そうな顔で横澤に聞く。
「精液は精液だよ、男がチンポから出す」
「あぁ…… もう少し、知性のある言い方できないの?」
「お前だってオレに『あなたの精液、くれない?』って言ったくせに」
「それは言ったけどさ~」
バーテンダーはキョトンとした顔で二人の会話を聞きながら、交互にその顔を見ていた。
「あ、ごめん、ごめん。実はこいつに頼まれて、オレの精液をサンプルに提供したことがあってさ」
「サンプルにって?」
「こいつ、大学病院で研究してるんだよ、えぇっと、なんだっけ?」
「不妊治療よ!」
そう横澤に言ってから、佳江はバーテンダーに話し始めた。
「私、今大学院で不妊治療の研究してるの。そのためいろんな男性から、精液をサンプルに提供してもらっているのよ。あなたにもお願いしようかしら」
「え、提供って?」
「この人が抜いてくれるんだよ、病院のベッドで」
「そんなわけないでしょ! 何バカなこと言ってるのよ」
「ですよね~ あぁ、ビックリした」
バーテンダーは、安堵したような、がっかりしたような、複雑な表情で苦笑いする。
「本当にもう……」
横澤の卑猥な冗談に、佳江はムッとしていた。
「いろいろあって、オレは再検査することになったのよ。その時、先生と病院でばったり会ったのさ」
横澤は再検査の時の話を、バーテンダーにしていた。
「え! そうだったの」
「そうだよ。あの日、先生も大学病院に来ていたんだ。なんでも友人の方が検査入院したから、お見舞に来たって言ってた」
「…………」
佳江は急に黙り込み、じっと何かを考え始めている。初めて横澤から直人の話を聞いたときに感じた違和感が、また頭を持ち上げてきていた。
喉の奥に引っ掛かる「苦にはならないけど、気にはなる」そんな違和感だった。
「どうしたんだ、佳江」
そんな佳江のことを不審に思った横澤が声をかけた。
「黙ってて、今ちょっとだけ待って」
アルコールが入った佳江の脳みそは、それでも考えをまとめようとフル回転していた。
「ねぇ和哉くん、あなた再検査の日程を柴田さんに教えた?」
「あぁ、教えたよ」
「いつ?」
「お前から連絡を受けて、すぐ連絡した。教えてって言われてたからさ」
「つまり、金曜の午後」
「そうなるかな~ うん、間違いない。次の日は土曜だったけど、再検査で火曜は休むつもりだったから、休日出勤したんだ。だから間違いないよ」
「そうなのか……」
佳江の頭の中で、一つの仮説ができあがりつつあった。
「あの人は検査日を知っていた。そしてあの金曜にかかってきた奇妙な提供者の電話。さらには途中で姿を消した『滝崎』という提供者。できる! あの手品師のように器用なあの人なら、すり替えなど容易いはずだ」
佳江の仮説は、ほぼ完全な型に近づいてきた。
「和哉くんごめん、私酔っちゃったみたい。トイレ行ってくるね」
そう言うと、佳江はスマホを持ってトイレに入った。目的は自分の考えた仮説を忘れないうちにメモするためだ。佳江はそれをボイスメモに残すと、なに食わぬ顔で席に戻った。
「大丈夫か?」
「うん、でもちょっと…… もう帰るわ、私」
「疲れてるんじゃないのか? ちゃんと休むんだぜ」
「わかったありがとう。あ、それからね和哉くん」
「なんだい」
「さっきの話だけど、どうしてあなたの検体を柴田さんが見てたの?」
「見せてって言われたんだよ、先生に。それで見せたら袋から出して色々眺め回して、その後がさっきの話さ。本当ビックリして、オレ思わず目をつぶってしまったよ」
-つづく-
Facebook公開日 3/18 2021
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